第7話 危機的状況
地下室に現れたガルシアの目は血走っていて呼吸は荒い。
ガルシアは外套の下から剣を取り出した。
金色の柄に堂々とした紫色の宝石が飾ってあるのが遠くからでも確認できる。
「なんてこと。あれは私の息子のレガリアだわ……。恥知らずの卑怯者め」
カーネリアン夫人が押さえた声で言った。胸のあたりで組んだ両手は恐れと怒りに震えている。
ガルシアは、殺されたエストレイのレガリアまで奪っていたのだ。
状況は非常に危険だった。
たとえレガリアの力が無かったとしても、ガルシアはエストレイの所属していたクランに所属するベテラン冒険者で、実力は確かだ。街中の冒険者をかき集めたとしても、ガルシアを止めるのは困難だろうと思われた。
それなのに、この場にいるのは息子を亡くしたばかりの母親と、駆け出し冒険者、そして自称名探偵だけなのだ。
頼みの綱であった《女神遺物》も、最早ここにはない。
「ガルシアくん、交渉しよう」
ラトはガルシアを刺激しないよう、穏やかな声で語りかける。
「ちょっとして手違いで、残念ながら女神レガリアはここにはない。だけど近日中には君に渡すと約束する。どうかな、それで剣を納めてもらえないかな?」
「ふざけるな、俺には時間がないんだ。ここに女神レガリアが無いなら、お前たちを殺して街を出るしかない」
ガルシアは無情だった。
こうなると交渉にはまるで意味がないように思えた。
「このままじゃ皆殺しだ、ラト」
「カモミールのお茶でも勧めてみようか。気分が落ち着くかもしれない」
「冗談を言っている場合じゃないんだぞ」
クリフは夫人を背中に庇って剣を抜いた。
それは元近衛兵隊長の演技ではない。クリフ自身に備わった、平凡で善良な精神からの行動だった。
そのとき、相対するガルシアの表情に獰猛な感情が宿るのが見て取れた。
ガルシアがゆっくりと剣の柄に手をかけた。
金色の鞘からみごとな白刃が引き抜かれる。
天に向けてまっすぐに掲げられた刃は紫色の稲光をまとっていた。
「ああ、あれは《雷撃》のレガリアだね」
ラトが呟いたが、言われなくても見ていればわかることだ。
クリフは手にした剣をあらぬ方向へと放り投げ、背後を振り返って走る。
それと、ガルシアが手にした剣を床に向けて振り下ろすのがほとんど同時だった。
クリフはカーネリアン夫人の体を抱えて地面を転がった。
その直後、轟音を上げて天から降り注いだ五つの雷の刃が地面を激しく叩いた。
激しいスパークが地下室を閃光で覆い尽くしていく。
大気を熱い炎で焼き、床を容赦なく粉砕し、大穴を開ける。
最後の一撃はちょうど、金剛石が飾られた台の上に直撃した。
圧倒的な破壊力だ。
この光景を目にして、女神の偉大さに異議を唱える者はいないだろう。まさしく、レガリアは人の力をはるかに越える奇跡の力の源なのだ。
強烈な光が過ぎ去ると、あわれな炭の塊となった金剛石が黒い煙を上げているのが見えた。
「ちゃんと死んでるか、ラト!」
「ああ、なんとか。どうやら頭も腕も足も元の位置についているみたい」
立ち込める煙の反対側で起き上がった影に舌打ちしたのはクリフだけではない。
ガルシアもまだまだ獲物を諦めてはいない。
なにしろ、彼に諦める理由など何一つないのだ。
次は確実に攻撃を当てて来るだろう。万が一、再び外したとしても、出口の前で仁王立ちになって剣を振り回してさえいれば、いずれラトたちは死ぬ。
「おいおい、こっちは剣まで失っちまったぞ」
「クリフくん。覚悟を決めてガルシアを倒すんだ、それしかないと思うね」
「馬鹿は休み休み言え、女神レガリアはもうない。現実を受け入れろ」
「女神レガリアはね……。少しばかり僕にまかせてみてくれないか」
ラトは再びガルシアに語りかける。
「お願いだ。どうか落ち着いて話をしようじゃないか、ガルシア君。何、さほどの手間は取らせないよ。冥途の土産だと思ってほんの数分、僕に時間をくれないか。それだけで構わない」
「何を話してくれるんだ? お前と話したいことなんてこっちにゃ何ひとつないぞ」
「ただちょっと確認したいだけなんだ。話したって君の優位性が変わるわけじゃないし、それに君はどう見てもサディストだ。獲物は簡単に殺すんじゃなく、長く痛めつけたいし、自分の恐ろしさを思い知らせたいはずだよ」
ラトの呼びかけによって、ガルシアの切れ長の瞳がなんとも言いようのない形に歪む。
一言で表現するならば、とてつもなく邪悪な形だ。
ガルシアはレガリアという圧倒的な暴力を手にして、うぬぼれているのだ。
それでいて目の前にいる三人を対等な人間だとは思ってはいない。
「確かにそうかもしれないが、俺はそんな安い罠にかかるほど馬鹿じゃない」
「では、こうしよう」
一瞬、ラトの瞳がきらりと輝いた。
それは彼が冒険者ギルドの地下牢に座り、悪巧みをしていたときの表情とそっくり同じだった。
「ここで女神レガリアは手に入らないが、もしも僕の質問に答えてくれるなら、そのお礼に僕が所持しているレガリアを君にあげよう」
ラトは手にしたステッキをガルシアに掲げてみせる。
ガルシアは怪訝そうに顔を歪める。
「どうせ大したレガリアじゃない。お前を殺して奪えば済む話だ」
「そうかな? このレガリアは気難し屋でね。条件がそろわないと発動しない、かなり珍しいタイプのレガリアなんだ。僕を殺してしまったら、その条件は闇の中。このレガリアはただのゴミになってしまうんだよ」
「それは確かに珍しいな」
「そうだろう? それに、あまり強がらないほうがいい。わかってるんだよ、君は僕たちを追い詰めているようで、実は追い詰められてるってことはね」
そんなわけはない。
クリフはそう言いたかったが、だが、ラトの言葉によって、ガルシアの様子がわずかに変化した。あれほど強気だった男が明らかに返す言葉を失い、たじろいだ様子に見えたのだ。
ラトはガルシアを恐れることなく言葉を重ねていく。
「隠していてもわかるよ。君は動揺してるね。肩から首にかけての筋肉が緊張しているから、見ればわかる……。名探偵であるこの僕に隠しごとはできないよ」
恐ろしい話だが、ラト・クリスタルが紡ぐ詭弁以外に、クリフたちに身を守る術はない。固唾を飲んで見守る中、ラトは話し続ける。
「会話を続けようじゃないか、ガルシア君。君はエストレイ・カーネリアンの殺害後、すぐに迷宮街を去ることもできた。だが、そうはしなかったね。それどころか、カーネリアン夫人に殺害犯であるという疑いをかけられてなお、危険を承知で僕たちを尾行し、この邸に潜入した。そこまでして女神レガリアを欲したのは、それを手に入れられなければ、今度は君の命が危ういからだ」
ガルシアは剣をあらぬ方向に向けて振り下ろした。
雷が真横に走り、床の上で弾けて炎を上げる。
「黙っていろ……!」
暴力的に振舞ってみせるが、彼は先ほどまでの獰猛さをすっかり失っていた。
ラトの言葉は、的を射ているのだ。
真実を突きつけられたときほど、人間はみっともない醜態を晒すものだ。
「女神レガリアを手に入れて、君はそれを闇の組織か何かに売るつもりだった。その取引には金がかかってるんだ。そうだろう? 人の命なんて紙切れみたいに思えるくらいの大金がね。だからこそ、女神レガリアがなければ今度は君の命が危なくなる。違うかい?」
ガルシアは黙り込む。沈黙は肯定だった。
「僕はむしろ君の味方だ。何度も言うようだけど、ここに女神レガリアはない。でもかわりにこれを持って行ったら、ちょっとした交渉の材料にはなるよ。何しろ――僕のレガリアは《秘密》のレガリア。《約束》を司る女神レガリアの対になるものだからだ」
クリフは驚いて、カーネリアン夫人を見つめた。けれども、カーネリアン夫人もラトの言っていることの真偽を知らないらしい。戸惑った様子でいる。
「それに、質問といっても大したことじゃない。死んで行く僕らへの餞だとでも思ってくれたまえ。盛大な葬儀を執り行えと言ってるわけじゃない。たった一言で済む話だ。ただ、こちらの質問にイエスかノーで答えてほしいだけなんだよ。質問というのはこうだ――――エストレイ・カーネリアンを殺したのは君だ、そうだね?」
妙な緊張がその場を支配していた。
何故そんなわかりきったことを訊くのか、とクリフは疑問に思った。
ガルシアが殺害犯であるのは状況的に明らかで、訊くまでもないことだ。
ほかならないガルシア本人もそう思ったのだろう。呆れた声を上げる。
「そうまでして冥途の土産に聞きたいことってのが、それなのか?」
「ああ、そうだよ。もちろん、君が犯人だというのは僕も確信してる。他のメンバーも協力関係にあったとは思うけど、手を下したのはガルシアくん、君だろうね」
「ふざけるな。お前……いったい何をたくらんでる?」
「何もたくらんではいない。心外だなあ。あのね、僕はね、いついかなるときも自分自身の正しさと知性を証明したいんだよ」
ラトはこうしている今も寿命の残りが減り続けていると知りながら、迷うことなく告げた。
「つまり、僕は世界で一番優れた知的生命体でなければならないんだ。だから、そのために、君は僕の推理が間違いないと言わなければならない。さあ、ガルシア君。そうだと言ってくれ。自分が犯人だと。僕の推理に間違いはないと!」
ごく短い間ではあったが、その場に何とも言い難い沈黙の帳が降りた。
そして、主にクリフを後悔が襲った。
命を賭けた交渉を、ラトなんかに任せてはいけなかったのだ。
よくよく考えてみれば、自分の命運を預けるに足るような人物が、とんでもない異常な罪でパーティを追放されるわけがない。ここに来てクリフは、ラトがこの非常事態を何とかしてくれるかも、という甘い望みを捨てざるを得なかった。
クリフは音を立てないように少しずつ、床に転がった自分の剣のところへと移動する。
幸いにもガルシアはラトのほうに集中していて、まだ気がついていない。
「ああ、殺した……。エストレイを殺したのは俺だよ」
ガルシアは吐き捨てるように言い放った。
「それが何だって言うんだ、キチガイの変態め」
「そう。やっぱりそうか。その言葉が聞けてよかったよ」
ラトはほっとした表情だった。
「では、約束通りこのレガリアを使用する条件を教えよう」
ガルシアがクリフの密かな動きに気がつかなかったのも無理はない。
ラトが手にしたステッキには、ある変化が起きていた。はめ込まれた二つの宝石が強い輝きを帯びているのだ。
「僕の自慢のこのレガリアはね、普通じゃない。特別なんだ。女神レガリアが世界を創造した《約束》のレガリアだとすれば、これは《秘密》のレガリアだ。その名を《名探偵》のレガリアという」
光はどんどん強くなり、所有者の全身を光輝で満たしていく。
「よく聞きたまえ、使用条件は所有者が《知性》を証明することだ。その力の根源は《謎》と《秘密》。ほかの誰にも解き明かせない問いを、所有者の知性でもって解明することで解放される。――――そして今、犯人の《自白》をもって、エストレイ・カーネリアン殺害事件の謎は完全に解き明かされた」
ガルシアは目の前で起きている異常な出来事に慄いた。
だが、もう遅い。
ラトははじめから、自分のレガリアを渡すつもりなどなかった。
ただレガリアを発動する条件を整えていただけなのだ。
「これをもって、レガリアの力を《解放》する! 犯人は君だ!」
ラトはステッキの先端をガルシアに向ける。
ラトを包んでいた不可思議な光はステッキの先端へと集まり、矢となって放たれ、そして鋭くガルシアの体を貫いた。
「うわあああっ――――――!?」
ガルシアはとっさに目を閉じ、悲鳴を上げる。
勝利を確信しているかのような悠然としたラトの様子からして、雷撃をはるかに越えるとんでもない攻撃が自分を襲うと思ったのだろう。
だが、実際の結末は呆気ないものだった。
何も起きなかったのだ。
その場で目を見開いたガルシアはまだ自前の二本の足で立っている。
ただそれだけだ。何も変化はない。
雷も、炎も、風も起きないのだった。
「なんだ、何も起きないぞ……? こけおどしか?」
「いや。僕がするべきことはすべてした。こけおどしかどうかは自分の体で試してみてくれたまえ。後は頼んだ、クリフくん」
ガルシアはこのときようやく、クリフがこっそりと自分の剣を回収していたことに気がついた。
「ガルシアっ!!」
クリフは剣を構え、ガルシアとの距離を詰めようとする。
ガルシアは剣を振りかぶった。
レガリアの力でなぎ払うつもりだったのだろう。
しかし、クリフたちをあれほどまでに恐れさせた雷の力はいつまで経っても発揮されない。何度剣を振るっても、レガリアは沈黙したまま、ぴくりとも反応しない。
二人の対決を退屈そうに見学しながら、ラトは言った。
「あ、そうそう。言い忘れていたけれど、それが《名探偵》レガリアの力なんだよ。聞いてないかもしれないけどね」
クリフはガルシアの間合いに飛び込み、強く剣を叩きつけた。
ガルシアもレガリアが発動しない以上、手にした剣で戦わなければいけないと覚悟を決めたのだろう。クリフの剣を迎え撃つ。
何かの間違いで雷撃の力が発揮されたら、クリフにはどうしようもない。
クリフは反撃できないよう、剣を叩きつけるように乱暴に振り下ろし、力まかせの斬撃を加えていく。流石にベテランのガルシアは、単純で大ぶりな剣の筋道を読み切って、すべて防いでしまう。
後がないクリフは剣を最上段に構えた。
「甘いっ! ヘタクソめ!」
ガルシアがニヤリと笑う。
大振りの攻撃には隙が出やすい。クリフの力まかせの攻撃を防御しようとして、ガルシアは剣の切っ先をわずかに上げた。
この攻撃を防いだら反撃に出るつもりだった。
しかし次の瞬間、クリフの切っ先は空を飛ぶツバメのようにひらりと方向を変え、下段を向いていた。
「しまった……!?」
クリフは狙いを決めて、ガルシアの右肩めがけて勢いよく斬り上げる。
それまでの凶暴さは嘘のようになりをひそめていた。おそろしく冷静で、精緻で、素早い剣戟であった。
そうしてガルシアを襲った刃は指を切り落とし、手にしていたエストレイの剣を跳ね飛ばした。
ガルシアは痛みを感じるよりも先に驚愕していた。
まるで剣の天才を相手にしているようだった。
ガルシアだけでなく、あまりにも軽い手応えにクリフ自身も驚いていた。いつもよりも剣に速さと力がある。
今なら、鎧ごとガルシアを両断することすらできそうだった。
そのとき、カーネリアン夫人が悲鳴を上げさえしなければ、間違いなくそうしていただろう。
「クリフくん! ご婦人の前だぞ!!」
ラトの呼びかけにクリフははっと我に返った。
そして咄嗟に剣から手を離した。
剣のかわりに拳を握り、ガルシアの顔面に叩きつける。
クリフの拳は、あごの骨をまるで紙細工のように叩き割った。ガルシアの体が衝撃によってまるでゴムまりのように飛んでいく。
そうして、ガルシアは背中から出入口の扉に叩きつけられ、大穴を開けて止まった。
クリフは唖然として自分の拳を見下ろした。
それほどの怪力は、いつもの自分にはないとわかっているからだ。
あきらかに何か別の力が働いている。
「不思議がることはないよクリフくん。《名探偵》レガリアの鉱石技能は発動すると、犯人が持つレガリアの力を封印する。ついでに攻撃する力は倍になるんだ。犯人限定だけど、使いようによっては結構便利なんだよ」
ラトが何でもないような顔で言った。
この結末はすべて予想通りだとでも言いたげだ。
「僕を追放したやつらは、本当に馬鹿だ」
「いや、それは、妥当だ」
「そう? まあ、君が言うならそうなのかもしれないね」
ラトは、役目は終わったとばかりに、ステッキの持ち手で自分の肩を叩いていた。