VOL20 「アメリカンバーの夜は更けて その1」
27歳、春。
初の海外旅行でアメリカをひとりで
1ヶ月近く西から東まで廻って帰国。
カルチャーショックでブッ飛んだ
俺のアタマはフル回転!
そうや! バーをやろう!
イメージが溢れ出した。
70、80年代の欧米音楽のBGM。
字幕だけ音声なしの洋画を流す。
茶色のウッディなカウンター、
テーブル、酒棚、床。
ガイジンが立ち飲みしやすいように
カウンター、テーブルは曲線に。
キャッシュオンスタイル。
アメリカ映画のポスターを貼る。
古いピンボールマシンを置く。
大きいルーレットホイールを
お客さん全員に回してもらって
その月か日の番号が出たら
1ドリンク無料サービス。
誕生日前後のお客さんに
ポラロイド写真と好きな
ミニミニボトルをプレゼント。
カクテルは生のフルーツを搾る。
派手なネオンサイン。
木のベンチにピンクパンサー
(フランスやけど)を座らせる。
赤のユーノスロードスターの
屋根を開けて店の前に停める。
「いいぞ! いいぞ!」
1時間後、アドレナリンで
溺れそうな俺は不動産屋へ。
「アメリカンバーを始めたいので
場所を探してもらえますか?」
「あのおー、大変お若いようですが
今まで飲食業のご経験は?」
「ないです。 スイミングコーチを
辞めたところです。」
「、、、よく考えられましたか?」
「今、1時間です。」
「ええーーーっ!!!
いやあ〜、それはあまりにも、、。」
「大丈夫です。 お願いします。」
夏。
アメリカンバー開業。
(1990〜2004年)
電気、水道、ガスどころか壁、床、
天井も何もない10坪のスペースに
店をゼロからデザイナーと
相談を重ねて新装。
キレイな店が誕生した。
体育大学を出て、高校、そして
スイミングクラブでは先生と呼ばれてきた
俺は今度はマスターとなった。
カクテル、飲食店経営の知識なんて
もちろん全くなかった。
未経験、独学でもどうにか
ジンセイは変えれるみたいだ。
週末だけスイミングコーチの後輩らを
バイトに雇って、あとは毎日ひとりで
20席の店を切り盛りする。
生のフルーツをイチイチ搾っていろんな
カクテルを作るからとにかく時間がかかる。
満員の時なんてもうどうにもならない。
席がなくて立ってるひとがいても
さらにお客さんは入って来る。
酔っ払いメキシコ人団体が大騒ぎして、
忙しいというのにスペイン語で大声で
話しかけてくる。
スペイン語なんて全くわからない。
「キミはスペイン語を学ぶべきだ。」
オマエらが英語を学べえーっ!!!
俺より10歳ほど年上のインド人の
兄ベンカ、年の離れた妹、そのダンナの
インドネシア人がいつも3人でやってくる。
インドネシア人の英語は
信じられないほど発音がひどい。
まるで単語クイズだ。
ベンカが日本語で
「気にしないでください。
私もほとんどわかりません。」
と言う。
年上で、濃い眉毛、ギョロ目の
インド人が真顔でゆっくりと話すと
マジかジョーダンか全く判断できない。
ベンカの妹はかすかに微笑むだけで
英語は話せない。
「妹はこの店で初めてカクテルを
飲みました。
とてもとてもおいしいと喜んでいます。」
ブルームーン。
ジン、レモン、そしてバニラなどで
香りをつけた紫色の甘い
パルフェタムールをシェイクする。
妖しい香り。 薄紫色がキレイだ。
俺はジントニックが好きだった。
「レオさん、いつもいつも
ジンを飲んでいますね。
毎日ジンを飲んでいるとあなたは
インポテンツになります。」
ベンカは日本語でまるで預言者のような
迫力で俺に告げる。
「もおーまたまたあ〜、
ベンカはジョーダンばっかり言ってえ〜。」
「レオさん、ワタシはジョーダンを
言ってるのではありません。」
彼は俺の目をジッと見据える。
う〜〜む、、、。
翌日から俺はウォッカトニックを
飲むようになった。
ある日、ベンカの妹がひとりでやって来た。
「ブルームーン?」と尋ねると
彼女は静かに頷く。
いつもの窓際の席から彼女は外を見ていた。
なんで今日はひとりで来たんやろ。
窓から月を眺めているのか?
遠く離れた祖国を想っているのか?
彼女は33年経った今もどこかのバーで
ブルームーンを飲んでいるのだろうか。
(「その2」に続く)