第61話 探偵裁判、開廷
ドラバイト卿とロー・カンはラトから剣を回収し、クリフに手錠をかけた。
その際に持ち物はすべてあらためられた。持ち込むことが許されたのはラトの杖だけだ。短剣や、袖口に隠していた針金やちょっとした道具なども差し出さねばならなかったが、クリフは言われる前にすべての武器を預けた。
ラトはちらりとクリフに視線を投げたが、連れ去られたジェイネルのことを思えば、ここで従わない選択肢はない。なにしろ、探偵騎士団はカーネリアン邸にも暗殺者を忍び込ませたような連中だ。
ドラバイト卿はアルタモント卿にクリフの剣を手渡すと、館の一階の奥へと背を向けた。
「ついて来なさい」
ドラバイト卿とロー・カンはクリフとラトを間に挟み、館の奥へといざなう。廊下の窓は細く、鉄格子がはまっており、あかりは最低限に抑えられていた。館の内部は薄暗く、どこにいてもひどく憂鬱だ。
「あの二人が前と後ろにいるのに、手錠に何の意味があるんだよ」
クリフは苛々とした様子で、わざと両腕を動かして手錠を鳴らした。
先ほどの戦いはみっともないことこの上ない出来だった。油断をしていたとか、わざと手を抜いていたとかいった要素も全くない。それなのに手も足も出ないというのがほんとうの感想だ。
しかもドラバイト卿はまだレガリアの力を残している。
「ドラバイトおじさまはあれでもお医者様なんだよ。王都の繁華街にご自分の病院を持っていらっしゃる。まあ、あそこに運び込まれる患者というのはほとんど死因の究明のために持ち込まれる遺体で、ときどき来る生きている患者も、賭け試合でぼこぼこに打ち負かした相手なんだけどね」
ラトがそう話すと、それまで二人を無視していたドラバイト卿が咳払いをした。
「ああ、もしかしてだが、ラト、お前がよく遺体を解剖しようとするのは……こいつらの影響か」
「その通り。僕は解剖術をドラバイトおじさまから、医術はロー・カンから。そして二人からひと通りの格闘の技術を教わった。こと肉体を破壊する技にかけては、ドラバイト卿の右に出る者はいないんだ」
ドラバイト卿の咳払いはいっそう大きくなる。
「君には治療技術も伝えたはずだぞ、ラト!」
いかにもたまりかねて、という雰囲気だ。
科学を与えたマラカイト博士も似たような反応をしていたことから、ラトは教師からいらないことばかり学び取る天才のようだ。
おそるおそる背後を覗き見ると、ロー・カンは正体不明のニヤニヤ笑いを浮かべていた。何を考えているかわからず、怖い。
「だからね、クリフくん。君の取った行動は僕の理解を超えるよ。どうして大人しく武器を渡してしまったの? それも隠しナイフにいたるまで全部だ。虎の前で白旗を振っても意味がないよ」
クリフも積極的に武器を渡したかったわけではない。
だが、ラトほどではないとはいえパパ卿に危害を加えてほしくないという気持ちはクリフにもある。
それにドラバイト卿はクリフたちに手錠を見せながら次のように言ったのだ。
「二度も私をがっかりさせるつもりかね、クリフ・アキシナイト君。私は君に会うまで望みを捨てていなかった。ラトが選んだのだから、君はきっと正しい心の持ち主であると……そう考えていた」
戦いの最中、クリフは自分の心に邪な考えが宿ったことに気がついていた。
ほんの一瞬のことではあったが、もしもドラバイト卿に打たれていなかったら、その考えを御せていたかどうか自信がもてない。いきなり攻撃されたとはいえ、武器をもたない相手に斬りかかっていたかもしれないのだ。
ドラバイト卿は地下室への階段へと向かう。
階段に差し掛かると、ますます周囲が暗くなった。
階段の下には扉がひとつあり、小部屋に通じていた。
「ここが控室だ。裁判の合間の休憩時間に使うといい」
部屋の中には使い込まれた風情の長椅子が置いてあるだけだった。出入口は二つあり、片方は今しがた四人が入って来た扉で、地上階へ繋がる階段に通じている。
ラトはもうひとつの扉に手をかけたが、鍵がかかっていて開かないようだった。
「そちらの扉のむこうが法廷だ。時刻になれば自然と開くしかけだ。扉や手錠の鍵は私とロー・カンがひとつずつ持っているが、奪えるとは思わないことだな」
「僕が以前、館に来た時は地下室にこんな仕掛け扉はありませんでした。クリフ君のためにずいぶん大掛かりな改修をしたようですね、ドラバイトおじさま」
「君たちが来るまでに三ヶ月は時間があったからな。久しぶりの探偵裁判だが、準備は万端だ」
それを聞いて、クリフは疲れたような声つきでラトに訊ねる。
「おい、ラト。いい加減説明してくれ。いったいなんなんだよ、探偵裁判って」
「あぁ、探偵裁判というのは、探偵騎士団に伝わる伝統的な裁判のことだよ。探偵が主催して開く正式な移動法廷でもある」
「決闘裁判でもやらせるつもりじゃないだろうな」
「まさか。探偵騎士が開く法廷だもの。証拠に基づき、理論に沿って行われる極めて合理的な裁判のはずだよ」
「ああそうかい。お前たちは探偵って頭につければなんでも許されると思ってる節があるようだから、少し確認したかっただけだ」
「それについては僕も、諸々のネーミングセンスを疑うところではある。少し苛々しているみたいだね、合ってるかい? クリフくん」
ラトは自信なさそうに首を傾げながら、クリフを見上げる。
クリフもまた、ラトの顔をみると、言いようのない不安に襲われた。
ラトの表情はどこか精彩を欠いており、その言葉も抑揚がなく平坦に聞こえてくる。
これは、すべてジェイネルが残していったレガリアの効果である。
ラトとクリフの心のうちは、誰にも読めない。アルタモント卿をはじめとする探偵騎士たちがいかに探偵術を駆使しようともだ。
そして、それはお互いに対してもそうなのだった。
だからこそ二人の会話にはかなり居心地の悪いものがあった。
もとよりラトの心情など正確に読めたためしのないクリフでさえ、言いようのない気持ち悪さを感じるのだから、些細な言葉や服装や身じろぎひとつから相手の感情を読み取る術に長けたラトはそれ以上だろう。
これからまっとうな裁判が行われるとしたら、被告人に指定されたクリフの気持ちが外に漏れないというのは十分に有利な状況ではある。
だがパパ卿のレガリアとその効果について熟知しているだろうアルタモント卿が顔色ひとつ変えないという点が妙に気にかかった。
「時刻だ」
ドラバイト卿が言う。
ほぼ同じタイミングで鍵のかかっていた扉から「カチリ」という音がした。
自然に開かれた扉には、控室よりもかなり広々とした空間が待っていた。
石造りの壁と床に囲まれた殺風景な部屋の真ん中に机と椅子が置かれている。
明かりは最低限で、一番大きなものが机の上に固定されたランプだった。
長時間、この部屋にこもっていたら、気が滅入るだろうことは間違いない。心の弱い者ならば気が触れてしまうかもしれない。
椅子は向かい合わせにふたつ配置されており、クリフは入口を背にして座り、ラトはその向かいに座るように指示される。奇妙なのは机も椅子も、どちらも動かないようにしっかりと床に固定されている点だ。
クリフの正面、ラトの後ろの壁際には金色の台座が置いてあった。
黒いびろうどの上にレガリアが鎮座している。
アルタモント卿が使っていたものとは違い、透明な水晶の中に金色の針がいくつも浮かんでいる。
「これが法廷?」
牢獄の間違いではないかと思ったから訊ねたのだが、ドラバイト卿はクリフの疑問には答えず「椅子に座れ」とだけ言って、ロー・カンとともに控室側から扉を閉めてしまった。
鍵そのものはあまり頑丈なものではないだろう。
しかし、今、クリフは拘束されており武器もない。
出入口の監視をしているドラバイト卿やロー・カンを突破しての脱出はまったく現実的ではなかった。
ラトとクリフは大人しく、向かい合わせに椅子に座った。
台座に置かれたレガリアから再びアルタモント卿の声が聞こえてきた。
「準備が整ったようだね。では、正式に裁判をはじめようか」
アルタモント卿が何か話す度に、レガリアに封じ込められた金色の針が美しい馬の尾のようになびいた。
間髪を入れず、ラトが挙手した。
「異議あり」
「異議を認めよう」
「アルタモント卿、あなたは正式な裁判をはじめると仰いました。しかしロンズデーライト王国統治下では、たとえ移動裁判所であっても裁判官資格を有する者が二名、法廷内に存在しなければ正式な法廷というものを開くことはできません」
「君の言う通りだ、ラト」
「そのうち一名はあなたでしょう。裁判官資格は国王陛下によって与えられる高等資格のひとつで、汚職と利権が絶え間なく巣をはり巡らせていることは言うまでもないことです。ですので、あなたの父君が彼の耳元でひとこと王国のためですと囁けば、一両日中にも発行されるにちがいありません」
「それほど簡単な男たちではないが、まあ概ね想像の通りだろう」
「しかしそういうことであれば、もう一名は誰です?」
「いましがた紹介しようと思っていたところだ。本法廷の裁判長をね」
指を軽く弾く音が聞こえた。
それと同時に驚くべきことが起きた。
扉正面の壁が消え、法廷の奥に別の部屋が現れたのだ。
「おい、見ろ、ラト」
クリフが呼びかけると、ラトが振り返る。
そこにあるのはクリフたちがいる場所とは違い、壁紙も絨毯もそろっているきちんとした部屋だ。
その中央には玉座と見紛うような大きな椅子があり、連れ去られたジェイネルがベルトで拘束されているのが見えた。
拘束は厳重そのもので、足元は鍵付きの鉄の足輪で固定されている。
ラトたちが見ていることに気がついたのだろう。
パパ卿は大きく暴れて、猿ぐつわの下で何かを叫んでいた。
だが、こんなにも近いところにいるのに物音や唸り声のたぐいは一切聞こえてこなかった。
おそらくレガリアの力で空間を繋げたか、それともラトのレガリアのように映像を投影しているだけなのだろう。
「ジェイネル・ペリドットは昔、事件解決に必要だからという理由で国王陛下をそそのかして資格を取得したことがある。嘘か真かはわからない。しかし、それはまだ有効な資格であることは間違いない」
アルタモント卿がもう一度指を鳴らすと、その空間は再び元の石壁に戻ってしまった。
「裁判長を監禁するやつがあるか!」
「裁判長を拘束してはいけないという法律はない」
「監禁は違法だ!」
「証拠が揃いしだい、スティルバイト君が私を逮捕するだろう。スティルバイト君、告訴するかね」
奥のほうからスティルバイト卿が「賄賂よりも休みをくれ」と答える声が聞こえてきた。
「さて、まずは罪状認否といこうじゃないか、クリフ・アンダリュサイト君。君には先にも言った通り、多数の王国兵を殺害した疑いがかかっている」
「異議あり」
「異議は認めないよラト、最後まで聞きたまえ。ガンバテーザ要塞を知っているね、クリフ君。王国西部にある小規模な要塞だ。ここに詰める兵士たちに与えられた任務はガンバテーザ廃迷宮の監視だった」
クリフは答えなかったが、アルタモント卿は全く気にせずに話し続ける。
「ガンバテーザ廃迷宮にはかつて針魔獣と呼ばれた強大な魔物が巣くっていた。迷宮の深層に住み、気性は獰猛。血と肉を好み、悪食で死体の腐肉にも食らいつく。もっとも恐れられた特徴は、迷宮の深部に誕生したレガリアと共生関係にあったことだ。レガリアは針魔獣に生命力を与えており、たとえ針魔獣を倒したとしてもレガリアが迷宮に存在するかぎり何度でも蘇った。このレガリアには針魔獣を使役する能力が秘められていたんだ。百年前、王国は兵を出してこれを討ち取り、レガリアを持ち出して封印を施した。真実のところは旅の勇士が倒したらしいのだが、まあそれはいい。ガンバテーザ要塞で針魔獣の監視任務につく王国兵の数は多くとも通常時十名。その三倍近い人数が動員されたのは、針魔獣復活の予兆があったからだった。部隊を率いたのはセヴェルギン・アキシナイト。部下からの信頼の篤い部隊長だったと聞いている。しかし彼が率いた部隊は、このガンバテーザ要塞で全滅という憂き目にあった。兵士たちの遺体は獣に食い荒らされており、針魔獣のしわざとされている。我々はこの件について再捜査を行い新しい証拠を発見した。埋葬されたセヴェルギンの遺体、正確には骨だが、剣による傷がついていたのだ。そしてその傷は……クリフ・アンダリュサイトが所持する剣によるものと判明した。つい先ほどのことだ」
アルタモント卿がドラバイト卿とロー・カンを使って武器を回収した理由は、どうやらそのためだったようだ。
「何か申し開きはあるかね」
「俺は殺していない」
「否定するのはその点だけなのだね。では質問を変えよう。君は海蛇の年の九月十七日、ガンバテーザ要塞にいた。そうだね?」
クリフが答えようとすると、アルタモント卿はそれを遮った。
「わざわざ返事をする必要ない。かわりに別のものを」
杖で床を叩く音が二回する。
すると、ラトとクリフの前にあるテーブルの真ん中に四角く亀裂が入った。四角く切り取られた部分の天板が下がって、その下にしまわれていたものがせり上がってきた。
現れたのは黒と白の小さな石の杯だ。
中には無色透明の液体が入っている。
「さきほどの質問に対し肯定なら黒を、そして否定するなら白い器を飲み干してもらう。ただし正しい答えの杯には毒が入っているので、そのつもりでいたまえ」
「毒……?」
クリフは呆気に取られていた。アルタモント卿が何を言っているのか瞬時に理解できなかったからだ。
「私はこれから、合計五回の審議で五つの質問を君に行う。その度に君には毒の杯と、毒の入っていない杯のふたつが提示される。君はそのどちらかを自分の意志で選び、飲み干す」
「何を言ってるんだ? 気でも狂ってるんじゃないか?」
「安心したまえ、それを飲んだとしてもすぐに死ぬことはない。致死量に達するのは五杯目だ。五杯飲めば確実に死ぬが、四杯までなら苦しむだけで済む計算になっている」
「こんなの裁判じゃないだろう。理論に沿った合理的な判断はどこに行ったんだ!」
「これは極めて合理的な裁判だよ。君が本当にガンバテーザ要塞で三十名を殺した殺人犯なら、どのみち死罪はまぬがれない。死刑判決と同時に死刑を行えば執行までの時間を節約できる」
「審議をしろ!」
「我々はこの事件に対して万全の調査を行った。結論はすべて出ているのだ。君がするべきことは、ただ罪を認めることのみであり、そしてその方法が君たちの目の前にある杯だ」
アルタモント卿はあくまでも正気であり、本気のようだった。
「そうだとしても、俺はすべての回答に嘘をつくだけだぞ」
クリフが言うと、アルタモント卿が微かに笑う気配がした。
すかさず、ラトが訊ねた。
「アルタモント卿、僕はクリフ君の弁護人としてここに呼ばれたのですか?」
「いや、違う。君にはクリフ君が飲まなかったほうの杯を飲み干してもらうという役目がある」
アルタモント卿は用意周到であった。パパ卿を拘束したのは、彼に裁判官役をやらせるためなどではなかったのだ。
「もちろん、この条件を受け入れなかった場合、即座にペリドット卿が探偵騎士としての使命に殉じることになるだろうね」
「ふざけるな。俺にこんなばかげたことをさせるために、優秀な探偵騎士を二人も殺すつもりか?」
「ペリドット卿はともかく、ラトがどうなるかは、君の答えしだいだ」
アルタモント卿はこれは挑戦ではなく裁きだと言ったが、挑戦としての要素も残していた。
彼はクリフに「正義を示せ」と言っているのだ。
クリフが質問に対して正解を選び続ければ、おそらくは、最終的にはクリフ・アンダリュサイトがガンバテーザ砦で起きた事件の犯人ということになるのだろう。そして、罪を認めたと同時に死を迎えることになる。
しかし、みずからの死を恐れて偽りの答えを選び続ければ、かわりにラトが死ぬ。
ラトは目の前にある二つの杯を睨みつけていた。恐らくは強張った表情をしているのだろうが、クリフからはわからない。
「刺激臭はなし、無色透明で、判別する方法が見当たらない。器にも変化はみられない」
「ラト……。俺は答えを選ぶ。パパ卿のためだ」
「常に正しいものを選ぶ必要はないよクリフくん。これは嫌がらせだ。僕と君とで半分ずつ正解の毒を飲めばいい。そうすれば死ぬことはない。三杯飲むか、二杯飲むかで不公平さが出るかもしれないけど」
ラトはまだじっと杯を見つめて、そこに何らかの毒の気配がないかどうか探ろうとしていた。しかし目視でわかるような痕跡をアルタモント卿が残すはずがなかろうと思えた。
しかも、本人の姿は法廷になく、心を読もうと思っても読めないのだ。
クリフは迷うことなく、肯定の杯を手に取った。
「確かに俺は、海蛇の年の九月十七日、ガンバテーザ要塞にいた」
ラトは少しぼんやりとした後、間を開けて訊ねる。
「君がガンバテーザ要塞に? 何故? それは……正しい答え? それとも嘘?」
クリフは何も言わずに杯の中身を飲み干した。
「これより一時間の休廷とする」
アルタモント卿が言った。
毒の効果は控室に戻ってすぐに出た。
強い眩暈に襲われ、立っていられなくなった。
頭から真っ逆さまに地面に向けて倒れこんだ体を、ラトが慌てて支える。
体を長椅子に横たえ、それから間もなく、内臓のすべてに焼けつくような痛みを感じた。
「クリフくん、吐き出せ!」
クリフは首を横に振り、歯を食いしばって耐えた。
もしもこの苦しみから逃れようとしたら、その苦しみはパパ卿に向かうかもしれないのだ。
※探偵裁判のルール※
被告人は副裁判長であるアルタモント卿の質問に5回答えなければならない。
また、その回答の方法として、液体の入った二つの杯が用いられる。
そのどちらかには毒が入っており、5杯飲むと死にいたる。
正しい答えの杯には毒が入っており、飲まなかったほうの杯はラトが飲み干さなければならない。
脱走やルール違反の際はパパ卿が責任を負う。