第8話 カーネリアン家の矜持
迷宮街には再び闇の帳が降りている。
カーネリアン夫人の要請によって衛兵隊が到着し、ガルシアは後ろ手に縄をかけられた。所有していたレガリアはすべてはぎ取られ、暴力という魔力を失った彼の正体は哀れな小悪党に過ぎなかった。
両脇を衛兵隊に抱えられて引きずられ、馬車に乗せられていく。
その姿がみえなくなる直前、ガルシアはこちらを振り返り、玄関口から見守っていた二人にむけて悪態を吐いた。
「クソ野郎どもめ、地獄に落ちろ！」
負傷のせいでいささか不明瞭な発音であったが、言いたいことはそのようなことだったろう。
ラトはステッキを軽く持ち上げてみせる。
「僕らより先に到着したら、エストレイによろしく伝えてくれないか。事件の犯人は逃げおおせることなく捕まり、正しい法の裁きを受けたってね」
その瞬間、黙りこんだガルシアの表情は、それまで見たことのない感情の靄がかかっていた。好意的にとるならば罪悪感とでも呼べばいいのか。
もちろん見間違いもあり得る。
ガルシアは二人を殺害した罪により裁判にかけられることになる。
手口の残虐さを考えれば死刑はまぬがれないだろう。
「こうなってみるといい気味だな。取り調べで苦しめばいい」
クリフが言う。未だに少しばかり腫れぼったい顔をしていたが、ガルシアが馬車に乗せられるのを見送り、溜飲を下げることができたのだろう。
「ひとつ聞きたいことがあるんだが、ラト、お前は何故こんな事件に首を突っ込んだ？」
「事件の噂を聞いた後、メイドの家を訪ねたんだ」
「エストレイと一緒に死んでいたっていう娘か」
ラトは頷いた。
「下町の小さな家だよ。遺体はすでに焼かれていたが、事件当日に身につけていた衣服がそのまま残っていて、エプロンの裾に泥と水草がついていた」
真実、彼女が身分違いの恋に悩み、森でエストレイとふたり、苦しまぬよう薬を飲んで眠るように亡くなったとしたら、それはあるはずのない汚れだった。
「名前はマリー。エストレイとちがい、誰もその死の真相を疑ってはいなかった。名探偵である僕以外は……」
名探偵の眼差しには、事件に巻き込まれた哀れな娘への憐憫があった。
「女神レガリアが見たいってのと、マリーの死の真相を解き明かすこと、どちらが本当の目的なんだ」
「クリフくん。それは野暮だよ」
「ふん。それで、肝心の女神レガリアは、どうなったんだ。まさかガルシアの仲間が出し抜いて、奪って行ったとかいうつまらない落ちじゃないだろうな」
「もしかしたら、最初からカーネリアン邸には無かったのかもしれないね」
「なかった？」
「そう、地下にあったあの場所は、泥棒を惹きつけるための囮だったんだ」
「それじゃ、カーネリアン夫人は長い間、ニセモノの宝のありかを守り続けてきたっていうわけか……」
「魔術やレガリアの常識を超えた力を考慮すれば、本当に守りたいものはその存在すら知られていないほうがいい。そう思わないかい？」
それが真実だとしたら、夫人にとっては虚しすぎる結果だ。
彼女はありもしない家宝を守り、ただ一人の息子を失ったのだ。
この世の無情を感じずにはいられない。
「あくまでも推測に過ぎない、あり得なくもない、ただの可能性の話だけどね」
話し込むラトとクリフを咳払いで咎める者がいた。
その正体は、ガルシアを護送する衛兵らを共に見送りに出たカーネリアン邸の執事である。
執事が指し示した玄関の向こうでは、憔悴しきった夫人が、駆け付けた友人らに慰められている姿が見えた。
ガルシアが逮捕されたからといってエストレイが再び息を吹き返すわけではない。女神レガリアも行方不明のままだ。悲嘆に暮れるカーネリアン夫人を慰めることは、たとえ創世神であっても難しい。
「これは失礼。本日はお暇しますと御当主にお伝えください」
ラトはそう言って玄関口を離れた。クリフも異論はない。
ギルド街の方角へと足を向け、坂道を下りながら、ラトは深く考えこんでいるようだった。
「これからどうするんだ、お前さん。所属しているクランは追い出されたんだろう？ 寝床もないんじゃないのか」
クリフは親切のつもりで声をかけた。
ラトのせいで腸が煮えくり返るような経験もしたが、五体満足ですべてが終わってみると、その洞察力や手腕は感心できなくもないと思えた。
しかし、返事がない。
ラトはまったく心を閉ざしていて、思考の海の底にいるようだった。何を考えているかは誰にもわからない。
じきに冒険者ギルドの外観が見えて来た。
クリフはラトに別れを告げる。
「じゃあな、変人」
そして、宿屋街へと向かおうとした、そのとき。
「あぁあああ―――――――っ！！」
ラトは突然、奇声を上げた。
夜もなお迷宮に向かう者、迷宮から引き返して宿に向かう者、冒険者、商人、ギルド職員がひしめく街角でラトは思いっきり叫び声を上げていた。
そこに居合わせたすべての人々が、この小さな体の名探偵に注目する。
「偉大なる女神よ……！！ 感謝しますっ！！ あなたの御心はなんと哀れみ深いのでしょう、まさしく慈悲そのものだ！！」
天に向けて両手を掲げる様は、まさに精神を病んだ狂人のそれだった。
紳士淑女は眉をひそめ、怪訝そうな表情はいかにもかわいそうなものを見つめる目つきへと変化していく。
クリフは慌てて、叫び続けるラトを掴まえようとした。
しかしラトはすんでのところで身を翻し、クリフの両腕をかい潜ると、今度は猛烈な勢いで坂道を駆け登っていく。
ここまで来た道を、一心不乱にカーネリアン邸に向けて……。
「僕はバカだ！！ 世界で一番の大馬鹿ものだっ！！」
全力疾走で駆けながら大声を上げ続ける。とても尋常な様子ではない。
クリフも慌ててその後ろを追い始める。
「やめろ、ラト！ 止まれ！」
「一秒だって止まれるものか！ 女神レガリアが無いだって！？ だって、そんなことあるわけないじゃないかっ」
「落ち着け、頼むから騒ぐのをやめろ！」
「落ち着けない、落ち着けるわけないよ、クリフくん！ ガルシアは女神レガリアのありかを知らなかったんだ。知っていたらとっくの昔に女神レガリアを手に入れていたっ！ 僕らを尾行する必要なんてあるはずないんだよ！」
クリフは何度もラトの後ろ髪を捕まえようとするのだが、ラトは意外過ぎるほど身軽にその手をかわしてしまう。
そして凄まじい勢いでカーネリアン邸に飛び込んで行った。
止めようとするメイドや執事を跳ね飛ばす勢いで、広間のカウチに腰かけていたグレナ夫人の両手首を掴んだ。
「夫人！ しっかりしてください、夫人。エストレイは決して喋らなかったし、かわいそうなマリーのことも見捨てなかった。彼は誰よりも誇り高い魂の持ち主だったんだ！！」
ラトは満面の笑みである。
狂気は止まることなく、笑い声を上げながら夫人をぐるぐると回しはじめた。
「どういうことです？ いったいこれは何の騒ぎなのですか！？ クリフさん！」
「わかりません。俺は無関係です、全くの！」
ラトは夫人の手を引き、ベルベットの絨毯が敷かれた階段を駆け上がる。
事情がわかっていないメイドの手からランプを奪い、書斎へと連れていく。
クリフやメイドや執事、衛兵隊を引き連れて、開け放たれた隠し扉を通り抜け、螺旋階段を降りていく。
そこには無惨に破壊され尽くした隠し広間があった。
ラトは夫人の手を離し、雷の直撃を受けて上半分がひしゃげた台の元に駆け寄った。
「ラト！」
そこで、ようやくクリフはラトの元に辿りついた。
「クリフくん、おかしいと思うべきだった。夫人は隠されたこの部屋に、さほど頻繁に入らなかったと考えるべきだろう。ありかがばれるからね。だけど出入口には埃や石灰の粉ひとつ落ちていなかった。先に誰かが入ったんだ。夫人や僕らがここに来る前に、誰かがここにきて、女神レガリアを隠したんだよ」
いつの間にか、ラトの眼差しには確かな理性の輝きが戻っていた。
世界一高級な炭のかけらを退け、隠し扉に手を突っ込んで、台の根元あたりを探る。ラトの手は台の底にぴったりはまった板を探りあてた。
「エストレイは、間違っても悪人に女神レガリアを渡すつもりなどなかった。ごらん。彼は見事に守り通したんだよ」
その手が、本当の底を隠していた板を取り外す。
女神レガリアの隠し場所である台の内側は二重底になっていたのだ。
板の下には鉄の箱が安置されていた。
それも、防御にまつわる魔術がかけられた、頑丈そのものの箱だ。
ラトはこれを取り出し、うやうやしい手つきでその蓋を開いた。
うしろから衛兵たちが手にした明かりを差し出すが、その必要はなかった。
ラトとクリフの横顔を箱の内側から自然とこぼれ出た光の輝きが明るく照らす。
箱の内側に納められたものを目にして、誰もが息をのむ。
その瞬間、夫人が泣き崩れるのをクリフは抱き留めた。
箱の底には、女神の奇跡が残されていた。
悪に責められ、苦難の道を行くとも心折れぬカーネリアン家の矜持が、そこには確かにあったのだ。
《エストレイ・カーネリアンによろしく おわり》
《現代ファンタジーの世界から、名探偵に愛をこめて》
《追放ものと名探偵というアイデアをくれた妹へ、ありがとう。最終的にあまり追放ものではなくなったので改題しました。》
＊＊＊＊＊名探偵レガリア鉱石スキル《犯人看破》＊＊＊＊＊
探偵によって《犯人》に指名された者のレガリアを《《一つだけ》》使用不可にする＋二倍ダメージ。
ラトが元々持ってた鉱石技能。
名探偵レガリアにはまだまだ隠された技能があるらしい。
