VOL95 「人生の楽園 前編」
「人生の楽園」というテレビ番組を
よく観る。
第二の人生というか、
中高年のスローライフというか、
いろんな人生の形があるんやな〜、
と改めて感じさせられる。
テレビ番組として絵柄が地味なように
思われるだろうけど
これが意外と侮れない。
毎回毎回出てくるひとがすごく明るく
前向きで迷いのない
なんともイイ表情をしているからだ。
会社員を辞めて夫婦で未経験の食堂を
始めたり、山奥の田舎に移住して
農業や陶芸作品作りを始めたり、
と人生の路線を大きく変更した
様々な経緯と現在の生活が
ゆったりと映し出される。
俺自身は怠け者なのか
変わり者なのか、
学生時代から大多数の同級生が
当たり前のように進んでいこう
としている会社員への道に
全く魅力を感じれなくて、
「飛び出せ青春」、
「われら青春」という
学園ドラマの影響でいとも簡単に
「高校の体育の先生になったら
刺激的で楽しいやろな。」
と教職を目指すことにした。
ナンギなことに中学の時に
器械体操で腰痛を患い、
先生や周りのひとから反対
されながらもなんとかけっこうな
難関の大阪体育大学へ進学。
ウチの高校からの合格第一号となる。
いくつかの高校などで3年間講師を
したものの当時超難関の
教員採用試験にパスできず、
スイミングクラブのコーチへ転職。
長時間プールに入る激務で
腰痛が悪化して2年で退社。
将来が見通せないまま1ヶ月近く
アメリカ周遊ひとり旅へ。
物凄いシゲキの洗礼を受けて
帰国して数日後、アタマがフル回転!
1時間構想をイメージしただけで
アメリカンバー開業を決意。
独学開始、新装開業、14年間経営。
その後はいろいろ。
教職からバー経営へと転じたことで
よく驚かれるけど、べつに仕事なんて
一生同じでなくたってかまわない。
40代前半、現在はロックバンドで
15年間一緒にライヴ活動を
してきているドミニク(イギリス人)
としょっちゅう二人で和歌山、奈良の
峠道をバイクで走り廻ったり、
岡山国際サーキット、スズカ、
その他あちこちの小さいサーキットを
走っていた頃にドミニクがローランド
(ドイツ人)とサーキットで出会う。
彼はシンガポールで数年住んだ後、
最近日本に移住してきたところで、
モトGP(世界最高峰のバイクレース)
も開催される立派なセパンサーキット
でよく走っていたという。
頭脳明晰らしく、日本に着くなり
阪大のナノテクノロジーに関する
仕事に就いて、着手金というのか
なんといきなり200万円!ももらって
バイクを購入した。
彼はいったい何者なんやろう??
ドミニクからローランドを紹介されて
数週間後に二人でツーリングへ。
TL1000Sが不調で古いオフロード車
XLR250で和歌山の待ち合わせ場所に
着くとローランドは少しがっかりした
表情を見せる。
自分の300数十キロ出る最新の
CBR1000RRと120キロしか出ない
非力なバイクが一緒のペースで
走るのは無理があると思ったみたい。
まあでもサーキットならともかく
タイトコーナーが多い
今日のこの峠道なら大丈夫やろ。
「Follow me.」
走り出すとパワーが必要な
登りでさえもローランドは全く
ついてこれなかった。
いつもドミニクと二人で
オフロードバイクで走っていても
自分達より速いバイクはほぼいない。
知り合ったばかりなのに
自信なくしてなければいいけどな〜。
後日、よく行く焼き鳥屋に
ローランドを連れていった。
「ドイツにもいろんなビールが
あるけどこのキリンも美味しいよ。」
彼は乾杯するなり俺の目を
ジッと正面から見据えて叫んだ。
「レオ、You are FAST!!」
やっぱりプライドは少し傷ついた
みたいだけど彼はすごく素直だった。
ササミの造り、生レバー、
いろんな焼き鳥をアテに
二人でビールをいっぱい飲んだ。
アツく、やさしいローランドとの
会話は弾んで楽しかった。
「んじや行こか。」
立ち上がると身長2メートル4センチ
のドイツ人を見上げて周りの
知らないひと達が「お、おおーっ!」
とどよめいた。
ローランドはキリンビール、焼き鳥、
そしてどうも俺をすごく気に入って
くれたようで奢ってくれた。
困ったことにそれから何回か二人で
飲みに行ったけど頑固者の彼は
ほとんど毎回払わせてくれない。
それからドミニクと3人で2、3回
ツーリングに行ったり、林の中での
ハンモックキャンプもした。
ローランドは結婚し、
10年ほど前に憧れだったという
和歌山の田舎の長年ほったらかしに
なっていた古民家へと引っ越した。
彼らの「人生の楽園」が始まる。
すぐにドミニクと俺に
「泊まりにおいで。」と誘いが来た。
ー後編に続くー