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名探偵ラト・クリスタルの追放  作者: 実里晶
クリフ・アキシナイトに正義はあるか?
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第68話 一世一代の大勝負


 ドラバイト卿とロー・カンが脈を取ってその死亡を確認した。

 クリフ・アンダリュサイトの死をもって探偵裁判は終了した。

 ドラバイト卿は出口で立ち尽くすラトに声をかけ、控室へと迎え入れる。

 ラトは案外すんなりと控室へと出て法廷に通じる扉を閉めた。

 辛すぎる現実を直視できないでいるのかもしれない。クリフの遺体には一瞥(いちべつ)もくれなかった。

 ドラバイト卿はそんなラトを気遣うように声をかける。


「ラト、大丈夫か」

「ええ、僕はなんともありませんとも」

「しかし……ショックだっただろう。なんといっても相棒を失ったのだ。アルタモント卿をはじめとして、いまの騎士団に助手を持つ探偵騎士は私しかいない。その痛みはほかの誰にもわかるまい」


 パパ卿ほどではないとはいえ、ドラバイト卿もまたラトの成長を見守ったひとりである。きわめて聡明(そうめい)で美しい子供であったが、探偵騎士になるための訓練に(いそが)しく、市井(しせい)の子どもたちと違い友達のひとりもいなかった。そんなラトが相棒として連れてきたのがクリフだ。もしもイエルクの血筋ではなかったなら別の結末(けつまつ)もあったかもしれない。

 さぞかし落胆(らくたん)しているだろうと気を()んでいたのだが、ラトは平静そのものであった。

 扉を背にして軽くうつむき、長い指を組んで(あご)に当てている。

 いつも通り、考え事をしているときのお決まりのしぐさだった。


「お(やさ)しいドラバイトおじさま。しかし、そのいたわりは僕には無用(むよう)のものです。僕は相棒を失ってはおりませんし、むしろ勝負の()()きというものをしている真っ最中なのです。それにこれから大事な幕引(まくひ)きがあると思います。僕は探偵の責務(せきむ)として、この謎を解明せねばなりません」


 ドラバイト卿はたちまち痛ましいものを見る目つきになった。

 それは脳や精神に異常をきたし、正気を失った患者を()る医師の目つきであった。


「ラト、いったいどうしたというのだ。お前の相棒はすでに死んだのだぞ。いや、相棒ですらなかった。奴がガンバテーザ要塞でのおぞましい罪を自白したのを、お前もみていただろう」

「僕が解き明かすのはガンバテーザの真実などではありません。この探偵裁判を僕らに仕掛けた(しん)の人物です。その人物はアルタモント卿と共謀(きょうぼう)し、この裁判を計画しました。そしてアルタモント卿をも(だま)して、クリフ・アキシナイトを死にいたらしめようとしたのです」

「探偵裁判を仕掛けた真の人物……?」

「はい、おじさま。その通りです。この裁判には、僕らの知らない人物が深く関わっているのです」


 ラトはみずからの言葉を、かけらもおかしいとは感じていないようだった。


「前々からおかしなやつだと思っていたが、とうとう気が(くる)ったか?」


 ドラバイト卿は同じ探偵騎士として狂気の兆候(ちょうこう)を指摘しかねていたものの、ロー・カンは歯に衣着せぬ物言いである。


「いや、僕は正気を失ったりなんかしないよロー・カン。これまでに一度だってない。世界中僕以外のすべての人間の頭が悪すぎると思ったことはあったにしてもね」

「その手の患者ってのはみんなそう言うものなんだ」

「まあ、聞きたまえ。もしも僕が狂っておらず、いまだ最高の知性の持ち主であり、これから()べる推理が正しくあれば、その人物をまんまと法廷へと(まね)き入れたのは君だということになる」


 ロー・カンは(まゆ)をひそめ、ドラバイト卿と顔を見合わせている。


「……? 俺は、お前たち以外の人間は誰もこの部屋に入れていないぞ」

「人間はね。でも、君は何かよけいなことをしでかしたはずだ。当初の計画になかったことをいろいろと……。そのなかで君がアルタモント卿の指示でしたことがあるはずだ」


 ラトがそう語った瞬間、ロー・カンの顔色が変わった。

 まるで意図(いと)しない相棒の反応に、ドラバイト卿は顔をしかめる。


「いったいどういうことだ。私は何も聞いていないぞ。これは何の話なんだ、ロー・カン?」

「おじさま、ロー・カンを責めたとしても彼も説明する言葉を持たないでしょう。今回の出来事の全景(ぜんけい)(なが)められたのは僕とパパ卿、そしてクリフ君の三人しかいません。いかに探偵騎士とはいえ、知らぬことを推理することはほとんど不可能です。ですから、順をおって説明いたします。まず事の起こりは、ペリドット侯爵家に泥棒(どろぼう)が入ったことでした。泥棒は侯爵家からささやかな品々を(ぬす)み、家人の誰にも(さと)られることなく脱出しました」

「あのペリドット侯爵家から?」


 パパ卿が侯爵家に(つか)える使用人たちに特別な教育を与えていたことは、ドラバイト卿の知るところでもあるらしい。あり得ないという顔つきである。


「犯人はレガリアの力を使い、みずからの姿を動物や物に変化させることができたのです。迷宮街で僕たちが下宿しているカーネリアン邸に現れたときは、猫に姿を変えていました。ペリドット侯爵家から脱出したときはガラスの花瓶(かびん)破片(はへん)に姿を変えていた……と僕は推理しました」

「レガリアの力とはいえ命なきものに変身するとは、常人の考えとは思えんな」


 ドラバイト卿の言う通り、そうした肉体の変化が精神にどのように影響するかは未知数であり、挑戦することそのものが無謀といえた。


「僕もそのように思います。しかし、今思えばタウンハウスでの僕の推理は間違いでした。犯人は僕やパパ卿の追跡(ついせき)を確実に振り切るために、いくつかめくらましの手段を用意し、ガラスの花瓶の破片はそのひとつに過ぎなかったのです。犯人はこのとき、もっと別のものに、そして誰からも疑われず、確実にタウンハウスを出て目的地へと届けられるものに変化していたのです。それが何かロー・カンは知っています」

「……隠しナイフだ」


 ロー・カンは苦々しい顔つきで言った。

 しかし、ドラバイト卿はいまだに納得(なっとく)がいかない様子である。

 相棒であるロー・カンがドラバイト卿の知らない事実を知っているという事態もさることながら、この探偵裁判における武器の取り扱いはドラバイト卿の責任においてやり取りされた事項であるからだ。


「裁判の前に武器はすべて取り上げたはずだぞ。あの赤毛の小僧(こぞう)はパパ卿の身の安全とひきかえに、武器はすべてみずから差し出したのだ。それだけは奴の美徳(びとく)であったはずだ」

「それがな、クドー。お前たちが控室を出てキッチンに行ったあと、ラトが言う通りアルタモント卿がやってきたんだ」


 ロー・カンは極めて言いにくそうに話した。

 彼はクリフが三杯目の毒の杯を飲んだ後、四杯目の苦痛を考慮(こうりょ)して、ナイフを渡した。しかしそれは親切心(しんせつしん)からそうしたわけではなかった。

 実は、あの隠しナイフはアルタモント卿の仕込みだったのだ。

 クリフが二杯目の毒杯を飲み、氷を取りにラトとドラバイト卿が出て行った後のことだ。ロー・カンとクリフだけがいる控室に人目を忍んでやってきた者がいた。

 それがアルタモント卿であった。

 そこでアルタモント卿は《自決用の武器》だと言ってクリフにナイフを持たせるよう、ロー・カンに()知恵(ぢえ)をしてきたのである。


「なんだと。なぜそのことを私に話さなかった!?」


 ドラバイト卿は驚愕(きょうがく)に目を見開いている。

 本来であればロー・カンはドラバイト卿の相棒で、何をするにしても情報を共有しているはずだった。

 無理もないとラトは言った。


「いう必要がないと思ったのでしょう。アルタモント卿がこの場の誰でもない人間の悪事の片棒(かたぼう)をかついでいるとは、彼は知らなかった。アルタモント卿はドラバイトおじさまには自分から伝えておくと言ったでしょうし、それにクリフ君が剣だけでなく、隠し持っていたナイフまで差し出したことは誰にとっても計算外だったのです。クリフ君はいつも、そういったささやかな誠実さで、僕の推理を助けてくれるんです。ひとつ疑問なのは、ロー・カンが(あず)かったナイフをすぐにクリフ君に渡さなかったことです。僕達がキッチンに行ったときにアルタモント卿がやってきたなら、それは二杯目の毒を飲んだあとのタイミングだ。なぜ、三杯目まで待ったんだい?」

「被告人が疑い深く慎重(しんちょう)なイエルクの血筋なら、一度は自分の手元から離れた武器をすんなりとは受け取らないだろうと考えたからだ。だから症状が進行し、死が近いことを自覚する三杯目まで待った」

「なるほどね。おじさま、僕が思うにあなたの相棒は十分すぎるほど思慮深(しりょぶか)い方です。まさにそのために僕は彼がナイフを渡すよう、二度もドラバイトおじさまを控室から連れ出すという手間(てま)をかけなければならなかった。でも、そのおかげで考えようによっては犯人の目から(のが)れる(すき)ができたというわけだ。すべての君の判断と行動にありがとうを言うよ、ロー・カン」


 ロー・カンは複雑な、見ようによっては不快(ふかい)そうな表情を浮かべていた。

 それも無理からぬことだろう。ドラバイト卿はそれを聞きながら、ラトにあからさまなしかめ(つら)をみせた。


「私は、君には(なぐさ)めが必要だと思っていたのだが……?」


 ドラバイト卿が控室を出たタイミングは二度あった。ひとつめはラトと氷を取りにキッチンに行ったとき。二度目はクリフが三杯目の毒杯を飲み、喀血(かっけつ)したショックで、ラトが控室を出たいと言ったときだ。

 どちらのタイミングでも、ドラバイト卿はラトの心の痛みが少しでもやわらぐように気をつけて振舞っていたのだった。

 しかし、それはラトにとってまったく無用(むよう)のもので、むしろそう思わせることこそ策略(さくりゃく)のうちだったのだ。


「ですからお優しいドラバイトおじさまと言ったのです。あなたは僕を慰めることに集中して控室に背をむけ、完全に無防備(むぼうび)でした。その間に、貴方の相棒は仕事を()ませたのです。犯人が完全なる密室であった法廷に侵入(しんにゅう)するため、隠しナイフに変化したとはまったく思わずに。僕が絶好(ぜっこう)のチャンスを作り、そうするように促したのです。ですが、そうなるとますます疑問に思えることがあります。そもそも、おじさまは不思議に思わなかったのですか?」


「何がだ?」とドラバイト卿が優しさを利用された苦しさを必死に押さえこみながら言う。


「アルタモント卿は法廷には在室せず、音声だけで僕たちとやり取りしていました。控室にはあなた方がいたが、法廷には誰もいなかった。控室やキッチンでは監視がついていたのに、肝心(かんじん)の法廷では誰も監視をしていないなんて、これはとても不可解(ふかかい)な事態です」

「アルタモント卿には法廷にいなくとも君たちの様子を知る手段があったはずだ」

「まさか机や椅子の下にしかけた重さをはかるしかけ……のことですか? そんなものあるわけがない。あれはアルタモント卿がめずらしくついた(うそ)ですよ。あの部屋にあったしかけは、アルタモント卿とやり取りするためのレガリアと、自動的に毒の杯がせり上がって来るテーブルだけです」

「何故きみにそんなことがわかるのだ」

「だって、僕は裁判中、何度か椅子から立ってテーブルを離れたりしてましたが、彼は何も言いませんでしたよ」


 これほど簡単な(かい)はなかった。

 テーブルや椅子に仕掛けがあるかどうかは、実際にその椅子と机を使っているラト自身が動きまわることによって明らかになる。

 ラトは裁判中こっそりと実験を行ったが、アルタモント卿はそれに気がつくことなく裁判を進行していた。

 そうしたことは控室側にいたドラバイト卿たちももちろん知ることのない事実だ。

 二人はラトが勝手な行動を取ったことを知り、(そろ)って唖然(あぜん)とした表情になる。


「そのせいでパパ卿が死にでもしたらどうするつもりだったんだ!?」


 ドラバイト卿は怒っているというよりも、恐ろしさのあまりというふうに声を(あら)げた。


「しかけは無いと思っていましたし、それに、僕が移動したのがバレたからといってパパ卿がその場ですぐに殺されること自体が考えにくいことでした。それよりも、なぜ法廷内の監視がいなかったのか……そのほうが今は大事なことです。法廷内が無人だった理由は、当初の計画では必要がなかったからです。だって、犯人はクリフくんの隠しナイフに変化し、僕たちの一番すぐ近くで裁判を傍聴(ぼうちょう)するつもりでいたのですから。そうであれば、アルタモント卿は法廷の外にいて僕やパパ卿に顔色を読まれないでいるほうがメリットが大きいのです。結果的には僕もそのほうがずいぶん都合(つごう)がいい」

「君の頭脳(ずのう)は正しくとも、大切なネジが二、三本、どこかに吹き飛んでいるようだな。しかし、君にとっても都合がいいとはどういう意味だ?」

「そうとしか言えませんよ、おじさま。だって法廷内は完全な密室(みっしつ)で、逃げるところはどこにもないんですからね」


 ドラバイト卿はようやくラトの言わんとするところを理解したようだった。

 もしもラトの推理がすべて正しく、ロー・カンがその不届き者を法廷へと招いたのならば、その人物はいまだ事件現場に留まり続けているということになる。

 もしもこの考えを確かめたければ、扉をひとつ開くだけでよいのだ。


「……そういうことか。例の隠しナイフはまだ法廷内にあるのだな」

「それこそが真の僕たちの敵です。おじさま、もしかしたら目には見えない相手であっても、ここから出さずにいれますか」

無論(むろん)だ。事と次第(しだい)というものを確かめさせてもらおう」


 すでに、ロー・カンは無言のうちに控室の扉を閉めている。

 ラトは背にしていた法廷の扉を開いた。

 その内部は先ほどとは何ら変化はないように見える。

 テーブルには、突っ伏したまま動かないでいるクリフ・アキシナイトの背中が見えた。


「アルタモント卿、控室でのこととはいえ、僕の推理を聞いておられたはずです。何か申し開きがありますか? あなたは裁判中にタウンハウスで起きた騒ぎを知らないと仰っていた。それは真実だったと僕は思います。あなたはその者と手を組んでいたが、その者は全ての情報や行いをあなたに報告していたわけではなかったのですよ」


 レガリアを介して、アルタモント卿の返事がある。


「君の推理は正確だ。その部屋に君たちの知らぬ第三者が(ひそ)んでいるということを(ふく)めて。だが、それで審理(しんり)がくつがえることはないのだ」

「その者があなたを(あざむ)いているとしてもですか? その人物は、クリフ・アキシナイトがガンバテーザ要塞で殺人を行っていないという証拠を手に入れているのに、あなたには故意にその事実を()せている! 言ったでしょう、証拠をお見せできないと。確実にこの場にあるはずなのに、それは誰の目にも見えないのです。なぜならその人物は、探偵裁判が始まる前にペリドット侯爵家に(しの)びこみ、果実やナイフといった品々と一緒にクリフ君の荷物を持ち出したからです。クリフ君はそれを服だと言っていました。服です。古く、価値なんてないとも言っていました。今となってはおかしなものです。古い服だなんて! 彼はすべての過去を()てて迷宮街に来たはずだからです。でも二つだけは手元に残した。剣と服なのですよ、アルタモント卿。他の何を捨てたとしても、それだけは始末(しまつ)できなかったもの。剣と同じくらい大切な物。それが何なのか僕にはわかる」


 感情が()せられていても、その言葉に怒りが充満(じゅうまん)しているのが伝わってくるようだった。

 それに対してアルタモント卿の声は聞こえてこなかった。沈黙(ちんもく)している。

 それとも、何かを考えているのだろうか。


「何者かは知らないが、姿を現わせ。弁明するなら今のうちだぞ。そうでないなら、部屋にあるすべてのものを私が()()みじんに破壊してしまうかもしれない」


 ドラバイト卿がそう言うと、部屋の中に異変が起きた。

 何か硬いものが地面に落ちた音がしたのだ。

 音の発生源(はっせいげん)は、テーブルに()しているクリフの足下であった。

 そこに、くすんだ灰色の小さなナイフが落ちている。

 それから、奇妙なことが起きた。

 鋭利(えいり)刃物(はもの)輪郭(りんかく)が不意に(ゆが)んだと思うと、それは瞬く間に闇色に色を変化させたのだ。

 地面に横たわった闇色の何かは、まるで意志をもつ粘液(ねんえき)のようにうねり、形をかえて広がり、急速に人の形へと成長した。

 その人物には顔の輪郭(りんかく)も手足のそれもあった。

 しかし全身がほんのわずかな余白(よはく)を残すこともなく闇色で()りたくられており、そこに個人の色彩(しきさい)を判別することはできなかった。

 まさしく異形(いぎょう)のものの風体(ふうてい)である。

 ドラバイト卿は(こぶし)(にぎ)りこんだ。

 

「その者を攻撃してはならない、これは団長命令だ」とアルタモント卿が告げる。


 その声は、それまでの冷静沈着(れいせいちんちゃく)なものではなく、どことなく上擦(うわず)ったような響きが含まれていた。(あせ)っているのだ。


「ドラバイトおじさまは見守ってくださるだけで結構。この件は僕とクリフくんだけで決着をつけます」


 ラトはそう言った。


「君がタウンハウスで(ぬす)みを働いた犯人だね? クリフ君の部屋から盗んだものを返してもらう」


 すると、闇が(うごめ)いた。

 闇はテーブルを離れてラトの前まで進み出ると、右手を(かか)げてみせた。

 ちょうどそのあたりに、紙で包んだ荷物が現れた。


「こちらに大人しく引き渡してくれるつもりはあるのかな?」


 しかし、闇の人影はそれ以上、何の反応もみせない。

 まるで奪い取ってみろとでも言うようだった。


「そう、じゃ、仕方がないね。クリフくん、出番だよ」


 ラトが再び平然としてクリフの名を呼んだせいだろう。

 やり取りを見守っているドラバイト卿が動揺(どうよう)する。


「ラト……まだ正気を取り戻していないのか」

「おじさまは黙っていてください。これは僕とクリフ君の問題です」

「何度も言わせるな。君の相棒は死んだ。永遠の眠りについたのだ。人は一度死ねば生き返らぬものだ」

「いいえ。他の誰が信じなくても、僕はクリフ君を信じます。そして僕自身を信じます。僕は一世一代(いっせいちだい)の大勝負に出たのです。これは探偵騎士団に対する挑戦であり、迷宮の外では何人(なんぴと)も生き返ることはないという女神の原則に対する挑戦でもあります。人の領域では誰もなし得たことのない挑戦ですが、僕は絶対にこの勝負に勝ちます。ですから彼はいまから生き返るのです。人は、自分以外のほかの誰かが望めば二度目の(せい)()きられるのです!」


 ラトは闇から目を()らさずに、語りかける。

 それはすべて、ラトの前に立ちはだかる闇色の影ではなく、その向こうにいる相棒に向けての言葉だった。


「クリフくん。君がセヴェルギン隊長の名誉(めいよ)を守ろうとしていることはわかる。その気持ちはとてもよくわかるよ。それに対して僕は真実を探求することでしか答えられない。答えられないけど……! これだけは忘れないでほしい。もしもここで僕が真実を(あきら)めたら、君が本当のことを誰にも伝えないまま去ったとしたら、息子の帰りを待つ母親が、ひとりぼっちでこの世に残されることになるかもしれないんだよ! そんなことをセヴェルギン隊長が望んでいるはずがないじゃないか、クリフ君!」


 ラトは呼びかける。

 レガリアで本当の心は隠されていても、それはこの上なく真摯(しんし)(うった)えだった。ラトが心の底から、クリフに伝えたいと思っている言葉だった。

 しかしクリフが起き上がって、その言葉を聞くことはなかろうと、事態(じたい)を見守っていた者たちは思った。そのことはドラバイト卿とロー・カンにとっては当然であった。二人はこれまで医師として多くの患者を救ったが、それ以上に多くを見送った。その中には善人も悪人もいたが、死は(みな)にとって(ひと)しく、どれほど(なげ)こうが泣き叫ぼうが、帰りを待つ家族がいようがいまいが死者が戻ってくることはなかった。真心(まごころ)も優しさも関係がない。

 医師というものにとって死は絶対だった。

 しかし、そのときだった。

 事態を見守っていたドラバイト卿とロー・カンの目が見開かれる。

 それにつられて闇もまた後ろを振り返るようなしぐさをみせる。

 そこでは、女神でさえこの地上でなし得なかった奇跡が起きていた。

 クリフ・アキシナイトがテーブルの上で起き上がったのだ。


「なぜだ!! なぜクリフ・アンダリュサイトが生きているのだ!?」


 この場の全員を代表して、ドラバイト卿が叫んだ。

 なぜかはわからない。

 この場の誰にも、その理由はわからないが、しかしそれは目の前で起きている。


「ちゃんと決めろよ、ラト」


 そう言って、握りしめていた片手を背中越しに広げてみせる。

 そこには薄明りにきらりと輝くガラスの破片が握られていた。

 闇が再度、ラトを向くと、ラトは杖を(かか)げていた。

 杖の持ち手は鳥の形に変化し、金色に輝いている。


「パパ卿のタウンハウスで盗みを働いたのが運の尽きだ。僕の鳥は事件現場から持ち去られたものを追跡する。しかも、目にもとまらぬ速さでね。(ため)してみるかい?」


 ラトの杖から、黄金の追跡者が放たれる。

 闇色の人影は避けようと動くが、鳥はそれよりもはやく、ラトの杖とクリフの手の中にあるガラス片を結ぶ線上を駆け抜ける。

 そして、盗人の心臓の真上めがけて飛び込んだ。

 あまりの衝撃に人影は真うしろへと、クリフめがけて吹き飛ばされる。

 クリフは(はがね)(かたまり)のように重たい体を引きずり、咄嗟(とっさ)に避ける。

 一瞬だけ吹き飛ばされた影の足がテーブルにつき、わずかに軌道(きどう)を変えたのをみた。しかし勢いは殺せなかったらしく、椅子のむこうに落下してうずくまった。

 金色の鳥はクリフの手にとまり、猛々(たけだけ)しく奇声を上げていた。

 泥棒の手を離れた包みは宙に舞い、ドラバイト卿の手に落ちた。


「中身を確認させてもらうぞ!」


 ドラバイト卿が包みを開くと、そこには血染(ちぞ)めの衣装があった。

 兵士の服ではない。町人が当たり前に着る(あさ)の上着だった。

 血は心臓付近に空いた穴から染み出している。

 ガンバテーザ要塞で剣によって殺されたものは二人いる。

 セヴェルギン・アキシナイトと、エリオット・ロードライトだ。

 セヴェルギン隊長は(よろい)とサーコートをまとっていたが、それは遺品(いひん)としてロードライト婦人が引き取っている。そうなると、これはエリオット・ロードライトのものであるという可能性が高い。


「……しかし、腹を()かれた形跡がない」


 ドラバイト卿は自分が目にした検死報告書を思い返し、そう言った。

 エリオット・ロードライトは心臓をひと突きにされた後、腹を裂かれていた。

 傷は内臓に(たっ)するほど深いものだった。もしも何かしらの怨恨(えんこん)や、残虐(ざんぎゃく)さを示すためにそうした犯行に(およ)んだのだとしたら、わざわざ衣服を()がす必要はない。

 また、同じ報告書にエリオット・ロードライトは発見時、ほかの兵士たちと同()で立ちだったと書かれている。それはエリオットが死後、わざわざ兵士の服に着せ替えられたという事実を示している。

 なぜ、そのような偽装(ぎそう)をしたのか? その答えは明らかだ。

 エリオット・ロードライトは兵士ではなかったからだ。


「いまは真相(しんそう)なんてどうでもいい!!」


 耐えかねたようにラトが怒鳴(どな)った。

 ラトは衝突(しょうとつ)を避けて地面に転がったまま、動かないクリフのそばで必死にロー・カンを呼んでいた。


「ロー・カン! 解毒薬(げどくやく)をくれてやれ!」


 ドラバイト卿が(さけ)ぶと、ロー・カンは(ふところ)から注射器を入れた箱を取り出し、(しか)るべき処置を始めたのだった。


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