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短編集 〜 カレッジノート〜 

森田の罪状

作者: 星川ぽるか

 裁判長の鍵谷がガベルを強く叩く。甲高い音が響いてざわつく会場が静まり返った。

「これより被告、森田の裁判を行う」

 縄で縛り上げられた森田は肩を震わせて、自身を取り囲む赤い目をした死神たちを見回した。

「彼は我々、闇鍋遊戯界の面々を差し置いてこともあろうに()()を作った! これより異端審問を開廷する!」

 大学構内にある旧サークル棟の一室で一人の男の人生が裁定されていた。その男の名は森田淳(もりたあつし)。闇鍋遊戯界で不毛の嵐を嬉々と前進する部内で一目置かれる逸材である。彼は会員たちと共に彼女持ち男子学生たちを夜な夜な(さら)い、味覚革命を引き起こすほどの嫉妬で完成する闇鍋を振る舞ってきた。森田に女性は必要ないし、彼自身も必要としていなかった。少なくとも会員たちはそう思っていた。しかし、森田はその裏で卑劣な裏切り行為を働いていた。大学三回生という立場を悪用し、みずみずしい初々しさに輝く新入生を先輩の特権を濫用(らんよう)して籠絡(ろうらく)した。その結果、森田に彼女ができたのである。そして彼はその幸福を公開することなくひた隠しにしてきた。

 森田は低迷している単位取得や大家の督促、借りた漫画の返還を求められるあまり頬は痩せこけ、肉体は疲弊し、自分の責任を棚に上げて勝手に衰弱していった。弱りきった彼の寿命やら運命やらを悟った仲間たちは「最後くらい酒でも奢るか」と手遅れな優しさを送ろうと決めていた。

 しかし、そんな屍だった森田がここ数日で奇妙な快復を見せた。肌にツヤを取り戻し、頭から闇鍋の汁を被ってもハハハと懐の深い笑いで済ませた。魑魅魍魎の出汁と周囲への嫉妬で完成した闇鍋の煮汁は一度ついたら決して落ちることはない油汚れよりもしつこいシミになる。森田は服につくたび怒っていた。彼の豹変ぶりを訝しんだ仲間たちは「これはおかしい」と決議し、調査を行った。そして、森田が彼女を伴って大阪の海遊館に行った現場をおさえたのだ。

「被告森田よ。彼女が出来たことに間違いないか?」

 裁判長の鍵谷が黒い眼で言う。

「はい」と森田は神妙に答えた。「僕には彼女ができた」

 聴衆席から罵詈雑言の嵐が吹き荒れる。「何が出来ただこの裏切り者!」「詫び入れろや!」「死刑にしろ」

 誰もが賛同するこの声に鍵谷が厳粛に(ガベル)を叩く。

「静粛に。諸君らの心情は察するに余りあるが落ち着きたまへ」

 部屋が静かになったのを見計らい、鍵谷は森田に声をかけた。

「貴様は我々闇鍋遊戯界の面々に黙って型にハマった幸せを掴んだ。相違ないか?」

「ありません」

「数多くの唾棄すべき彼女持ち達を川へ沈めてきた。それは我々が安易な幸福を軽蔑し、そんなものに足下をすくわれているくせに我が物顔で構内を闊歩する男子どもへ天誅を加えるためだ」

「裁判長のおっしゃる通りで」

「では何故貴様は我々を裏切った。そしてどうやってねんごろになった」

 緊張の糸が張った空気の中で、森田は静かに口を開いた。

「僕と彼女の出会いを語るには原稿用紙1800枚はくだらない。もちろん語るにはやぶさかではないけど、どうする?」

「よろしい。口を閉じてろ」

 親指を地獄の底に向けたブーイングの嵐が吹き荒れる。しかし森田の顔は変わらない。丘の上で春風を感じてるかのごとき爽やかな笑みを浮かべたままだった。それが闇鍋遊戯会の面々の心を一層掻き乱した。

「何余裕ぶってんだ!」

「今すぐ火口にぶち込め」

 殺伐に燃える異端審問の中、当事者である森田はふたたび口を開いた。

「僕は確かに裏切り者だろう。でも本当に僕だけだろうか?」

 小さな一言は湖に放り込まれた小石のような波紋を見せた。誰もが途端に口をつぐみ、隣で釘バッドを構えスタンガンを持つ仲間たちを見回した。まさか森田のような勝手に人のレポートを丸写しする悪辣な男が他にも黙って紛れ込んでいるのか。彼らは疑心暗鬼に目を凝らし、血走った仲間の顔を見つめる。そして仲間を見ながら思った。よくよく思えば自分のような陰で女性の人気を密かに集めるような魅力を内包した誇り高き男の中の男に彼女がいないなどと本当に思われるのか。むしろいるのが必然。この世のことわり。どれだけ自分が否定しても嘘を吐くなと言われる自分が、疑われないわけがない。殺戮武器を手にした全員が思った。

 しかし「ここにいる者に疑いの余地はない」と鍵谷は一蹴した。

「少しは疑え!」

 会員たちは叫んだ。

 そこへ森田の言葉が響く。

「そこでふんぞり返っている鍵谷は裏切り者だ」

 部屋の中でどよめきが駆け抜ける。鍵谷は重たいコートを翻した。「そんなわけない」

 もちろん鍵谷は事実を口にした。鍵谷に彼女はいない。誰もが知っていることであり、彼のような稀代のリーダーシップを持った悪のカリスマと呼ぶべき男に惚れる女性はもはや人間でない。それが会員たちの見解であり、当然鍵谷に見合う彼女はいないし、鍵谷を彼氏として見る近づく女性もいなかった。森田はこの土壇場で嘘を吐いていた。森田は平然を装いながらもどん詰まりの袋小路に追い詰められた異端審問の場で、必死にない頭を回した。あらゆる角度、視点から己が生き残る道を模索した。せっかく男臭い仲間たちの目を盗み、手にした夢の恋人とのランデブーを邪魔されてたまるか。彼女を残して死ねるものかと奮起した彼は鍵谷を売って自分だけ生き残ろうとした。

 森田は嘘つきである。そのことは闇鍋遊戯会の者なら全員が熟知していることだった。本来の彼らなら二秒で森田の嘘など看破していただろう。だがその森田に彼女ができたことで、等しく全員が冷静な思考ができていない狂戦士にあった。そして鍵谷が万が一にでも彼女がいると言うのであれば、それを見過ごすことなどできようはずもない。巧妙な森田の嘘を、仲間たちは信じた。裏切りを許さない彼らの黒き友情の名の下、聴衆席から席を立ちぞろぞろと裁判長席へ黒山の人集りが動いた。弾けるスタンガンの電流、鷲掴みの赤いレンガ、130本の釘が刺さった木製バッド、毒々しい煙が立ち昇る試験管、それぞれが粛清の武器を手にして鍵谷を取り囲んだ。

「お前ら、あれは森田の嘘だ。騙されるな」

 碩学の裁判長の言葉は届かない。だがどこかの狂戦士のひっそりと呟かれた一言「確かドイツ語の講義で仲良く話していた女子がいた」は驚くほど耳に浸透した。

 次の瞬間、鍵谷は友情という名の黒い鎌に刈り取られた。

 裁判長を死神の生贄に捧げた外道、森田は姿を消した。


 森田は走った。

 大学構内を駆け回り、足取りを追われないように蜂のごとき俊敏さで動き続けた。食堂、総合館、コンピューターラボラトリ。そして行き着いた場所は経済学科の巣窟の3号棟の屋上だ。乱れる呼吸を整えながら今も躍起になって森田を探す闇鍋遊戯会の面々を見下ろした。

「ここに隠れていれば今日のとこは生き延びられる」

 そう考えた森田であったが甘かった。一息つこうと煙草に火をつけたことで立ち昇る煙を目撃された。慌ただしく階段を駆け上がってくる足音に気が付いた森田はすぐに一つ下の四階まで駆け降り、エレベーターに乗った。

 すでに乗っていた何人かの学生がギョッとする。また妙なサークルの奴らが騒いでいると思い、目を逸らす。そんな冷たい態度に心を痛める暇もなく森田は追っ手と入れ違いで一階へ降りた。

 3号棟を出ると、散っていた闇鍋遊戯会の数人と鉢合わせる。

「いたぞ!」

 森田は再び走り出した。

「僕は彼女のためにもまだ死ぬわけにはいかねえんだ!」

 森田は向かい側にある総合館の中へ入って行った。広々とした廊下を走り、講義室から出てくる学生たちの隙間を縫って逃げた。扉に向かって流れる人混みの中を逆流して行く森田に健全な学生たちは罵声を浴びせる。「あぶねえだろ」「こんなところで走らないでよ」

 だがそんな反感をいちいち買っていては森田に命はない。彼はすべて無視し、ちょっぴり傷つきながら走り続けた。必死で友情の運命に逆らっていた森田の耳に女性の声が聞こえた。

「森田君」

 彼は瞬時に振り返る。後ろに立っていたのは森田の恋人である三浦さんがいた。

「三浦さん!」

 ノートを抱えて講義を終えたばかりらしい三浦さんは眠たそうな目で森田を見た。

「何してるの?」

 首を傾げる彼女の愛らしさに胸を打たれながら森田は足早に去ろうとする。

「君とのことが奴らにバレた。僕はしばらく姿を消す」

「奴らってサークルのお友達?」

「そう。もう友人ではないけどね。君も僕のそばにいたら危険だ」

「でも、今日新しく駅前にできたクレープ屋さんに行く約束でしょ」

「そうだった! でも今日は無理だ」

 徐々に三浦さんと距離を空ける森田に彼女は柔らかい頬をぷっくり膨らませた。

「ひどい。行きたいって言ったのは森田君でしょ」

 まずいと森田は思った。山の天気のよりも変わりやすい三浦さんの機嫌を損ねてしまう。そうなったら森田はせっかくの幸福も無に帰すことになりかねない。すぐに彼女の近くに駆け寄った。

「悪いと思ってる。今度はちゃんと行くから許してくれ」

「森田君が行きたいっていうから私も友達との飲み会をキャンセルしたのよ。どうしてそんなに自分勝手なの」

「ツケが回ってきたんだ。本当にすまない」

「お金で解決すればいいじゃない。漫画を売った貯金があるでしょ?」

「深刻な問題なんだ」

 会員たちは森田の死、もしくは女性との縁を求めている。ハナから森田に解決できる範疇を超えていた。さらに森田という人情のかけらもない見下げるほどの逸材に彼女ができたという事実が粛清者たちを狂わせた。普段から恋人持ち男子学生を攫って闇鍋を食わせる屈折した男たちが本来手に負えるはずがないのに、今はなおさら手に負えない。森田は心底恐怖した。一刻も早く兵庫の端まで逃げなければ。

 しかし三浦さんも引かない。引かない彼女に事情を話し、百歩の譲歩をしてもプンスカ怒り続ける。すっかり話し込んでいたら闇鍋遊戯会が追いついてしまった。

「もう逃げられんぜ森田」

 出口を塞がれ、どこを見ても敵に囲まれていた。

「ああ、もうダメだ」

 八方塞がりの四面楚歌を前に森田は廊下に膝をついた。

「お前の幸福、俺たちがしっかり祝ってやるよ」

 二ヒヒと笑って天誅を加えようとした闇鍋遊戯会だが、森田の隣に立つ可憐な女性に気がついた。

「あなたは?」

 血走った目でそう言うと、三浦さんは「三浦です」と答えた。

 そっけない人だなあと先頭に立つ粛清者は思い、三浦さんを無視して森田に近づいた。スタンガンの威力を最大値にセットしたのを見た三浦さんは粛清者に声をかけた。

「あなたは森田君の友達?」

「ええ。昨日までは」

「彼をこれ以上追い詰めないでもらえる?」

 三浦さんは粛清者を睨んだ。

 粛清者はほんのわずかだけ沸騰した頭が冷めた。初対面からなんと不機嫌な女性だろうと思った。森田を庇うようなところを見てロクな女性じゃないなと軽蔑し、女性に庇われる森田に対してさらなる憎悪を募らせた。

「森田は大罪を犯した。これは正当な天罰なんだよ」

「あなたたちが追いかけ回すからクレープ屋に行けないんだけど?」

 きょとんとした粛清者は「あなたは?」と目の前の奇妙な三浦さんに尋ねた。

「三浦です」

「それは聞いた。森田とどういう関係?」

 粛清者は無防備に聞いた。それが自分にとって致命的な一撃を孕んだ質問だと知らずに。

「森田君とお付き合いしてる三浦です」

 三浦さんは不機嫌に答えた。それが粛清者たちの荒ぶる精神を破滅させる答えだと知らずに。

 質問をした粛清者はそこからの記憶をなくした。手に持っていたスタンガンを落とし、わなわなと震えた。後ろの粛清者は膝をつき、さらに後ろの男はつま先に釘バッドを落として痛みに悶える。その後ろの粛清者は持っていた失禁するほどの劇薬の試験管を落として取り囲む男たちと一緒に気絶した。

 俯いていた森田はその惨状を見て「何事?」とわからず途方に暮れた。

「よくわからないけどこれでクレープ屋に行けるよね?」

 三浦さんは微笑んだ。

 森田は黙って頷いた。地に倒れ伏すかつて友だった獣たちに視線をやる。哀れに尽きる彼らにせめてもの救いがあることを切に願った。だがどれだけ慈悲を求めても彼らは全て鍋にぶち込むだろうと思い、祈るのをやめた。

「この幸せは鍋の具にはできんな」

 森田は立ち上がって三浦さんの小さな手を掴んだ。


 三浦さんは教授に出し忘れのレポートがあると言ってレポートを提出しに行った。このあとは諦めていたクレープ屋に赴くことになっている。彼女はイチゴが大好きだからストロベリークレープを食べるだろう。三浦さんが口に生クリームをつけた姿を妄想しながら幸せを噛み締めていると、背後から何者かに肩を掴まれた。

 振り返るとそこには血まみれになった鍵谷が半裸になって立っていた。手には巨大なスコップを持っている。

「よお、幸せか?」


 三浦さんが戻るとそこに森田の姿はなく、電話をしても繋がらなかった。心底頭にきた彼女は一人でクレープ屋に行き、大好きなストロベリークレープを怒りに任せて頬張った。イケメン店員に「口に付いてますよ」と爽やかに指摘されて顔を赤くした。「ありゃあ魔性の男だ」と思った彼女はそそくさと店から出て心のお気に入りリストにクレープ屋を登録した。

 翌日、大学へ行くと学生たちがのどかに休む広場で首より下を埋められた森田を見つけた。餓死寸前、凍死寸前の瀕死の彼に通りすがりの学生たちが朝のパンの切れ端を渡していた。森田は涙を流しながら「ありがとう。ごめんね」と繰り返す哀れな男に様変わりしている。白い太陽を見つめて「今日も世界は眩しい」と悦に浸っていた。

「なんであんな阿呆な人と付き合ったんだろ」と彼女は途方に暮れた。



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[一言] むちゃくちゃ面白かったです……! この重厚な文章から紡ぎ出される世界観、クセになりますね。 設定がいちいち面白くて一気読みしました。かなり殺伐とした状況下で三浦さんの可憐さ、天真爛漫さが一際…
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