VOL78 「雪の世界を想う」
冬になるとちょっと
悲しくなることがある。
スキーに行けないことだ。
最後に滑ってから多分
もう20年近くにもなるのかなあ。
バイクでのサーキット走行も
同じくなんだけど、まずは車がないと
もうどうにもならない。
それと、筋力はそれなりに落ちてても
まあスキーはまだ充分できるつもりだし、
身体は丈夫なんだけど、
20、30代ではない今コケた時に
骨や筋がどの程度衝撃に耐えれる
ものなのかよくわからないから、
もし骨折したらと躊躇してしまう。
タイヘンなエネルギーが必要な
行事だけど、大学に入ってから
10年くらいは主に信州、北陸に、
たまに岐阜、兵庫に、友達と
車2、3台に分乗して雪の高速道路を
交代で運転して夜通し走った。
信州までは5、600キロもある。
絶対に居眠り運転をしてはいけないから、
助手席に座ったひとは寝ないで
運転するひとと話をしなければいけない。
静まらないようにみんなが
聴きやすいような音楽のCD、
カセットテープをいっぱい準備して
かけ続けた。
道路の状況によっては真夜中の
凍てつく零下の寒さの中で外に出て
タイヤにチェーンを
装着しなければならない。
めっちゃ寒いし、指は冷たいし、
なかなか手間がかかる作業でもある。
チェーンを巻いたからといって
タイヤが完璧に雪面にグリップする
わけでもないし、振動と音が
ちょっと不快だ。
慣れない真っ暗な雪道を、
特に雪が降り続いてる時に走るのは
緊張感が伴うことだし、
スリップ事故の現場やスタックして
動けなくなっている車にも
ちょいちょい出くわした。
実際に自分のグループの車が
スリップしてガードレールに
ぶつかったことも1回ある。
1本道で1台が動けなくなって
道を塞いで渋滞というか
完全に進めなくなった時は
もう途方に暮れてしまう。
道の駅、昔はドライブインかな、
など明かりが灯った場所で休憩して
温かいものを口にすると安心できて
ホッとした。
北海道のトマム、札幌に
3回行った時はヒコーキと電車での
移動なので、狭い車での夜通し
長時間のハードな運転から考えれば
すごくラクで快適だった。
だいたい年末年始は毎年
野沢、栂池、赤倉、北海道などで
スキー三昧で過ごしていた。
スキー場での開放感、
自然の雄大さはサイコーだ。
稜線が美しい。
もちろんスポーツとしても刺激的。
上級者コースには大きな雪のコブが
延々と連なっていたり、
斜度が40度近いなど、
とんでもない難しい場所もあり、
一度コケたら100m以上どうしても
止まることができずに
滑り落ちていくこともあった。
スキー板を1本外して肩に担いで
片足で滑ったり、後ろ向きに
滑ったりもした。
オリンピックのスキー競技などで
当たり前のように宙返りをする
ことになるずっと以前から、
器械体操経験者の俺はうまく着地は
できないままだったけど、
前方宙返りにも時々挑戦していた。
スキー場によってはナイター設備
があり、昼間とはまた違ったちょっと
幻想的な雪の空間を味わえた。
夜はとにかく宿から出て、
特に野沢などでは温泉に行ったり、
明るい店が立ち並ぶのを順番に巡って
お土産を買うことでウキウキした。
行き交うワカモノ達も
みんな楽しそう。
部屋に戻ってからは浴衣に着替えて
飲んで話す。
昼も夜もずうっと充実している
最高の趣味を持ててシアワセだった。
正月の他にもあと1回3泊くらいで、
さらに日帰りでも岐阜、滋賀、兵庫に
何回か行った。
高校の時の仲良しグループ7、8人で
スキー経験者は俺ひとりだったけど
全員に俺がコーチした。
みんな新しい世界に触れて
すっかりハマっていった。
それからどんどん行くようになった。
友達のカノジョのグループと一緒に
行く時は特に場が華やいだ。
ずいぶん長くスキーをしていたけど、
現在周りでまだ続けている友達は多分ゼロ。
小6の時に通っていた
スイミングスクール主催の
スキー教室に初めて参加した。
全く知らない2、30人の同世代の
グループで夜行バスに乗って
長野の鹿島槍へ。
大阪育ちの俺には現実離れした
雪山の風景に感動した。
家族から離れて、知らないひと達の
中で4、5日も過ごすなんて
小学生にしてみればすごく不安だったり
するのではないかと思うけど、
俺には極めて有意義な体験だった。
これを機に独立心が芽生えて
行動的になっていって、
バイクでどこにでも遠くまで
行くようになり、ついにはひとりで
数週間に及ぶ海外旅行にまでも行ける
人間になったのかもしれない。
本当にあの時に雪の世界に出逢い、
旅立つきっかけを作ってくれた
今は亡きオヤジには感謝している。