VOL67 「水車小屋の番人」
小学生の頃から市民プールへ、
高校からは海水浴へよく行ったし、
その後スイミングクラブのコーチを
したりで、どうも水に触れたり
浮かんだりが好きで自分の人生から
切り離せないことの1つみたいだ。
20代から毎年何回か和歌山の
玉川峡や奈良の天川へバイクで
ひとりで又はバイク友達でもある
ドミニクと行く。
バイクに乗ってヒョイッと
自然の中へ飛び込んでいけるって
ほんっとに素晴らしい。
ブッ飛ばして1時間。
街で人工物に囲まれて過ごしていると
圧倒的に自然に触れることが
足りていなくて膨大なストレスが
蓄積されているように思える。
自分以外に人間が誰ひとりいない
川辺の大きな岩の上に座って
川の音を聴きながら陽を浴びて
山や空を眺める。
大阪より空が碧いように思う。
翼を拡げると2mほどもある鷹が
気流に乗って優雅に舞う。
川を覗くと稚魚や10センチほどの魚、
たまに30センチくらいの魚や
カメもゆったり泳いでいる。
ジリジリ暑くなってくると、
川へ飛び込む。
前方宙返りっ。
ザッパァーン!
5月や9月あたりは特に水が冷たい。
しばらく自然に包まれる浮遊感を
楽しんだら熱い大岩の上に戻って
仰向けに寝っ転がる。
全身から都会のアクが染み出して
浄化されていくように感じる。
「おお〜、俺、生きてるぞっ。」
ここに座って自然と対話を
しているうちに妄想してしまって、
それが頭から離れないものがある。
物理、科学、理屈ではわかっていても
どうもナットクできない川のナゾ。
いつ来ても、どんなに雨が振らない
日が続いたあとでも必ず豊富な水が
流れている。
遥か高いわけではなく、そこに頂上が
見えている山なのにどうしてこんなに
大量の水が存在しているのか?
みんなはこのことをフシギに
思わないのだろうか?
俺がイカレてるのだろうか?
20代でこのギモンを感じた時に
俺の頭の中で「水車小屋の番人」
が誕生したのだった。
以下妄想 ↓↓
今年も街から涼を求めてひとが
やってくるゴールデンウィークに
差し掛かる前に番人が頂上付近に
建てられた水車小屋に到着する。
これから5ヶ月間ここで過ごすのだ。
彼は日の出の時間が近づくと
直径1mもある船の舵のような
大きな詮を回して小屋のすぐ
川上にあるダムから放水する。
ザ、ザ、ザザあーっ!
水が少なくなってきていた川は
勢いを取り戻し、
いつもの風景へと戻っていく。
水車も力強く動き出した。
夕方になり、家族連れ、
若者のグループ達がいなくなると
番人は詮を戻して水を止める。
キュウッ!
続いて「UP」と書かれた赤いボタンを
静かに押した。
カチッ。
夜の間にヒソカに誰にも気付かれずに
下流から強力なポンプで地下に
通された長い長いパイプを通して
水はまた上流のダムにまで
押し上げられるのであった。
「そ、そうやったんかあっ!!!」