第60話 探偵の館
オブシディアン家は王家と同じくらい古い歴史を重ねた家系のひとつである。
代々の当主は宰相職を歴任し、王国の有力貴族のひとつとして数えられながらも、華やかな貴族たちとは一線を画していた。彼らは《影の貴族》と呼ばれ恐れられていたのだ。それは、王国の権謀術数のかげに必ずオブシディアン家の存在があったからだと言われている。
現在の当主グラスラーバ・オブシディアンは老齢で子供がいなかったため、後継として引き取られたのが姉オプシアノスの末子、アルタモントであった。
探偵騎士団が宮廷で存在感を示すようになったのは、アルタモント卿の影響が少なくなかった。
アルタモント卿は探偵騎士団に強い興味を示し、入団すると、他の探偵騎士たちの批難を抑えてジェイネル・ペリドットを円卓に加えて活躍させた。
これまで完全なる秘密組織であった探偵騎士団が、公然の秘密となるという弊害はあったものの、ジェイネルの働きは王都の貴族の間でたちまち評判になった。
そしてジェイネルが貴族たちの間で支持を得るにつれて、アルタモント卿も騎士団での地位を高めていったのだった。
現在、アルタモント卿は団長として探偵騎士団の全権を指揮する立場にある。
「探偵の館は、探偵騎士の大切な拠点だ。これまで王国に存在したすべての探偵騎士とその助手、そして彼らの探偵術を記録し保管する場所でもある。おそらく館には、アルタモント卿と探偵騎士たちが待ち構えていることだろう」
迎えの馬車に乗りこんだあと、ジェイネルは憂鬱そうな顔つきで説明した。
「何度もお話しましたが、僕は探偵騎士にはなりませんよ、パパ卿」
難しい顔をしているパパ卿に対し、ラトはあっけらかんとしている。
「パパもそれを応援してあげたいんだけどね、ラト……」
ジェイネルの溜息は深い。
「アルタモント卿はそれで引き下がるような御方ではない。彼はどんな手を使っても、自分の望みを叶えようとするだろう」
「パパ卿。たとえ名字が違ったとしても、僕はパパ卿の息子です」
話を聞くからに、ジェイネルは探偵騎士としても、貴族としてもアルタモント卿には頭が上がらないようである。
たとえばラトはアルタモント卿からペリドット侯爵家に託された子であるが、ジェイネルと同じ家名を名乗らないのにも理由がある。
すなわち貴族が継子として養子を迎えるには王家の許しが必要なのだ。
オブシディアン家の力があれば、国王のそばで口入れをし、養子相続を認めさせないことなど造作もない。
これはまさしくジェイネルとラトの絆が仇となった形である。
ジェイネルはラトの父親であろうとする限り、アルタモント卿の首輪をつけざるを得ないのだ。
クリフはジェイネルに訊ねた。
「マラカイト邸での事件をぶじに解決したのだから、ラトへの挑戦は決着がついたはずだ。なぜ俺たちが探偵騎士団に呼び出されなければいけないんだ?」
ジェイネルは答えず、かわりにラトが口を開いた。
「赤い手紙には僕の勇気を試すとあった。確かに博士の事件を解決することで僕は勇気を証明した。でも手紙にはこうも書いてあった。クリフ・アキシナイトに正義はあるか? ――ということだ」
「つまり、お前の試験は終わったから今度は俺ってことか。ますます気に食わないな、探偵騎士団ってやつは。俺はお前の助手になるつもりはないっていうのに」
クリフが言うと、ジェイネルがクリフの両手を握りしめる。
そしてすかさず悲しげな子犬のような表情を浮かべるのだった。
「そこを何とかお願いできないかな? クリフ君。きみがラトの助手をつとめてくれたら、引退後にはいい感じの地所でも何でも君にあげるから……さ!」
「……あんたがそんな感じだから、探偵騎士団が調子に乗るんじゃないのか?」
「え? なんのこと? ちょっとよくわからないなあ」
アルタモント卿が指定した館は守護塔の影にあった。
常にロンズデーライトの星の輝きに照らされている王都の中でも、聳え立つ守護塔のそばには影ができる。
そして探偵の館は、どの時間帯でもいずれかの塔の影が差し掛かる立地にあった。
この影のせいで、白を基調にしているはずの館は灰色にみえた。
入口の両脇に佇む二羽の烏の彫刻が玄関を威圧的に睨みつけている様は、ペリドット卿のタウンハウスとはちょうど正反対の印象を来客に与える。
ジェイネルはラトとクリフを先導し、緊張した様子でその扉の前に立った。
「クリフ君、あれ!」
ラトが指で示した館の軒先には、見覚えのある金色の小鳥がとまっていた。
小鳥は彫刻に混じりながら、その翼を大きく広げた。
「キエーッ!」
小鳥は耳をつんざく奇声を上げると、ラトの杖の元に戻って柄の一部になった。
鳴き声の奇怪さはともかくとして、どうやら、ペリドット卿の屋敷から持ち出された割れたガラスの花瓶はこの館に運びこまれたので間違いないようだ。
「パパ卿、盗みを働いたのは誰か見当がつきますか?」
「いいや……いまはまだ。しかし、対面して揺さぶりをかければ、いかに探偵騎士といえども、私の探偵術の前でその正体を隠し通すことは難しいだろう」
頼もしい口ぶりではあったものの、その口調はどこか強張ったものだった。
彼の緊張は演技ではなさそうに見える。「用心したまえ」とつけ足された言葉も、心の底からのほんもののように思えた。
知恵と知識によって真実を見出す探偵騎士たちの何に用心すればいいのかはわからないものの、クリフはわずかに不穏さを感じ取った。
三人の到着をどこから見ていたのものか、扉が自然と内側へと開かれた。
ジェイネルから順番に人気のない玄関ホールへと踏み込む。
そこには杖を手にした騎士たちの彫像が左右に三体ずつ置かれているのがみえた。
正面にべつの広間へと続く入口があり、二階へ上がるための階段が全体を取り囲んでいる。
「探偵騎士ジェイネル・ペリドットが参上した。アルタモント卿に目通り願いたい!」
ジェイネルがよく通る声を上げる。
そのとき、よく日に灼けた紙きれのようだった室内のにおいに、パイプ煙草のにおいがまじるのが感じられた。
みると、いつのまにか正面左手に位置した彫像のかたわらに人影が出現していた。
灰色の髪を額のうしろに撫でつけた長身痩躯の男で、いかにも剣呑で鋭い瞳をしている。
「パパ卿、下がってください」
クリフがそう言ってジェイネルを下がらせたのは、その男が全身から放つただならない気配と、彼がまとっている鼠色のコートの襟に金色の蛇の徽章が飾られていたからだ。それは《サーペンティン移動医師団》、通称サーペンティンの民と呼ばれる流民集団のあかしだ。
サーペンティン移動医師団は王国の内外を問わず出没し、医療が受けられない辺境の民に民間療法を施しながら流浪する。町医者と異なり謝礼金の期待ができないなか、終生を奉仕と旅に費やす彼らの生活の糧は主に狩りの成果である。
滞在先の現地領主と争いになることも多いこの流民たちは、老若男女問わず全員が狩人であり、優れた腕前をもつことが知られている。
そうした人物の足元に何気なく置かれているのは銃身の長いライフル銃であった。
しかも、その銃床にはレガリアの象嵌が施されている。
サーペンティンの民は王国にいち早く火薬と銃の危険をもたらした民族として知られている。
男が携えているのはそれよりも厄介なレガリア銃だ。
魔力を銃弾として放つか、あるいは銃弾に魔法の効果を付与するレガリア銃は、銃は魔法に劣るものとして遠ざけた王国に返り咲いた最新の暴力装置である。
それを脅威と取るなというほうが無理からぬことである。
ラトも無言でクリフの隣に並ぶ。
「やめてくれ、彼は私たちの敵じゃない!」
そのとき、視界の端にある暗がりが、ほんの一瞬その闇を色濃くした。
ジェイネルの戸惑った声を無視し、クリフは腰に下げた剣を鞘ごと掴んだ。
考えるよりもはやく体が勝手に動いていた。
鞘を半分ほどベルトから引き抜きながら左手側に大きく踏み込む。
その瞬間、勢いよくクリフの胴に向けられた白刃は、横に寝かせた鞘に食い込んで止まった。
「ふうむ、不意打ちへの対応は10点中9点といったところだな」
言葉が、そしてお互いの吐息がまじりあいそうなほどそばにある。
クリフはみずからの剣を片手で抜き放つ。
死角から現れた敵の剣は鞘に食い込ませたまま押さえこみ、剣を脳天めがけて振り下ろす。この超至近距離で敵の剣はすでに威力を失っている。一対一であれば必殺の返し技だった。
「10点満点だったな」
別の声が――サーペンティンの男からもたらされた。
男はすでにレガリア銃を構えており、引き金は引かれた後だった。
放たれた弾丸は雷撃に変化し、クリフに命中すると衝撃を与えて吹き飛ばした。
クリフの剣は敵を捉えることなく乱れて終わった。
それと同時に紫色の雷が拡散し、蛇のように剣とラトの杖に巻き付く。
「あっ!」
次の瞬間、二人の武器は手から滑り落ちていた。
拾い上げようとすると、再び稲光が発生して激痛が走る。
男は涼しい顔つきでそれを見下ろしながら、レバーを引いて銃身そのものをくるりと回し、弾丸を再装填する。
「ラト、クリフくん!」
ジェイネルがレガリアをかざそうとすると、銃弾がその足元を貫いた。
タイルが割れて破片が飛び散る。
今度はレガリアによる魔術の弾ではない。
当たれば死ぬ鉛の弾だ。
ジェイネルは狼狽えている。年長者として、そして探偵騎士として立場を決めかねているのだろうが、いまは出てきてほしくないというのがクリフの本音であった。
クリフの前にはツイードの上着を着た紳士が立っていた。
いきなり剣を向けて来た謎の紳士は、ブルネットの髪に浅黒い肌、それでいて意外なほど理知的な鳶色の瞳をしていた。
レガリア銃を構えているサーペンティンの男と同じくらいの長身だった。しかし二人が並ぶと対照的にみえるのは、服を着ていても一見しただけでわかるほどよく鍛えられた体つきをしているせいだ。
紳士はパイプ煙草のにおいのする声でクリフに語りかける。
「失礼——先ほどは計算違いをしてしまったようだ。さて、お次は互いに徒手空拳といこう。剣なしでどれくらい持つか、二分か、それとも三分くらいか。イエルクが拳を鍛えたという逸話は聞かないから、案外一分と持たないかもしれん」
紳士はそう言って剣を手放して上着を脱ぐと、両の拳を握りしめた。
クリフはどうするべきか考え、二の足を踏んだ。
彼が顔の前に上げた二本の腕はまるで固く閉ざされた鉄の扉のように見える。
それに妙な気迫があった。
「来ないならこちらから仕掛けよう」
紳士の身体が獣のように躍動するのを見て、クリフは迷ったことを瞬時に後悔した。
踏み込みと同時に恐ろしく伸びる突きが放たれる。
慌てて腕で庇うが、それよりも速く鋭く重たい拳風がクリフの左頬を打った。
拳そのものは顎を粉砕する手前のギリギリのところで止められていた。
「何秒待ったとしても、君が有利になることはないぞ、少年」
アドバイスを送ったのはサーペンティンの男である。冷徹なまなざしのまま銃を構えたまま、この戦いを静観するつもりのようだ。
何がなんだかわからないが、やるしかないのだと覚悟を決めて構えを取る。
その瞬間に紳士が動いた。
紳士は体の前に堅牢な砦を築いたまま、上体を左右に振りつつ、目にもとまらぬ速さで拳を繰り出してくる。
速い。しかも打撃のひとつひとつが体の芯に響くほど重たい。
一発でもまともにもらったらどうなるかわからない。必死に歯を食いしばり、突き出される拳を払いのけ、腕でいなす。
恐ろしいのは、獣のように襲いかかりながらもクリフを見つめる両の目が終始冷静そのものであることだ。なんとか攻撃に転じることができないかと繰り出した前蹴りが、すさまじい連打の合間に払いのけられたときは正気を疑ったほどだ。
彼の目は相対するすべてを見通しているかのようだった。
まるで、犯人に対峙したときの探偵のように。
おまけに苦し紛れに放たれたクリフの打撃は、その頑健な肉体に吸い込まれていくようで、なんら手ごたえがない。
クリフはいちかばちか、腰の後ろに差した短剣に触れた。
しかし、指先に強い電撃が走って握りこむことができない。
レガリア弾の効果は短剣にも効いているのだ。
その隙を見逃さず、紳士は距離を一気に詰め、クリフを当て身で吹き飛ばした。
吹き飛ばされながらもクリフは思考を続ける。考えなければ勝てない。そういう相手だ。
上半身への攻撃は全く意味をなさない。それどころか、逆に強すぎる打拳をもらうきっかけになってしまう。
ではどうするか――。
距離を詰め、足をねらうしかない。
紳士の構えからして、強烈で大振りな攻撃を足下に放つことはできない。
それに近距離であれば、拳の勢いは削がれるはずだ。
着地したクリフは立ち上がらずに、地面の上を飛ぶように、できるだけ姿勢を低くしたまま間合いに飛び込んでいく。
そして紳士の足下で身体を大きくひねりながら足払いをかける。
だが、直撃を食らっているはずなのに、びくともしない。絶望的な気分でさらに地面を蹴り、限界ぎりぎりの高度から回し蹴りを放った。
普通なら予測もできない、反撃のできない攻撃のはずだ。
しかし、紳士はそれすらも予測していたかのように躱してしまう。
クリフは浮いた体を地面に叩きつけられ、逆に相手から距離を詰められてしまった。
肉弾戦では分が無さすぎる。
「クリフくん! これを!」
視界の端でラトが地面に落ちた剣を拾い上げるのが見えた。
柄にハンカチを巻いているのは、武器に直接触れないようにしているようだ。
喉から手が出るほど、それがほしかった。
渇望といっていいくらいの欲求が体の奥底から湧き上がり、思考を支配するのを感じる。
その剣があれば――殺せる。
そう考えたとき、目の前の紳士の瞳の色が変わった。
いままで読み取れなかった感情がはっきりと浮かんだ。
失望だった。
クリフ自身も自分の考えに打ちのめされ、呆然としていた。
剣を受け取るために立ち上がったクリフの体に、紳士が放った拳が刺さる。
衝撃を与える直前で寸止めされた拳を、ただ見下ろすことしかできずにいた。
「ふうむ、二分半だ。格闘はそこそこといったところか。よく持ったほうだが、いかんせんパワー不足だな」
拳がかすかに引かれ、再び突き出される。
ほんの拳ひとつぶんの距離から放たれた拳であるが、凄まじい威力に背中まで貫かれた。
鳩尾を深く抉られたクリフは身を二つに折り曲げて地面の上に転がった。
駆け寄ろうとしたジェイネルの足元にもう一発、弾丸が撃ち込まれる。
ジェイネルは一歩下がりつつ、突然攻撃をしかけてきた二人に訴えかける。
「いったい何をするんだドラバイト卿。彼は我々の敵ではない。探偵騎士団の仲間なんだぞ!」
ドラバイト卿と呼ばれたのは、ツイードの紳士であった。
紳士は、戦いのときのあの恐ろしさをすっかりと上着のポケットにしまってしまい、眉間に深い皺を寄せながらゆったりと落ち着いた声音で応じた。
「それは貴殿が決めることではなかろう、ペリドット卿。我々にも判断材料というものが必要だ。むろん君にとっては相手と三秒ほど見つめ合えばすむことかもしれないが、我々が持ち得る言語というのはこの通り少々狂暴なものなのでね」
クリフは胃液を最後の一滴まで吐きこぼしながら、上体を起こした。
ぐらつく視界であたりを見回すと、いままで人気の無かった二階に、二つの人影があるのが見えた。
片方は顔を隠した小柄な女性で、紫色のヴェールの奥からは老婆の声が聞こえてきた。
「ドラバイト卿の仰るとおりですよ。ペリドット卿、もしもそのぼうやが仲間だというのなら、素性をよく調べなければならないのはなおさらのこと。身のうちに何を取り込むかは、よくよく吟味してから決めても遅くはありませんとも……」
「そうかあ? 俺様はちょっとこのノリにはついていけそうにないけどね。紫ばあさんは意外と過激なのが好きだからな」
「まあ、失礼ですよ。スティルバイト卿。わたくしのことはデリー夫人、または紫夫人とお呼びなさいと何度も言ってるでしょう」
ヴェールをかぶった老婦人の隣には、真っ赤な上着を着た金髪の青年がいる。この顔ぶれの中では若く、まだ二十歳かそこらといった頃あいだろう。
そして全員が――サーペンティンの男以外は――それぞれにレガリアを嵌め込んだ杖を手にしていた。
クリフにも彼らの正体がわかりかけていた。
そのとき、二階の奥から杖が床を鳴らす硬質な音響が聞こえてきた。
音が鳴りはじめると、ドラバイト卿をはじめとしたこの場の全員が緊張し、耳をそばだてはじめ、落ち着きを失うのが見てとれた。
そうして現れたのは、すらりと背が高く、闇よりも濃いブルネットに青白い肌をした男であった。
黒いコートを肩に羽織り、悠々と歩いてくる。
彼は二階の廊下の真ん中に立つと、玄関ホールをひと通り見回して、ピンと尖った鼻と切れ長の瞳をクリフへと向けた。
「探偵の館にようこそ、クリフ・アンダリュサイト。わたしがアルタモント・オブシディアンだ。手荒な歓迎になってすまないが、我々探偵騎士団と君の祖父の間には一晩では語り尽くせぬ因縁というものがあるのだ」
みずからアルタモントと名乗りを上げた男が向けてくるまなざしは、その鋭さに比してやさしげなものだった。
「じいさんは死んだぞ。とっくの昔にな」
クリフが吐き捨てるように言うと、老婦人が首を傾げる。
「さて、それはどうかしらね。イエルクは私が知る限りでも七度は自分が死んだように見せかけて王国を欺いたことがありますよ。果たして八度目が無いと言い切れるかしら」
「馬鹿馬鹿しい。あいつが墓の下から蘇ってくるとでもいうのか?」
「そういうことがあっても何一つおかしいとは思いませんとも」
その言葉には、冗談を言っているとも思えない真剣味があった。
アルタモント卿はそうした老婦人の物言いを、やはりクリフに対するのと同じく、柔らかなまなざしで見つめていた。
「デリー夫人、イエルクを知る探偵騎士であれば誰もが、あなたの言い分ももっともだと思うでしょうが……」
「まあ、わたくしとしたことが出すぎた真似をしたようですわね。恥ずべき事です。アルタモント卿、この後はあなたがお仕切りになって」
「それでは僭越ながら、ここに集まった偉大なる探偵騎士たちを、イエルクの血筋に披露できる栄光に浴することとしましょう。今宵は素晴らしい夜になることでしょう、まだ誰も見たことのない、心躍る謎めく夜に。そして館に集うのは当代きっての名探偵たちです。まずは先ほど君を打ちのめした男だ。彼は《武闘探偵》クドー・ドラバイト。こと暴力の分野では、彼にかなうものはこの館にいない」
ドラバイト卿は何とも言えない気まずそうな顔つきだった。両目を丸くし、感情の表現の仕方がわからないとばかりに大きな両の掌を広げてみせる。
「そしてドラバイト卿の相棒であり、抜きんでた狙撃手でもあるロー・カン」
次に呼ばれたのはサーペンティンの男であった。
彼は銃を構えたまま、身じろぎもせずに獲物を見定めながら「どうも」とだけ返事をした。
「探偵騎士団の生き字引であらせられる《紫婦人》ことデリー夫人と、現役の憲兵隊長であるスティルバイト卿リーズモット君だ。リーズモット君は加入して日が浅いため、あだ名はまだつけていない」
「なんでだよ。《恐れ知らず》か《至上最高》って呼んでくれっていつも言ってるだろ」
「《お調子者》のスティルバイト卿だ」
スティルバイト卿は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
デリー夫人はわずかにスカートの裾を引いてみせただけで、そのまなざしはヴェール越しにクリフへと向けられていた。
「それから、忘れてはならないのが《戯曲探偵》ジェイネル・ペリドット。君だ」
アルタモント卿は指を鳴らし、その先を彼とは別の意味で青くなっているパパ卿へと向けた。
次に、そのまなざしはクリフの隣に立つラトへと向かう。
ラトはみずから、先んじて階上にいるアルタモントへ声をかけた。
「ご無沙汰しております、アルタモント卿。ドラバイトおじさまやデリーおばさまにも久しぶりにお会いできて、こんなにうれしいことはありません。ですが、僕の紹介は不要です。僕は僕です、探偵騎士にはなりません。ですから、探偵騎士団からクリフ君への挑戦は無用のものと思ってください」
「ここにいる理由は無いと言いたげだね、ラト」
「その通りではありませんか? 僕が王都に召喚されたのは探偵騎士としての資格を問うため。探偵騎士でなければ、これ以上館に留まる理由もありません」
ラトは慎重にそう言い、さらに慎重に自分の杖を拾い上げた。
電撃の効果はすでに消えているようだ。
「これでお暇させていただきます。行こう、クリフ君」
そう言ってラトが探偵騎士たちに背を向けたそのときだった。
「それでは理由を与えよう。再会の記念品として遠慮なく受け取りたまえ」
アルタモント卿の指先が、杖の先に飾られた漆黒のレガリアを撫でた。わずかにその表面に金色の波紋が浮かび上がる。そして杖の先をジェイネルへと向けた。
すると、銃口を向けられ立ち尽くしていたジェイネルの頭上にある天井が二つに割れた。ラトたちは驚き、戸惑っている間に、そこから轟音を立てて檻が落ちてきた。檻はタイルを粉砕し、その下に隠されていた鉄板と合体する。そしてがらがらと不快な音響を立てながら、檻に取り付けられた太い鎖を巻き上げて天井へと上がっていくのだった。
「パパ卿!」
クリフはアルタモント卿を睨みつけていた。
「あんたたちは自分の仲間にも手を出すつもりか?」
「私が仲間にどのような仕打ちをするかは、君がこれから何をなすかによって決まる。しかし正義をなすためであれば、手段は選ばないのがオブシディアン家の家訓でもある」
パパ卿を人質に取られたならば、ラトは文句も言えないだろう。
そうなると知っていてこの言いざまである。
正義とはこのような恥知らずの口から発せられて良い単語ではないと思えたが、しかし彼が次に口を開いたときには、クリフは批難の声を上げようとするのをやめ、注意深くアルタモント卿の言い分に耳を澄まさねばならなくなった。
「クリフ君。君は私たちにも、そしてラト・クリスタルにも隠し事をしているね」
「俺がイエルクの血を引いているって話なら、見当違いもいいところだ」
「いや、さすがの私も血筋を罪とは呼ばない。血が罪ならば、もっとも深刻な罪人は古き血を引いている者になってしまう」
「いったいなんの話をしているんだ。罪?」
「そう……その通り、君は罪人だ。そして、それを隠してラト・クリスタルに近づいたのだ」
「何のことだ?」
「君にはガンバテーザ要塞に駐留していた王国兵三十余名を無惨にも惨殺し、皆殺しにした容疑がかけられている。セヴェルギンという名前に覚えがあることだろう。セヴェルギン・アキシナイトは当時、要塞の兵士たちを率いていた隊長の名前だ」
いきなりのことに、クリフは言葉を失う。
アルタモント卿が言うなり、檻の中のジェイネルが叫んだ。
「クリフ君、アルタモント卿の話を聞いてはいけない! ほかの探偵騎士たちもだ! 事実無根だ、彼はクリフ君を罠にはめようとしている!!」
ジェイネルは鉄格子の隙間から鉱石スキルを放つ。
《心》のレガリアのきらめきは二本の矢となって、クリフとラトの心臓を貫いた。
鎖を巻き上げるペースが速くなり、ジェイネルの姿はすっかり天井の上へと消えていく。
「おいおい、嘘つきジェイネルのレガリアは厄介だぜ。檻を戻して解除させたほうがいいんじゃないのか」
スティルバイト卿の忠言を聞いても、アルタモント卿はゆっくりとかぶりを振った。
「むしろ好都合だ。それでは始めようか、クリフ・アンダリュサイトよ。貴殿を迷宮街から王都へと招き、探偵の館に呼び出した理由はもてなしのためでも挑戦のためでもない。ラトへの挑戦さえ、君をこの場に呼び出すための口実にすぎない。我々の真実の目的は、君を被告人とした法廷を開き、その罪を裁くことにあるのだ」
アルタモント卿のその瞳には相変わらず柔和な表情が浮かんでいる。それは罪を裁くという言葉からはおよそかけ離れた感情によるものだった。
その感情が何なのか、クリフにはわからない。
それはジェイネルがラトやクリフを見つめる優しさや慈愛とは違う、正体不明の何かであった。
「探偵騎士団団長の名と職責のもとに、ここに《《探偵裁判》》の開廷を宣言する!」
どちらからともなくクリフはラトを、そしてラトはクリフに視線を向けた。
そのとき、ラトの瞳は戸惑い揺れていた。
ペリドット卿ジェイネルが最後に残した鉱石スキルは《対象となった者の心のうちを、いかなる方法をもってしても他者からは読めなくする》というものだった。
このときラトは、いつもならばそのしぐさや表情の変化で手に取るように読めていたはずのクリフ・アキシナイトが抱く感情や、思考が全くわからなくなっているという事態にはじめて気がついたのである。