VOL38 「星野道夫 その2」
子どもの頃から周りのひとが
言うほどは夏の暑さ、冬の寒さ、
雨を嫌うわけではなかった。
暑いから海、川、プール、
アイスクリームを、寒いからコタツ、
鍋をより楽しめる。
小6からスキーで冬山へ通い続け、
高校の時からバイクにハマって
信州から九州まであちこち走り廻る。
スイミングコーチをしていた時は
ずっと水に浮かび、潜り、
触れている環境だった。
34歳、星野道夫の写真、
文章との出会い。
アラスカ、北極圏の自然の雄大さや
激しさ、様々な動物、途方もない
時間の流れ、そしてそこに暮らす
エスキモーの逞しさ、純粋さなどを
グッと感じた。
あらためて俺自身もこの宇宙の、
自然の中の一部なんだな、
と当たり前のことだけど普段あまり
考えることはなかったことを
より強く意識するようになった。
やさしさを感じるサラッとした文章で
表されてはいるけど、熱い情熱に
突き動かされる彼の行動には
衝撃を受ける。
印象深かったエピソードを2つだけ
書いてみよう。
ミチオのライフワークと思われる
ものがカリブー(トナカイ)の
大移動の撮影だ。
現地に住むひと達でさえもめったに
見れない光景だという。
それはまるで伝説のように
語り継がれていた。
年に1200キロの移動をする
カリブーの群れ。
そのルートは毎回変わり、どのあたり
を通過するのかはわからない。
毎年ミチオは情報収集、分析して
自分なりに場所を予想し、荒野に
1ヶ月ほどひとりでテントで過ごし、
祈るようにカリブーを待つ。
努力、苦労をしたからとて自然は
いちいち自分の相手をしてくれる
わけではないのだ。
何も成果なく無情に時は過ぎてゆく。
でもアキオは決して諦めない。
ある年ついにカリブーの群れと遭遇。
群れが移動していく中で合流を
繰り返して10万頭を超える大集団に。
広大なツンドラの丘、河、谷を
波のように埋め尽くすカリブーは
テントのすぐ外をドドドドっ!と
地響きを立てて通り過ぎる。
夢中でシャッターを切り続ける
アキオはその時、伝説の風景の
中にいた。
「最高のオーロラを撮影するためには
マッキンレー山を背景にしたい。」
アーティストとして彼が求めた構図。
それは厳し過ぎるアラスカの冬を
知り尽くす現地住民達にも余りに
無謀と考えられるプランであった。
ミチオは信頼できる知り合いの
ブッシュパイロット
(過酷な自然環境でのセスナ操縦士)
に頼み込んで1ヶ月分の食糧、
撮影機材などを積み込み、
ベストな撮影場所として選んだ
無人の雪原に降ろしてもらう。
1ヶ月後のピックアップを約束して
セスナは飛び立って行った。
時にはマイナス50℃にも達する
空間にひとり。
周りには遙か彼方まで集落は一切
存在しない。
大きなケガ、病気、緊急のトラブルが
発生したら当然命に関わる環境だ。
いつもアキオの信念に迷いはない。
ブリザード。
それは凄まじい強風を伴う吹雪。
時にはそれが何日にも渡って続く。
体感温度は風速1mごとに1℃下がる。
いったいどういう空間なんだろう?
テントが風を受けないように支柱を
外し、何時間も身を伏せてテントを
押さえつけてひたすら耐えに耐える。
テントが破れて使い物にならなく
なったらこの超極寒の世界では
生きてゆけるはずもない。
逃げ込める場所もない。
これはいつまで続くんだ?
もうダメだ!
フッとウソのようにブリザードが
止んだ。
テントの外に出ると、空を覆い尽くす
オーロラが輝いていた。
とても2回でなんて語り尽くせない
崇高な星野道夫の世界。
俺の感性の一部は彼によって
育てられたのだった。