第十二節:キリがないものは切ってしまえ
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男が丈一に特に念入りに身体と頭に染み込ませたもののがある。
『向こうの世界の“ゲーム”やら“漫画”やら、そして現実と違い、
この世界の現実には基本的に誰かが誰かを回復させる、
という技術に乏しい。』
真剣な顔で神妙に、そして暗い眼差しで聞く丈一。
その姿はベッドの上で包帯にだらけ。
その包帯も決して清潔な布で作られているとは言い難い。
四肢の幾らかは明らかに折れ、
包帯の隙間からは未だ塞がらない傷が見える。
当然の如く出血は止まっていない。
にじみ出る血。
男は話を続ける。
『だがないわけではない。
問題はそれが非常に高度な技術、というところにある。
そして複数人を対象にしたり、
離れた場所にいる対象にそれを掛けることもできない。
相手に触れ、
その相手だけを時間をかけて回復させることしか出来ない。
傷を一瞬で塞ぐ、
などという芸当は超一流とも言える術師でさえも困難なことだ。』
丈一は何か声を出そうにも唇が動くだけ。
『私は今から君の傷に触れ回復術を掛ける。
君にとっては辛い思い、いや“地獄”だろう。
回復には身体的な苦痛も伴う。
そして残念ながら私は超一流ではないし、
回復術が上手いわけでもない。』
暗い眼差しはそのまま。
顔の表情も変わらない丈一。
『君がもし“終わる”ことを望むならば……何も言わず、
まばたきを何度かしてくれるだけでいい。
出来る限り楽に終わらせよう。
だが。』
男の言葉が一度止まる。
『だが“続ける”ならば、呻きでもいい。
何か声を出してほしい。
声さえ出せないならば私が次に……。
……次に声を出すまで目を瞑ってくれているだけでもいい。
さあ もう時間がない。
答えを。』
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「あ、あの」
不意に女の声。
ハッキリとした、しかしシッカリとしているとは言い難い声音。
「す、すみませんでした、取り乱して。」
あの状況下で“回復術師”が取り乱すな、と言う方が無理がある。
“あの人”に助けられて初めて教わったことが回復術の専門性だったな。
自分で自分の身体の回復力を上げるのとはわけが違う。
それを身を以て体験させられた。
「もうよろしいのですか?」
異様に通る声、ではなく普通の声。
なるほど。
アレはこの女には聞かせられないそっち側の“業”ってことか。
あれ?
うちの隊、割とこいつに見くびられてない?
「は、はい。あのお二方、よろしければ回復術を……」
この申し出は途轍もなくありがたいが、
「お気遣いなく、現状の我々はそこまで消耗しておりません。
これ以降の戦闘で消耗した時に御助力願えれば嬉しいのですが。」
確かに。
わかりました、と頷く女。
ふぅ、さて身支度と……腑分けをして出発だ。
魔物の身体はその殆どが溶けてしまっているが、
骨と皮と一部の脂肪は残っている。
だが“影食い”戦で入手したものを消費するまでもなかった現状、
まあ、これは必要ない。
たいまつも行動人数が複数になった時点で敵を無駄に引き寄せるだけなので、使わない。
結局、解体の苦労への対価はなし。
まあ魔魂みたいなものが手に入る方が異常事態なのだけれども。
この後にどう進むか。
部屋のもう一つの出入り口から繋がる部屋は、
行き止まりなのが見て分かる。
死体が転がっているだけ。
となればここを探索するのは後の方が良い。
わざわざ行き止まりに入って退路を断つ必要もない。
この部屋自体が既に行き止まりの一歩手前だというのに。
それに敵はまだ健在だ。
相当数の屍動者を破壊したにも関わらず、
あの『オーク』を倒したにも関わらず。
「貴女は中衛ということになります。
前はこの男で、後ろは私です。」
隊列と言ってもまっすぐに一,二,三,と並ぶだけ。
まあ前と後ろが感応波で敵を感知するだけでも全く違う、
だから何の問題もない。
回復術師には回復術に専念してもらう。
これはどの部隊でもほぼ『セオリー』だ。
「わ、わかりました。」
……本当に頼りない。
何でこんなのが上級正規兵なんだろうか?
そこまで術の腕がいいのか……?
衝撃音。
衝撃音。
破裂音。
衝撃音。
破裂音。
破裂音。
三人でこの階を廻るが、
延々と弱い屍動者を破壊し続ける作業が続いている。
次の階への“入口”も見当たらない。
おかしい。
「あ、あの、回復術はまだ、大丈夫ですか?」
ああ、おかまいなく、消耗してないんで。
と言えるほどに脆い屍動者しかいない。
((どう思う?))
念話でカイレキとだけの密談。
((俺ワ分カラン))
……それだけか。
気楽なもんだ。
おおよそ全ての部屋を廻り、全ての部屋の敵を一度は倒した。
と思う。
だが感応波には未だ相当数感応している。
幻影か何かか?
とも思うが、それにしては意図が分からない。
精神的な消耗があっても、
魔力的、肉体的消耗がない状況を生み出して何になる?
それに見つからない下階への“入り口”。
まさか、ここが“下の果て”で、
実は“上行き”が正解だったとかか……?
そう思えるほどに特殊例と言える魔宮。
いくつかの部屋にまた戻り今度はより詳しく調べる事に。
当然の如く屍動者は湧いている。
最初に抱いていた嫌悪感さえ薄れ、
ただの作業になってしまっている。
「あ、あの、回復術……」
俺たちはそんなに疲労して見えるのだろうか?
いやまあ気疲れはしているけれども。
「(この人おかしくない……?)」
おお、久しぶりに声を聞いたぞマイレイア、嫉妬か何かか?
「(あのねえ……まあ、いいや。
私ずっと休んでたから状況が分からないんだけど、
説明お願いできる?)」
屍動者の多い階、
巨体の魔物、
襲われていた上級正規兵回復術師、
そして見つからない“入口”。
かいつまんで説明するならばこんなところか。
“入口”が発見できないこと以外では特に異常はないはずだ。
それが致命的なのだけれども。
「(上級正規兵の第一部隊ってさ……)」
最近神妙な受け答えが多いな。
うるさくなくてとてもいいぞ。
で?
何か問題があるのか。
「(……基本外、出なくない?
だってあの“布告”の時も布告官、
議員の真横にずっとくっ付いてたんだよ?
ねえ、そんな…彼女らが異界化に巻き込まれる範囲にいて、
実際にここにいる、それってどういうことなの?)」
嫌な汗が背を伝う。
そりゃそうだ、あの壇上にいたのは第一部隊。
議会と貴族様を守る“最後の盾”、
その隊長様が表に出たと知れただけであの喧噪だったのに、
こいつは貴族様を離れて最前線だと……?
考え得ることは二つ。
一つは、都市全体が異界化した。
もう一つは……。
カイレキが表情を殺したのはさっさと気づいたからだろう。
そして念話でさえその話をしないのは、
自分の下手くそな念話が傍受されるのを恐れたため。
そりゃそうだ、相手は上級正規兵の最強部隊の一人。
もしそれが……。
疑い始めればキリがない。
「クォーディア殿、小休止しませんか。」「そ、それじゃ回復術を「いえそれは結構です。」
後ろを向き答える俺。
しょぼんと一瞬うつむく女。
そしてその一瞬でカイレキと目を合わせる。
……表情が一瞬、ほんの一瞬変わる。
「ハッキリ言って今、俺たちは行き詰っています。
体力的に問題がなくとも精神的……気疲れってやつですね、
それが溜まると集中力に欠くので。
休める時に休んでおいた方が良いと思いまして。
幸いここにいるのは弱い屍動者だけですし。」
「わわ、分かりました!」
俺との応答を見る限り、疑えるような部分はない。
これでこの女が裏切り者なら俺の目が節穴なのか、
相手が真正の異常者なのかのどちらかだと思う。
三方向に出入口のある適当な広さの部屋を見繕い、
中央に魔法で固定光源を作る。
これ魔力消費量が割とデカいから嫌なんだけどなあ……。
流石に屋内で焚火をする勇気は俺にはない。
酸欠や延焼で死にたいなら別だが。
たいまつ?あれはただの応急処置だ。
三方の角に距離を取って座る。
そりゃそうだ、出入口の関係上どの方向から敵が来るか分からない。
外からの敵に対処するにはこれしかない。
仲間は姿さえ見えればいい、話し声さえ聞こえればいい。
…
…
…
わ、話題がない。
「これからのことも踏まえ、
多少親交を深めたいのですが、大丈夫ですか?」
おお、カイレキ、本当にありがとう!!
「ははははい!よろこんで!!」
そこからは形式的な自己紹介。
名前が何だとか、出身がどこだとか。
と言っても二人は名前からして出身が即座に分かるそうだ。
この世界出身でない俺にはまだ即座の判別は出来ないが。
「……それで、どのような経緯で第一部隊に?
“回復術師”と言えど簡単に入れるようなものではないでしょう?」
「たたた隊長が拾ってくだささったんんです。もとともと薬師出身でかか回復術と組み合わせて身体の能力を劇的に向上させる魔法薬の製法の研究が当時の上級正規兵補助の研究所でなされていたそうでそこに私のような人材はピッタリだとおっしゃってくださってこれはもう行くしかないないと決心したんですけど当時の第一部隊は補助の部門でもアレイン出身の貴族しか受け入れておりませんで何と!その先例を曲げるべく議会に直接法案提出までして下さってそこでようやく私が研究所に入れたと思ったら今度は酒場利権の方から横槍が入ってもうそこからてんやわんやで」
「あ、いえ、その、ありがとうございます。
よく分かりました。」
「それで基本はですね第一部隊ではなく補助の研究室勤めでしてこうやって偶に隊長に呼ばれて戦闘訓練だとかその他上級正規兵としての心得だとか回復術の“兵”としての使いどころだとか色々なことを教わって……」
すっげえ早口で喋るね……。
クォーディアも一気に喋り過ぎたと勘付き、顔を赤くして押し黙る。
「今回の作戦……。」
ここからは俺が。
「今回の作戦に関して、
俺たちが知っていい範囲で教えてもらえますか。
全く無理なら結構ですが。」
押し黙った顔から赤みが抜け、より俯く。
「……異界化の範囲が思った以上に広かったんです。」
ぽつり、ぽつりと語る。
「当然、都市城壁内部には及びませんでしたが、
そこに迫る勢いで――。
当然魔物も出てきました。
数は多くありませんでしたが。」
今のところ、話に矛盾はない。
やはりただの疑い過ぎ…か?
「冒険者や傭兵団、正規兵の方にも怪我人がでて、
私いても立ってもいられなくなって、
隊長にお願いしに行ったんです。」
あ?
「私を」
「皆の」
「治療に」
「行かせて欲しい って」
……。
「そうしたら、隊長は許可をくれて……。
でも、最前線の治療所が異界に飲み込まれて……。」
考えられる可能性は二つ。
いや三つか。
「クォーディア殿、一つ、お聞きしたいのですが。」
カイレキが口を開く。
「異界化が拡大したと言われましたが、
どの辺りの治療所が飲み込まれたのですか?
……知り合いが外郭に住んでいまして、
こうなっては最早諦めもあるのですが――。
それでも心配なのです。」
「あ、えーと、南西部の第六区画です。」
選りによってそこを言うのか。
「……我々の為にフレイス殿は治療所に派遣くださったのですね。
ところで。」
ああ、そうなるわな。
「どのように許可してくださったのですか?」
異様に通る声。
最早、正体を隠す必要がない相手か。
「うふふ……どういう意味ですか?」
「第一部隊は、議会と貴族の“最後の盾”と呼ばれるその名の通り、
議会と貴族からは離れずに行動するのです。
もしこのような都市そのものに被害が及ぶ事態が起きた時、
第一部隊に課せられる任は、
都市の守護でも、
庶民の支援でもなく、
議会を構成する貴族が逃げる際の“道”の確保、
そして議員に危機が身近に迫った時にこそ、
実際に戦う“戦力”なのですよ。」
女は黙っている。
いや―――微笑んでいる…?
俺も喋る。
「それだけじゃあない。
第一部隊の隊長殿は議会と、貴族と、“法”の剣、
と呼ばれる人間だ。
特例は認めないし特例を出すよりはと、
正当な手段で法律そのものを変える、そういう迂回をする。
あんたが言ったようにね。
何せ俺に死刑判決が下された時に、
その代替刑罰に最後まで反対したのがあの人でね。」
「南西部、第六地区、現状では最も都市城壁、
つまり都市内部からは遠いですね。」
たたみかけるように。
「クォーディア殿、我々はあなた自身を疑っている。
もしくは第一部隊の隊長殿が既に偽物なのかもしれない。
それをはっきりさせたいのです。
ご協力いただけますね、これで。」
カイレキが懐から出したのは……。
環状に繋がった細い鎖の先に、
“装飾用の槍の穂先”
のようなモノが付いた何か。
あれが……偽装の判別をする為の魔道具か。
さっき言っていた“貴重な一回”って事は消耗品、だからあそこまで小さいのか。
異様な魔力が場を支配する。
俺も女もカイレキも魔力に反応して変化がない。
と言うか魔力が何か影響を及ぼす質のものではない。
……この異様な魔力はあくまでも魔道具を使わない状態での特性なのか。
つまり、いつもこの魔力を偽装しながら動いてるのかこいつは。
遠くならない意識と、胸の中が冷えていく感覚。
沈黙。
沈黙。
「わかりました。」
!
意外にも素直な反応。そして笑顔。
偽物じゃあないって事か。
それならそれにこした……何故脱ぎだしてるんだこの女は。
「うふふ」