第十五節:“業(わざ)”
これが普段の生活でも、頭が行かれた女が迫ってきている、
と判断するだろう。
いくら肢体や表情が妖艶であっても。
ましてや目の前にいるのはイかれた異形。
本当に思考は理解できない。
だが――
こいつに抱き着かれることは危険どころではない、
勘が告げている。
足の速さは少女並み。
言ってみればただの子供だ。
直前で避ける、のではなくさっさと避ける。
距離を取る。
抱き着こうと走り寄ってくる。
避ける、距離を取る。
…
何度も繰り返している内に屍動者が更に増えている事に気付く。
なるほど、最終的には避ける“間”もなくす気か?
「うふふ」
動きが止まった?
何をする気だ?
-
ふらふらと動いていた屍動者の群れはいきなりその動きを変えた。
獣が走り寄るごとくに四肢の全てを地に付け、
生気かもしくはそれそのもののない眼は全てカイレキに視線を注いでいる。
その身は脆くとも獣の速さとこの量、本体がただの囮、
とは思わないが、意外と頭を使ってくるものだと感心するカイレキ。
この動きこそカイレキの狙い通りの動きではあるが。
必要最低限の発砲。
それ以外は紙一重で避ける。
一度でも捕まればなし崩しではあるが、体力を削られ切ることになるだろう。
ただし、これで力印持ちが捕まることはまずない。
そして――不気味な本体の抱擁。
強大な敵が、こちらを削れもしない雑魚を駒にしている。
それらがどんな結果を求めてなのかがカイレキには分からない。
だが少なくとも互いに手を隠している、それだけは分かった。
避ける。 避ける。 避ける。 避ける。 撃つ。
避ける。 撃つ。 避ける。 避ける。 避ける。
撃つ。 撃つ。 避ける。 避ける。 撃つ。
避ける。 撃つ。 撃つ。 撃つ。 避ける。
撃つ。
発砲の回数が増えてきた。
と言うよりは屍動者が犇めいてきた。
異形の女との距離は十二分にある。
このまま圧死でも狙うのか、と嘲笑うかのように観察するカイレキ。
場の空気が冷える。
狙うものを出す気だな、と“裏切る者”は正確に機を測ろうとする。
最早、足の踏み場ものなく、
と言うよりは屍が足の踏み場になり得る量だ。
飛び上がり、片手で壁を掴みながら、見下ろす。
女の位置は変わらない。
そして女の周囲、その一定範囲には屍動者がいない。
相変わらずの笑顔。
-
不気味、と言うよりは過大評価だったのか?との疑問が湧く。
次の瞬間を目にするまでは。
急に床面が見える場所が出来る。
いくつも。
目を凝らすまでもなく、何が起きてるのかが分かる。
大きな影が其処等彼処で見えるようになる。
「融合か!」
時間稼ぎが奴の目的なら、これまでの全てが演技。
機と間合いを測っていた自分が馬鹿らしくなる。
大きな影が一つ、二つ、三つ…と増えていき――
そしてまた減っていく。
より大きな影になって。
融合の最中に攻撃すればどうなったかは分からない。
だが、床を埋め尽くす屍肉に一撃二撃加えた程度で融合を阻害出来たとも思えない。
さあ、見せてくれ、どうなるかを。
目の前にあるのは四本のボコボコと隆起した柱。
視線を上げると極端に狭い拱門のよう。
柱は二本一対で統合している。
更に上を向くと見えるのは塔とも言える肉の塊、その両脇に突き出す横向きの柱。
これ以上は上を見なくともこれの正体が分かる。
“女”を襲っていた魔物の巨大版。
それが二体。
巨大。
少なくとも最初の魔物の3倍弱か。
突如、視線を感じる。
女の異形の、ではない、上からの視線。
ゾッとする感覚
この類の魔物は
デカさと
動きが
反比例しない。
身体の位置を即座に数間だけずらす。
まるでこの“女”を助けた戦闘の再現。
直後、今までいた場所に柱の先端が降ってくる。
――屍のこん棒…いや柱か――
床は凄まじい音を立て破壊され、凹んでいる。
だが、あの時とは違う。
もう一度、即座の退避。
破壊される床。巨大な破砕音。
尚も退避。
破砕音。 凹む床。
上級正規兵と正面からやりあったジョーイチの気持ちが分かる。
これは……堪らん!
相手は二体。
しかも互いの肉体への衝突を気にしない。
互いに互いの攻撃で身体を削り合いながら執拗に俺の身体を狙う。
削れた肉はウネウネと再生を始めている。
…。
幾度となく破砕音が響く。
この広大な通路の壁も床もあらかた破壊されている。
よく崩壊しないものだ。
当たれば必殺だが、動きは頗る単調。
ただ、数が多いだけ。
無限に動くだけ。
「銃が…効く相手ではないな。」
誰が聞くわけでもない独り言。
いや、これは精神的な切替。
そして“判別の為の魔道具”を“隠蔽する結界”の切替。
当然、隠蔽の為の結界は消失する。
一丁は左の懐に。
一丁は右の腰に。
仕舞われた銃の代わりに構えるは――
拳。
ジョーイチが見たらそれこそ驚愕するだろうな。
あり得ない光景に思い浮かべ、口角が上がる。
視線を女に向ける。
ヘラヘラとしながら、フラフラともしている。
今は無視。
まずはデカ物の処理だ。
-
体術的な構えの男。
“表の彼”を知るものが見れば雰囲気が全く違う、と評するだろう。
挑発的な視線、攻撃的な笑み、何より溢れ出る自信。
巨大な柱…こん棒の攻撃が再度男を狙う。
避けない。
いや、肌が触れるか触れないかの位置に移動している。
衝撃は自発的な防御結界で緩和する。
攻撃直後の攻撃地点は巨大な魔物の死角。
それが男の導き出した結論。
上に持ちあがる巨大な、柱の如きこん棒を駆け上がる。
当然それを狙ってもう片手の魔物と、もう一方の魔物のこん棒が振り下ろされる。
加速。
巨体の手に到達する。
こん棒に加えられた同士討ちは衝撃は伝わるものの、
折れることも凹むことも壊れることもないようだ。
巨体を駆け足…と言うにはあまりに速く駆け上る男。
もう一方の魔物の追撃。
全く追いつかないはずの速度だが、男のいる位置は追撃のこん棒の真横。
次はこちらだ、と言わんばかりにもう片方の巨体に向かう。
柱のようなこん棒を伝って。
玩ぶかのように、嘲笑うかのように。
巨体の身体をその攻撃で同士討ちさせながら、その巨体を隅々まで駆け回る。
異形の女は変わらず笑っている。
-
“アレ”に変化なしか。
勝算があるのか?
正気がないのか?
単に「物」同様になってるのか?
まあいい。
こちらも仕込みは終わった。
あとは実行するだけだが……。
あの巨大な肉を女に近づけるか。
距離的にも最も効果的で最も確実に。
幾度ともなくスレスレで避けた巨体の攻撃を大きく避け、異形の女に近づく。
女はこちらを見て抱き着こうと走り寄る。
―近づくとやることは変わらないのか―
女の抱き着きを避け、巨大な肉をこちらに引き付ける。
そして、
再度、加速。
女と巨大な肉二つはとても近く、そして俺との距離は割と充分。
と言っても、肉が走ってくれば即座に詰められる距離。
女がゆっくりとこちらを振り向く。
巨大な肉は走り出そうとする。
いや、こん棒をぶん投げる気か。
それは勘弁だな。
だが俺は
構えを解く。
右手を軽く前に突き出す。
人差し指を立てる。
女は笑っている。
俺は――人差し指を軽く回した。
-
突如、無数の魔力の“線”が異形の女、巨大な魔物、もう一体の巨大な魔物にいくつも渡る。
片方の巨体が武器を投げようとし、もう片方がこちらに走り寄ろうと体勢を変える。
女は変わらない。
だが、男の笑顔はいつもの貼り付いたものに変わった。
音。
大きな質量を持つものが落下するような。
いや、落下している。
二体の巨大な肉が。
切り裂かれて。
いや、巨大な肉でさえない。
それは綺麗に切断され、細切れになり、
バラバラと崩れると言うよりは、内部から切り刻まれるかのように。
女にも同じ効果が出るように“針”を打った。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
気付かないはずはなかっただろう。
だが…。
「針はただの目印。
冒険者、傭兵、まして正規兵士ならば必ず避けるか解除するだろうが――。
イカレた女ならば避けもしないか。」
疑問と安堵のつぶやき。
目の前には大量の土埃が舞う。