VOL72 「海外旅行周遊スタイルの原点」後編
ー前回からの続きー
高2になり原付バイクのツーリングに
すっかりハマってしまった。
これは正に行動力の革命だった。
簡単な筆記試験だけをパスして
初めての運転免許証を手にすると
そこには別世界が拡がっていた。
自転車よりわずかに大きい乗り物で
一生懸命ペダルをこがなくても
遥かに遠くまで、登り坂でも、
他府県までも簡単に走れるのである。
RG50はメーター読みで
時速83キロ出た。
これで30キロ制限を守れ、
なんて無理やろ。
今では危なすぎて絶対する気には
なれないけど、当時はヘルメットの
着用義務がなかったから
ノーヘルで全開で走っていた。
今のようにスクーターが当たり前
ではなく、7、8人の友達がそれぞれ
違うタイプのバイクを手に入れた。
奈良や和歌山の山道を連なって走ると
みんな生き生きとした表情になった。
卒業して車へと興味が移っていく
友達グループの中で俺ともう1人
だけは中型、大型バイクの道へと
突き進んでいった。
後にはサーキット走行にまで発展。
19歳の時にピカピカの新車XJ400Dで
初めてひとりで2泊のツーリングへ。
紀伊半島一周。
一日中誰と話すこともなく、
地図でルートを調べながら走って
時々風景の写真を撮るという
経験したことのない孤独感。
夕方暗くなってくると
寂しさと不安感が増してくる。
ジンセイで初めて自分でその日に
探した知らない宿でひとりで眠った。
無事家に戻ってきて改めて地図で
自分が3日かけて辿ったコースを
確認すると達成感に包まれた。
これが周遊スタイルの誕生だった。
24歳、GPz1100で友達3人と
4日間で四国一周。
この頃英会話の経験もない
スイミングコーチの後輩2人が
アメリカ西部のサンフランシスコから
南東部マイアミまで数日かけて
車で旅行した。
観光というよりはただ走破しただけ
だったけど、初めて知り合いから
海外旅行、しかもツアーでない
全く無計画なドライブの話を聴いて
とんでもない衝撃を受けた。
26歳頃からひとりで当時まだ
珍しかったインターナショナルバーへ
通って、いろんな国から移住してきた
ガイジンとの交流が始まった。
彼らから聴く話は何もかもが
興味深すぎて感性がシビレた。
27歳、スイミングコーチを退職して
自由の身となった俺はこの機に
初の海外旅行に行くことにした。
渡航先は映画などで馴染みがあって
憧れを抱いていた、
そして後輩の話の影響もあって
迷わずアメリカに決める。
パリのオシャレなホテル1ヶ所で
5日間ゆったり滞在、などには
全く興味がなかった。
2ヶ月以内なら乗り放題のデルタ社の
スタンバイパスを使って
3、4週間でアメリカの西の端から
東の端まで移動していくことにする。
最初のロスアンゼルスでの
ホテル以外は何も決めずにGO!
まえにここでも連載した
「世界はオモロイ 3部作
転生のアメリカ編」の内容がこれ。
ロスアンゼルス、サンフランシスコ、
ラスベガス、グランドキャニオン、
ニューオーリンズ、ニューヨーク、
そしてロスアンゼルスへ戻って
アメリカ国土の下半分を一周。
ジンセイがひっくり返った
最高にシゲキテキな体験となった。
帰国後、思い立ってすぐに
アメリカンバーを開業、
1990〜2004年営業。
開業前にドゥカティ900
マイクヘイルウッドレプリカで
ひとりで6日間で九州一周。
今まで行った10数回の海外旅行は
ハワイ、グアム、韓国を除いて
全て2、3週間かけて移動する
周遊スタイル。
この先には何があるのか?
未知へのワクワク感がたまらない。
俺を次の街へと進めてゆく。
小学生の時にアニキから借りた
サイクリング日本一周の本は
ジンセイのガイドブックだったのだ。