第十三節:潜(くぐ)る死線は、一生分の跳躍で
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女の異常な行動に臨戦態勢に入る丈一とカイレキ。
だが――何故か攻撃出来ない。
未だ敵ではない、という可能性が最初の一撃の覚悟の邪魔をする。
女が身に着けているものは軽装だ
纏い、
胸当て、
服。
順に脱ぐ女。
素肌が見える。
その瞬間――。
衝撃音。破裂音。破裂音。衝撃音。
そして、完全に戦闘時の位置取りをする二人。
晴れる砂埃。
女の身体に傷はない。
纏っていた布は全て無くなっているが。
沸き立つ、
という表現。
それは液体でこそ成立する。
だが、その実態が
固体で、
しかも人体の顔の部位を“泡”として成立していたならば、
どうだろうか。
男二人の目の前にあるその異形の身体は、
目、
鼻、
口、
耳――
顔の部位が泡立つかのように、現れては消え、現れては消え、
を繰り返していた。
湯が沸きたつように。
異形への嫌悪感と、どのように戦ったものかとの逡巡。
次の瞬間。
大きな破砕音。
真横で。
グラグラ、バラバラと壁が崩れる。
否、部屋の内部に向かって破壊さている。
((うふふ))
これだけの為の念話。
だがその笑い声は全くの殺意に塗れている。
崩れた壁の向こう側から現れたのは屍動者。
大量の。
二人の男の表情が変わる。
この女がこいつらを生じさせていたならば、
量が減らないのは当然と言うべきか。
しかし、二人の驚愕はその“量”に対してではなかった。
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女のわきに現れたのは白地の纏いに青の紋章……。
苦笑いも出来やしない。
上級正規兵が“屍動者”かよ!!
あの死体か!
あの端部屋の死体か!!!
ちゃんと調べておくべきだった……!!!!
女も、大量の屍動者どもも
ゆらり
ゆらり
と間合いを詰めてくる。
さっさと殺す必要もない、それだけの戦力差。
俺の後悔なぞ気に留めもしていないだろう。
女の目、と言ってもどれを指して言えば良いのか分からないが、
とりあえず頭に付いている目は座ったままこちらを見ている。
笑顔。 笑顔。 笑顔。 笑顔。 笑顔。
笑顔。 笑顔。 笑顔。 笑顔。
笑顔。 笑顔。 笑顔。 笑顔。 笑顔。
あまりに暗くて、あまりに“無邪気”なその笑顔に戦慄する。
ヒトの表情ではない と思う、少なくとも俺は。
ジリジリと壁側に追いつめられる俺とカイレキ。
突破する“機”が見つからない。
((大通リノあれ、出来ルカ?))
((そりゃ、このゆっくりさならばな、
だがあの二体に通用するとは思えんぞ。))
―力を手に込める―
異形の女と上級正規兵の屍動者、
正直隊員が全員揃ってようやく対処できるかどうか。
((アノ女ワ、今ワ自分デワ攻撃シニ来ナイ
上級正規兵オ倒サナイ限リ 恐ラク))
そういう判断か。
―女が込められた力を感知する様子はない―
まずはあの死んでる上級正規兵を対処する気か。
だが……。
((その後は?
消耗しきった状態で勝てる相手か、アレが!?))
無尽蔵に屍動者を発生させてくるような化け物には、
例え二対一の状況に出来たとしても勝ち筋が全く見えない。
それどころかアイツがこの事件の元凶の可能性さえある。
「それは俺一人でやる」
不意に実体の声だけで。
そしてそれを引き金に。
部屋そのものを吹き飛ばすか、
というほどの衝撃。
拳から放たれたただの物理衝撃波は雑魚を粉々にする。
あの女は肉が、上級正規兵はマントが揺れるが、
当然、それ以外は微動だにしない。
だが、一瞬の時間的・空間的な隙。
申し合わせたかのように同じ出口に向かう俺とカイレキ。
身動きもしない、敵二体。
出口まであと少し!
!
目の前には骸の貌。
冗談だろ、初動をここまで遅くしておきながら、
俺たちの先回りをするのかよ!
だがここまでは予想通り、
反対側直線状に別の出口がある事を勘案しての策。
そちら側でないとデカい通りに出られない。
狙いは逆方向。
上級正規兵はその武器を振り下ろそうとしている。
この時点でそこまで見えてるならもう避けられない。
「普通ならな!」
左手に込めた力を衝撃波として解放する。
今度は魔力も込めて。
上級正規兵の体勢が一瞬だけ固まる。
―ほんの一瞬―だがその一瞬よりも速く、
俺たち二人の身体が後ろに吹き飛ぶ。
空当てと衝撃波の応用・併用。
当然、洒落にならない身体的負荷。
部屋の出口から廊下に転がると即座に起き上がり、逃げる。
直後、自分たちが着地した場所が破砕音と共に抉られる。
魔道衝撃波で攻撃を遅らせなかったらアレが直撃か……!
今追いつかれたら確実に死ぬ。
「それで!?
お前一人でやるってどういうつもりだ!!?」
並走しながら今しか出来ない確認。
あと少しで敵は追いついてくるだろう。
「お前に……
“うち”の業を見せるわけにはいかないだろ。」
真顔。
完全に。
こんなこいつを見たのは初めてだ。
そこまで覚悟を決めたのか。
だが
「一人でやろうにも、俺の行き場がないんだけどなあ!?」
そう、次の階への“入口”…今となっては“この階の出口”がない。
「あいつが転がってた部屋、そこ以外あるまい。
あそこにあるからこそ、上級正規兵で偽装したんだ。」
なるほど、お前頭いいな!
アイツが異界化の元凶じゃなければだけどな!!
「つまり、賭けなんだな。」
「ああ。」
その瞬間に広大な通路を左右に跳躍する。
魔宮を貫通するかのような“飛ぶ斬撃”が俺たちのいた場所を抉る。
大気が震え、余波だけでも身体に『ダメージ』が及ぶ。
跳躍どころか身体が吹き飛ばされる感覚。
“斬衝”とか言うらしく、俺の拳の衝撃波と原理は一緒らしいが……
この威力は卑怯だろオイ!
連続して壁に着地し、即座に次の地点に目星を付けまた跳躍。
当然の如く直前の場所に“斬衝”。
大気を震わせるどころか魔宮自体を破壊しかねないほどの威力。
避けているだけなのに致命傷になるのも時間の問題だ。
((予想外過ギル…!))
だよな、屍になってるのにここまで強いとは思わないよな。
跳躍。そして、体に伝う敵の攻撃の余波。
跳躍。斬衝。
クソ、どうしろって言うんだよこれ。
跳躍。 斬衝。
壁が
跳躍。 斬衝。
床が
跳躍。 斬衝。
身体が削れる!
跳躍――――。
いや、攻撃は…斬衝だけか。
((屍動者はどういう基準で攻撃手法を選んでるんだと思う?))
跳躍。斬衝。
天井が削れる。
((……基本的ニ思考デワナク
身体ニ染ミツイタ攻撃行動オ
採ッテルニ過ギナイハズ))
跳躍。 斬衝。 跳躍。 斬衝。
地形が変わる。
ならば武器さえ落とせば魔力の流れ自体が成立しなくなって、少なくともコレは無くなるハズ…!
まさか武器まで含めて再生はしないだろう。
((何カ案ガ?))
跳躍。 斬衝。
攻撃の余波で身体が吹き飛ぶ。
((とっておきがある…
…あるが、攻撃と留めはそっちに任せることになる。
……いけるか?))
跳躍。 斬衝。 跳躍。
体勢を立て直す前の目の前にはすでに敵の攻撃。
カイレキの魔法銃から放たれた衝撃で吹き飛ばされる。
吹き飛ばされながら整える体勢。
敵と自分との位置の確認。
着地。
((ドコオ狙ウ?))
斬衝。
「当然――腕だ!!」
今向かってくる斬衝とその衝撃圏を紙一重で避ける。
と言ってもやはり伝わる衝撃の強さは半端ではなく、
身体への負荷は非常に大きい。
――奔る魔力の見える幅は最大で『10m』強、厚みは『15㎝』。
物理的衝撃波そのものの致命的範囲は、
さらにその両側に『10㎝』ずつってとこか――。
次いで飛んでくる横薙ぎ。
前方上に跳躍で避けると読んでいたかのように既に次弾が。
「冗談キツイな!」空当ての足場で即座に前方左下に跳躍。
ジグザグの動きで少しずつ間合いを狭める。
((後ろは!))
斬衝。 跳躍。
もはや
((大丈夫だよな!?))
斬衝。 跳躍。
周囲の
((無論ダ))
あと『20m』ほど。
斬衝。 跳躍。
変化は
斬衝。 回避。
気にしていられない――!
ここからが、この距離からが完全に死線となる。
回避だけでは対処しきれない。
迫るは屍動者上級正規兵の斬衝。
対するは、俺の拳。
真正面では受けない。
使うのはここでも衝撃波。
動きが!単調なんだよ!!
心の中での精一杯の強がり。
精確な先読み、ではない。
着弾点を予測し、その分だけ斬撃を逸らすために、
薙ぎの衝撃波を放つ。
少なくとも致命傷、致命的欠損だけは避けられるように。
上級正規兵の攻撃ともなると、
攻撃を逸らすだけでも甚大な魔力を消費する。
もって……10撃!
時間が遅く感じられる。
感覚も相手の動きも早くて速いのに、自分の体の動きだけが遅い。
相手の攻撃はすぐさま目の前に来る感覚。
両手を前に突き出す。
相手の攻撃が、自分の死が起る、その感覚。
“起る”と感じた場所、
そこから死線を逸らす為に掌から放つのは魔力衝撃の“盾”。
当然敵の攻撃の余波は殆ど防御も回避も出来ない。
逸れた攻撃が地面を抉る。
大きく跨いで次の攻撃をいなす。
肩の防具が削れる。また一歩。
左半身の骨にいくつかひびが入る。また一歩。
身体のど真ん中を縦に狙う攻撃。
半身を前に二歩分。逆の半身を半歩。相手に向かって横を向く。
片手ではなく両手を返し、その甲で“盾”を放つ。鼻血、吐血。
また体のど真ん中を狙う攻撃、次は横薙ぎ。真上に跳躍。
天井に足が付く。当然のようにそこを狙ってくる一撃。
相手に向かい跳躍しながら両手の盾。
斬衝は連続で真下に飛んでくる。
蹴るはずの空当ての足場に直撃する。
斬衝で足場が削られ、前に倒れ込む感覚。
否、その反動を利用して相手に向かって跳ぶ。
ここからはさらに先を、さらにさらに先を読む。
薙ぎ、盾、逸らし、連続攻撃のように。
着地後の攻撃をいなし、構える。
更に飛んでくる攻撃を再度逸らす。
着地地点と相手との距離は『15m』弱と言うところ。
再びの満身創痍。
これだけ進むのに、この消耗。
一生分の『跳躍』を、一瞬でやった気さえする。
そして、この消耗ではもう“盾”は不可能。
ははは。
これでいい。
敵は淡々と、まるで機械のように淡々と、斬衝。
その瞬間。
突進。
避けるでもなく左拳を突き出し、
脚に込めた力を解放するように。
拳の前には敵の攻撃。
直撃すればひき肉か。
「そうはならないがな。」
左拳が纏う半径『1m』弱の球状の魔力。
触れた“斬衝”は、その破壊的威力を範囲が拡がる前に弱め――
身体には届かず段々とかき消える。
“円月”ってとこか、
格好つけて名前を付けるなら。
飛び込んだ相手の懐。
掴むは剣を持つ右手。
一瞬だが動きが止ま……らない!
敵の左拳が右上から迫ってくる。
円月の影響圏に入っても、この速度で殴られれば死ぬ。
そして 攻撃は 円月の中に。
破裂音。 巨大な。
上級正規兵だったモノの左腕は砕け散る。
そして攻撃に動こうとする残った右腕。
掴んだ俺の左手、左腕、左肩、左半身が軋む。
破裂音。 二度目の。
真上からの一撃は上級正規兵だったモノを脳天から打ち抜き、
中心から縦方向に肉を挽いていくかのようだ。
右腕に全く残った力を受けるわけにもいかないので、
体勢をずらし手を放す。
本体を失った剣と腕だけが中空をクルクルと飛んでいく。
冗談みたいな光景だ。
「くくく、は、は、は、はは!!!」
もう笑うしかない。
と言うよりも緊張の糸が切れた所為で自然と笑ってしまう。
さっさと身体の回復に力を割かないといけないんだけどな。
「……すまんな。」
謝るカイレキの表情はやはり真剣そのものだ。
今更、俺にだけ負担をかけたから謝りたい、
とでも?
…
…
「は、は、気にするな、俺だってお前と殺し合いたくない。」
鼻血のお陰で上手く鼻で笑えない。
お互いの事情に恨みとかそういうのを抱く段階じゃねえだろ。
なにより、
「だが、本当に一人でいけるか? 多分これ以上だぞ?」
そう、まだ終わっていない。
あの女をどうにかしないことには、何も終わらないのだ。
無言の、苦い笑顔。
更に言えば“出口”が本当にあそこにあるかは分からない。
もしなければあの女が元凶か、
それともあの女を倒さなければ“出口”が現れないか
鼻血が止まる。
痛む身体に魔力が行き渡る。
怪我はまだまだ治りそうもない。
「もしなかったら……戻ってくる。
その時は素直に奴とやって……お前ともやるさ。」
痛みで上手く笑えないが、精いっぱいの皮肉と冗談。
互いに声をあげて苦笑。
感応波が反応をする。
ヒト。
俺たち以外の。
つまりあの女か。
「行け、後は俺の仕事だ。」
張り付いた笑顔。
素は終わりか。
いいさ、末期の貌は見せてもらった、
って事にしとくよ。
目的地は一緒でも同じ道を行けない
ってことはよくある。
だから別れの言葉は交わさない。
アイツは裏切り者で、別の“裏切り者”を狩り、
俺はこの隊で任務をこなす。
まあ次の階に行ければの話なんだけどね。
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