第十八節
私に注がれる愛情にいびつなものを感じたのは、
母の胎に弟が出来た時だった。
それがどういうことなのか、幼い私には理解できなかった。
そして理解しなかったことは正しかった。
父は耳長、母はヒト。
この二つの種族を合わせても、生まれるのは耳長かヒトのいずれか。
私は――ヒト。
父はこの町で代々薬師をしていた家系の耳長で、
耳長の前妻を亡くし、ただのヒトである母を迎えた。
どういう経緯があったかは分からない。
普通に家同士の見合いか、それとも何か大恋愛でもしたのか、
はたまた金に困った母か父が買われたのか。
いずれにしてもその二人の間に、私はヒトとして生まれた。
父には私より前に二人の娘、姉がいた。
その二人ともが聡明で美しく、気高い。
薬師として父の事業を手伝う姉。
もし他の都市で開業しても、たちまちに薬師の大家となっただろう。
姉が後妻である母を見る目は冷ややかだ。
その子で、ヒトである私を見る目は更に冷ややかだ。
ある時期まで父は末娘の私を愛してはくれた、と思う。
だが家の中に私の居場所は少なかった。
産声。
弟の誕生を無邪気に喜ぶ私。
それ以上に喜ぶ母、そして父。
弟は耳長だった。
扱いはすぐには変わらなかった。
少なくとも母からのものは。
だが父親からの扱いはすぐに変わった。
それはそうだ、ヒトの娘など自分の子か分かったものではない。
耳長ならばヒトの子であるよりも、
自分の子である可能性が飛躍的に高まる。
当然の帰結。
弟の面倒を見る母、仕事をする姉二人、そして父。
私には居心地の悪さの理由など分からなかった。
何となく感じる弟の所為だという感覚で、弟にちょっかいを出すと、
即座に母の手が飛んできた。
当然、父の手も飛んできた。
幼い私の“現実”に居場所はなかった。
他所の都市でのことは分からないが、
薬師の家柄ということは言ってみれば、
学者の家系であり研究者の家系でもある。
家には無数の本があり、私はその中に逃げ込んだ。
意味など分からない。
それはそうだ、薬師の専門書。
子供が読み解けるわけもない。
だが、私の“現実”はそこにしかなかった。
娯楽の為の絵本?物語?
うふふ そんなもの全て弟に取り上げられた。
目、視線。
家の中でのそれらは冷たいものだ。
ならば外は?
考えて欲しい、不義の子と家の中で疑われた子が、
“家の外”でどう見られるのかを。
実際には私をそんな目で見る人間はいなかったのかもしれない。
と私はいつも思いたがっている。
だが、弟が生まれた時点でもまだ幼かった“私”が、
外で感じる視線は――。
耳長には分かりやすい特徴がある。
秀麗な顔立ち、尖った耳、そして…生まれつきの魔力。
童身族や剛体族とは違い、
“魔印”ならば得られるという奇妙な体質。
私が愛されないのは、耳長ではないからだ、とは認められなかった。
幼い私には子が子であることは絶対だった。
うふふ 今思えば滑稽な話だ。
つまるところ私は自分に何かが足らないことが“悪い”、
と思い込むようになった。
まあ大人が読み解く研究書を読むようなマセた子だ。
実力さえあれば認めるだろう、という安直な発想だったのだろう。
私は十になる前に“人印”を取得した。
正確には八つの頃だった。
これはハッキリ言えば今でも私の誇りだ。
人印取得、つまり“大人”と認められるのは、
早くとも十二以上が殆ど。
遅いヒトは十五を超すらしい。
私は自分が天才と自惚れるに足る功績を残した。
父も、母も、姉も、弟も、世間も、
これで私を見直すだろう!
うふふ
何も変わりはしなかった。
確かに私は才能あるヒトだったかもしれない。
だが、所詮は誰しもが得られる
――偶に帰ってこない子もいるけど――
人印なんぞ、どれだけ早く得ようともただ早熟なだけ、
それが“皆”の評価だった。
うふふ それが分かった時、私は久しぶりに泣いた。
何度も我慢した涙はその時は我慢できなかった。
泣きながら何度も笑った。
いや嘲笑った。
自分を。
ならば、ならば!
“力印”ならばどうだ!!
愛されたい、その一心。
私はヒトを超える努力を始めた。
人印の取得は、完全な共通語の取得を意味する。
何故か知らないが共通語は“何らかの形で”更新されるらしい。
古くなることもなく、何故か新しい言葉がその中に含みこまれる。
おかげで私の本読みの性向は加速した。
研究書に書いてあることを読み解くのは楽しかった。
と言うよりはそれ以外に楽しみを得られなかった。
弟には十全な教育が施され、私は放置された。
黙っていても勝手に学ぶ、と思われたのか、
それともやはり学ばせる価値なぞない、そう思われたのか。
うふふ 多分後者かな……。
“力印”。
一握りのヒトが手に入れられるヒトを超えた力。
耳長でも相当の努力をしなければコレ相当の力を得ることは難しい。
私は十二で得てやった。
うふふ、うふふ、うふふ。
お前はもう一人でやっていけるだろう
?
金は出してあげよう
??
自分の店を構えなさい
???
そんな!!
ものは!!!
求めてない!!!!
ああそうか、私はこの人たちの家族ではないんだ。
ようやく分かった。
もういい、金だけ受け取って出ていく。
それでいい。
それがいい。
町の一角の古い家を買い取り、
薬師道具を揃え、
私物を移動し終え、
あとは我が身のみ。
見送りは母と父と弟と。
姉二人は来ない。
家業の主人である父と違って、手を離せない現場の人たち。
三人とも喜んでいる。
凄く。
うふふ さようなら、お元気で。
今までいたのは仮庵
これから住むのが本物の私の家。
いやまだだ、受け取った“借金”が残っている。
お前たちのものなど何一つ私の中に残すものか。
客商売。
本の中という“現実”にいた私には所詮不可能だったのだろう。
日々食べるにも困る始末。
外に出て、魔物でも狩ればいいかな?
冒険者にでもなれと?
その時、
私の名前が、
名声が、
私の邪魔をした。
“彼の家柄の才女”
“彼の薬師家系から生まれた天才”
冒険者や傭兵がまず私を評する時に使う阿諛。
私は……?
私自身の努力は?
全部“血”のお陰だとでも言うの?
勿論彼らにそんな気はなかっただろう。
だが私には――!
その結果がこれ。
飢えて、奴らに返す金さえも稼げないありさま。
あいつらの世話になった客など見たくもない!
そんな思いから客自体も選別してしまう。
うふふ 馬鹿な女。
もって、あと数日。
数日で飢えて死ぬ。
奇妙なことに“力印”持ちは補給の回数、
つまり食事の回数が極端に減る。
正確には“必要な”補給の回数が三分の一以下になる。
そして排泄も減る。
食べたら出る、というのはまあ一般人が考える俗説で、
人間は食べなくても出る。
腹の中の“垢”が出るようなものだ、
と言うのが薬師・回復術師である私が知る事実。
その頻度が減る理由は分からない。
そして食べても排泄回数は増えない。
そう言えば“力印”を得てからは、
体外の“垢”も極端に減ったっけ。
そんな生き残るのに圧倒的に有利な“力印”持ちが
“飢えて死ぬ”。
うふふ
うふふ
うふふ
私は笑う。
笑うことで泣くことを隠す。
そうでないとつら過ぎて。
そうしないと自分自身の喉を掻き切ってしまいそうで。
誰にも愛されず、誰も愛さず、
現実には全く居場所のない女が飢えて死ぬ。
ただそれだけのこと。
光。
いや、闇だ。
これは……知っている。
瘴気。
魔宮が、魔窟が生じる異常な魔力。
飢えた私の感覚はそこまで狂ったか。
うふふ
目を覚ます。
飢え死んでいない。
それでも酷い飢餓感。
窓の外の光。
いや、闇。
今は朝なのか昼なのか夕なのか夜なのか――。
ふと、外に出る。
何が解決するわけでもないのに。
ひとが歩いている。
捻れた ひと。
裏返った ひと。
なにかが足りない ひと。
なにかが増えた ひと。
けものが歩いている。
自然には存在しない けもの。
幻想的で悪夢的な光景の中をフラフラと歩く。
辿り着いたのは奴らの家。
今更何の用だろうか?
自分に言い聞かす。
食わせて欲しいと泣きつくか?
うふふ
正面の扉から入る。
今出来る精一杯の営業妨害。
あら、お姉さま、お元気でしたか?
二人で
つながって、
ねじれて、
うらがえっていらっしゃいますけれど、
お客様のお相手はよろしいのですか?
店から家の中に入る。
使用人は皆つぶれている。
全く、怠惰な奴らだ。
私の部屋だった場所。
中には母と弟がばらばらになって蠢いている。
ごきげんよう、お母様、そして――――。
ええ、帰ってまいりましたの。
実家に寄るくらい、普通の子供はする事でしょう?
お父様はどちらに?
そうですか、教えていただけませんか。
あいも変わらず意地の悪いことですね。
書斎かしら。
コン、コン、コン。
失礼します、不肖の末娘ですわ。
どうなさったのですか?
何故そんなにもあなだらけで、ふえていらっしゃっているのですか?
誰もかれも応えても下さらない。
うふふ 酷い。
ここまで無視されるのは初めてだ。
うふふ
家を出る。
埒が明かない。
と言って行く場所などないのだが。
ゆらりゆらりと当て所なく歩く。
――影。
ごきげんよう、申し訳ありません、お名前を失念してしまいまして。
あなたはどちらさまでしたかしら?
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故郷が異界化した時の記憶。
挽かれる肉が思い出すとは笑える冗談だ。
うふふ うふふ うふふ うふふ うふふ
うふ… ふぅぅうぐ… ひっく… う"ぇ…
――最期ぐらい泣かせてよ、もう、いいでしょ。
第十八節:とある回復術師の一生




