VOL59 「アクセサリーデザイナー」
ある職種の中で羨ましく感じる
1つがデザイナーだ。
デザインと言っても広告、建築、
服飾、車など乗り物、生活用品、
いろんなものがある。
多くのデザイナーは若い頃から
興味を持っていた趣味から発展して
収入を得る仕事へと移行させた
のではないかと思う。
好きなこと、遊び、が高じて
プロとして生きていけるなんて
ホントに素晴らしいことだ!
シルバーをメインとした世界的に
有名なアクセサリーデザイナーと
話したことがある。
2010年に今のバンドを結成して
毎週のようにあちこちのバーなどで
ライヴをする忙しい環境になるまでは
(残念ながらコロナ以降年間60日
120ステージ近いベースが10分の1に)
ギター&ヴォーカルのドミニクの家で
月に1、2回週末に彼の家族と一緒に
晩ゴハンを食べて、飲んでいた。
ドミニクとは1990年に彼がイギリスから
日本に来てすぐからのつきあいで、
今までにバイク、自転車、その他
高価なものまでいっぱいくれた。
ある日ドミニクが
「オイ、これをオマエにあげるよ。」
とユニークな表情のドでかいドクロが
デザインされたシルバーリングを
俺の目の前に差し出した。
「ええっ!?」
当時彼は日本各地に支店を持つ
ジュエリー輸入販売会社の本社に
勤務していて、デザイナー達と
取り引き、交渉をするために
アメリカ、ベルギー、イタリア、
シンガポールなどへ月に何度も
渡っていた。
ドミニクは社交的でデザイナー
だけでなく、彼らを通じて世界の
著名人、芸能人とも親交があった。
ロックスターZZトップの
ビリーギボンズにはラスベガスで
プロレスの50万円もする最前列席で
一緒に観戦させてもらったり、
格闘技家、タレントのボブサップと
東京で飲んだり、
たまたま同じホテルに宿泊していた
俳優ケヴィンコスナーの
パーティーに参加したり、
アニメ映画スポンジボブの作者、
映画オースティンパワーズの
ミニミー役の俳優、
その他多くとの交流があった。
(キッスのジーンシモンズは
感じよくなかったそうな。残念。)
スターリンギアのデザイナー、
リックマーヴェリック本人から
直接プレゼントされた巨大リングを
ドミニクがいつも着けてるのを見て
カッコいいなあ、と思っていた。
店に卸して商品になる前なので
シリアルナンバーの刻印がない
特別なものだ。
あと2つほどもらっていて
1つを俺にくれると言うのだ。
「でも、オマエがもらったのに
いいのかなあ、う〜ん。」
と言うと
「わかった。
オマエが気にするんなら
リックに電話しよか。
LAでは夜中やけど多分彼は
まだ起きてると思う。」
リックはすぐ電話に出た。
「親友のレオにリングを1つ
譲ってもいいか?」
とドミニクが訊くと
快くいいともと答えてくれた。
数カ月後、リックの来日イベントで
ドミニクの会社の社員15人ほどで
歓迎会を開いて、部外者の俺も
ドミニクに誘われて参加した。
社長はドミニクと俺が通っていた
空手道場の師範で知人だけど、
あとは全員知らないひとだった。
リックは若かった。
このひとが世界へ羽ばたいた
デザイナーかあ。
シルバーリングを見せて
「ありがとう。
これをもらえてうれしいよ。
出かける時は必ず着けてる。」
と礼を言うと
「気に入ってもらえてよかった。」
とリックは笑顔を見せた。
彼は10代からBMXのプロの
ライダーだった。
さすがに運動能力は高いようで
テレビ番組サスケにもアメリカでの
予選を突破して出演した。
数年後、ドミニクの会社が新たに
バーレストランも開業することになり
昔アメリカンバーを経営していた俺が
呼ばれ、未経験のスタッフ5、6人に
カクテルの作り方を指導して、
カクテルメニューを作成して、
接客、営業の留意点などを
細かく書いて残した。
ある日、取り引きをしている
レザーズ&トレジャーズの
デニスポリチーノがイベントで
来日して、レストランにも来た。
彼はイタリア人だけどわかりやすい
英語で気さくに話してくれた。
時間があっていろいろ話せた。
超有名で俺よりもだいぶ年上だけど
偉そうな態度は全くなく、
すごく人懐こい感じのいいひと。
それから間もなく亡くなったのを
知って残念だった。
リックもデニスも型にはまらない
自由人という印象だった。
豊かな才能をひけらかすわけでない
自然な振る舞いが素敵。
幸い俺はめちゃエー感じの70、80年代
ロック&ファンク中心のナンバーを
再現できるバンドでライヴを
長年続けてこれていてシアワセだ。
デザイナーとは世界は違っても
自分の感性を表現できる場がある。
俺の技術レベルは全然高くない。
でもアーティストの精神だけは
持っているつもり。