VOL37 「星野道夫 その1」
今までにいろんな影響を与えられた
人物は何人もいる。
その中でも特別に大きな存在である
星野道夫。
彼は特にアラスカなどの自然、動物、
植物をテーマの中心とする写真家、
そしてエッセイストであった。
34歳の誕生日に当時のカノジョが
けっこう大きな写真集をプレゼント
してくれた。
まえに旅行添乗員として働いていた
彼女はいろんな国へ行っていた。
アフリカで自分ですぐ目の前にいる
野生動物の写真を撮ったものを
初めて見せてもらった。
「アフリカの動物ってね、
ホントに美しいのよ。」
とサラッと言う。
マサイ族との交流の話などいろいろと
聴いたこともない興味深いことを
話してくれた。
欧米など文明国にしか行ったことが
ない軟弱旅行者の俺はその感性と
行動力に感心した。
このひとが俺にぜひ見せたいと言う
写真集とはいったい何なんやろう?
翌日の朝、テレビのニュースで写真家
の星野道夫が昨日カムチャツカ半島で
クマに襲われて死亡しました、
と見て驚いた。
ええーーっ!!
それは星野道夫の世界との衝撃の
出会いだった。
昨日、俺の誕生日に、この写真集を
受け取った日に彼は亡くなったんや。
なんとも言えない複雑な気持ちで
写真集のページをめくっていく。
1月から12月までのアラスカの季節の
移り変わりが素晴らしい写真で
表されている。
こんなに生き生きとした野生動物、
そして見事なオーロラの写真は
見たことがない。
写真だけでなく、添えられた短い文章
にまた興味を惹かれた。
「きっとこのひとスゴイぞ!」
そう感じた。
すぐに図書館に行くと写真集
だけでなく、エッセイをまとめた本が
何冊かあった。
借りて読んでみる。
一般的に写真家として世に有名だけど
俺はその文章を読んでアタマに電撃を
喰らったのだった。
納得のいく最高の写真を撮るためなら
時々ブリザードに襲われる極寒の命の
危険を伴う無人の環境で何ヶ月も
たったひとりでテントで過ごす。
本人の写真を見るとおとなしそうな
ごくフツーのひとだけど、
まずはその大胆、無謀とも思える
行動力、忍耐力に圧倒される。
そして世界的に有名な生物学者、
動物学者、ブッシュパイロット
(過酷な自然区間のセスナ操縦士)
達が自然と引き寄せられる
飾らない素朴な人柄。
彼の死後は奥さん
(このひともタダモノではない)
がアラスカと日本を行き来しながら
星野道夫事務所を運営して作品の管理
をしていて、時々テレビ出演したり、
展示会を開催してファンは多いけど、
アラスカでの方がさらに有名らしい。
星野道夫はまだ海外旅行が気軽に
行ける時代ではない1968年、16歳で
アルバイトで貯めたお金でアメリカ、
メキシコをひとりで約2ヶ月廻った。
19歳、北米の大自然への憧れが
尽きない彼は古本の中の1枚の
航空写真に惹きつけられる。
それは彼の運命を変える写真だった。
アラスカ北極圏の荒涼とした風景の中
にある小さな集落シシュマレフ村。
住所も村長の名前もわからないまま、
宛名には「村長、シシュマレフ村、
アラスカ、USA」とだけ、
「どこかに滞在させてくれませんか。」
と書いて手紙を送った。
なんと半年も経って、村長から
返事が届いた。
「夏に来たらいいよ。」
翌年の夏、何本も飛行機を乗り継いで
辿り着き、エスキモーの村長の大家族
の家に泊めてもらい3ヶ月を過ごす。
村民達にも受け入れてもらい、
伝統的なボートとモリでのクジラ漁
にも一緒に出かけ、やっとの思いで
引き揚げてきたクジラの解体作業の
風景まで写真撮影した。
星野道夫はすっかりアラスカ、
エスキモーとの暮らしに
魅せられたのだった。
1978年、アラスカ大学
フェアバンクス校入試試験を受けて
英語の合格点に30点足りなかったけど
学長に直談判して野生動物管理学部
に入学。
カリブー、グリズリー、ムース、
クマ、ヘラジカ、クジラなど野生動物
やそこに生活する人々の撮影を
続けてゆく。
アメリカンバーを経営していた時
(1990〜2004年)、お客さんに
「マスターはひとりでその場で宿を
とったり、列車の予約をしたりして
何週間もいろんな国を廻って
冒険家ですよねえ。」
とかよく感心されたけど、
ちゃうちゃうっ!!
俺なんかただの旅行者やねん。
写真はもちろんすごいんやけど、
星野道夫の文章をぜひ読んでみてよ。
ー「星野道夫 その2」に続くー