第6話 知ってるのに知らないふり
その場所は厳重に隠されていた。
カーネリアン夫人の書斎、北側の書棚に秘密の仕掛けがあり、隠し戸を開くと、地下に繋がる階段が現れる。
仕掛けには記憶鉱石が用いられていた。
記憶鉱石はその名の通り、物の形や動き、声や音、景色や文字など様々なものを記憶させるために魔術によって作られた鉱石だ。
隠し部屋の入口に設置されていたものは夫人の掌に刻み込まれた皺や指紋に反応する。カーネリアンの血筋の者しか開けられない仕組みだ。
階段を降りるにつれ周囲の空間はカーネリアン邸のほかの場所とちがう、岩盤を直接掘って作られた地下空間へと変化していく。邸ができる前からある、とても古いものなのだ。
それに、これほど厳重に守られているとなると、クリフは疑いの心を捨てなければならなそうだった。
「本当に女神レガリアというものはこの世界に存在しているのですね」
そう訊ねると、前を行くカーネリアン夫人は不思議そうに問いかえす。
「王家や貴族の方々こそ、強力なレガリアをいくつも所有しているではありませんか」
「……え? ああ、まあ、そうですが」
元近衛兵隊長は頼りない返事をするしかない。
クリフのような元木っ端兵士は自分が仕えていた王家がどんなレガリアを所有しているかなんて知る術すらない。
だが、カーネリアン夫人はクリフの曖昧な返事に疑問を抱いた様子ではなかった。
「ですが戸惑うのも無理はありません。女神レガリアはただ強力だというだけではないのですから。夫は亡くなる前、必ずこのレガリアを守るように遺言を残しました。場合によってはカーネリアン家の存続と引き換えたとしてもレガリアを守るようにと伝えて」
「それほどまでとは……。おい、ラト、何をしているんだ」
クリフは最後尾で何かしているラトに声をかけた。
ラトは二人からかなり離れたところでしゃがみこみ、地面をじっと見つめている。何をしているのかわからないが、これまでもラトのすることの先に何が待っているかなど、わかった試しはない。
「おい、いったいどうするんだ、これから」
「決まってる、思索と探究のはてに世界の不思議を発見するのさ」
「お前、ときどき会話が通じなくなるな……。本当にガルシアが襲ってきたら、どうするんだってことだよ。俺が本当は近衛兵隊長なんかじゃないって知ってるだろ?」
「まあ、間違いなく来るだろうね。彼は女神レガリアのためにもう二人殺した。そうなると後には引けないし……。でも、君だって腕が立つじゃないか」
「レガリアをいくつも持ってる奴をどうにかできるほどじゃない。目的のものを見物したら、本当の身分を明かして冒険者ギルドに連絡しよう。それが賢明ってもんだ」
ラトは螺旋階段の上のほうを見上げ、少し考える素振りをした。
「それよりもいい手がある。君が女神レガリアを使ってガルシアを倒せばいい」
「俺が? その、わけのわからないレガリアを?」
「レガリアは単なる便利な道具だよ。誰が使っても問題ない。それにね、少し言わせてもらえば、君の考えは杞憂そのものだよ。ここはカーネリアン夫人がこちら側にいる限り、誰も入って来れない仕組みになってるんだからね」
確かにラトの言い分には理があった。
ガルシアが隠し部屋のことを知っていたとしても、隠し扉を通れるのはカーネリアンの血筋の者だけだ。エストレイが死んだ今、扉の鍵を所有しているのはカーネリアン夫人だけなのだ。
「心配し過ぎだよ、近衛兵隊長殿」
ラトは冗談めかして言い、クリフの肩を叩いてみせた。今のところ、ラトの発言の中では、すこぶる安心感が持てる言葉だった。
二人は歩き続け、どれくらい下ったかという感覚を失った頃に最下層に到着した。そこにも鍵のついた扉があり、内側にはカーネリアン邸の大広間にも負けていないほどの広大な空間が広がっていた。
組み木細工の床、天井には人工の明かりが灯っている。
天井から光を拡散させる硝子の器が吊るされており、その中に巨大なレガリアの原石が転がされていた。
そして広大な広間の中央に、厳かに設えられた台がある。
台の上にあるものが七色の光を反射してクリフの目を刺した。
「あれが……女神レガリア……?」
台の上には赤子の頭ほどはあろうかというくらい巨大な金剛石の塊が置かれていた。
「ふむ……これは……」
しかし、あれほど女神レガリアを求めていた張本人は退屈そうだった。
ラトは金剛石のかたまりを斜めに見下ろし、鼻で笑ってみせた。
それひとつで城が立つくらいの価値がある宝物をだ。
「これは女神レガリアではありませんね」
カーネリアン夫人は頷いた。
「ええ。これは万一、盗人が屋敷に入ったときのために置かれた罠です」
クリフは驚く。金剛石を守るためだけに地下空間が作られたとしても何ら不思議ではないのに、ラトとカーネリアン夫人には金剛石がはなつ蠱惑的な輝きが目に入らないようだ。
「では、偽物なんですか?」
「いえ、本物の金剛石であり、それなりのレガリアです。ですが、そんなものは金で買える価値でしかないのです。いくらでも盗んで行けばいい。本物はこの中です」
そう言って身を屈め、金剛石が置かれた台のほうに手をかける。
台の一面を外すとダイヤルが現れる。
カーネリアン夫人はダイヤルを回し、番号を入力していく。
数字の最後を入力し、鉄の扉を開けようとしたとき、ラトは夫人の手を止めさせた。
「お楽しみはしばらく待ってください」
「どうしたんだ、ラト」
声をかけたクリフに、ラトは人差し指を立ててみせた。
その視線は天井に向けられている。クリフも上を向く。
しばらく耳をすましていると、遠くで物音が聞こえた。続いて、何者かが階段をゆっくりと降りてくる気配がする。
「誰かが降りてくる……!?」
「そんなまさか、あり得ません。ここに入れるのは私だけです」
長年、ひとりきりでこの空間を守ってきたカーネリアン夫人は戸惑っていた。
ラトは上を見つめたままだ。そうしていると壁が透けて誰が侵入しようとしているのかがわかるとでも言うようにだ。
「ここに入れる人物はもう一人いるよ、クリフくん。エストレイだ。彼もカーネリアンの正統な後継者だ」
「エストレイは死んだんだぞ、まさか生き返ったとでもいうつもりか」
「迷宮の外では、死人は生き返ったりしない」
ラトの眼差しはそろそろと降りて行き、この広間に繋がる扉に向けられた。
三人の見ている前で扉が軋む音を立てて開いた。
しかし、そこには誰もいない。ただただ透明な空間だけがある。
何もない場所に向けてラトは軽く片手を上げて挨拶する。
「やあ、ガルシア。ごきげんよう。姿が見えないのは《隠蔽》の力をもつレガリアの効果だね。だけど、そこにいるのが君だというのは、ここにいる誰もがわかってる話なんだ。正体を現したらどうだい?」
三人が見ている前で、透明人間が秘密のヴェールを取り払った。
まばたきの後、そこには短い黒髪の若い男が立っていた。
その眼光の鋭さ。まちがいなく葬儀のときクリフを殴りつけた人物だ。
クリフは嫌な予感がしてラトに訊ねた。
「ラト、本当に書斎の隠し扉の戸を閉めたんだろうな」
地下に降りるとき最後尾にいたのはラトだった。
「ああ、もちろん、キッチリ閉めたよ。紙きれ一枚挟めないようにね」
「だったら何故あの男がここにいる?」
「たぶん、合鍵を使ったんだろうね」
ガルシアは無言で手に持っていたものを投げ捨てた。
それは人間の手首だった。
それも血も凍りつき、青ざめた手。棺で眠りについている遺体から無理やり切り取られただろうエストレイの手首だった。
「あれが合鍵。説明不要」
そう言ってラトは首を竦めた。
クリフはラトを睨みつけた。
「それじゃ、真剣に答えてくれ。合鍵を外に置いてきたのに気がついたのは隠し部屋に入った後なのか? 本当はここに入る前に、その可能性に気がついていたんじゃないのか?」
これまでのラトの人を食ったような言動や行動、そして並々ならぬ洞察力、それから、人を人とも思わない異常で残酷な行動を考えれば、その可能性は十分あった。
ラトは腕を組みながらそわそわと落ち着きなく体を揺らし、掌の中でステッキをもてあそんでいる。
「そんな、まさか……このラト・クリスタルとあろうものが、そんなこと……」
「いいか、よく聞けよ。このままガルシアとやり合っても勝ち目はない。だったら、俺は絶対に嘘つきを道連れにすると女神と先祖の墓にかけて誓う。絶対にだ」
「正直に言う。気づいてた。あたりまえじゃないか」
この期に及んで、ラトは平然としている。
クリフはさらに追及する。
「冒険者ギルドを出たとき、お前は女神レガリアの話をしたよな。それもわざとってわけだ」
「もちろん。わざとだ。どこかにガルシアが隠れていると思ったから、わざわざ君に話したんだ。女神レガリアの話をすれば、奴はかならず誘い出されてやって来るに違いないってね」
「何故そんなことをしたんだ!」
「どこにいるかもわからない透明人間に街中で突然背中から斬りつけられるよりも、目的地に来てもらって、迎え撃ったほうがいいだろうと思ったんだ。狙いはわかってるんだし……。それにこうして女神レガリアを見せてもらえた。お得だ」
「得なんかじゃない。危険だ! それとも、これでもまだ何も問題ないのか?」
「ああ、問題ない。なにしろ、こちらには女神レガリアがあるんだからね」
そのとき、カーネリアン夫人の悲鳴のような声が上がった。
「ない!」
ラトとクリフは背後を振り返った。
台のすぐそばでカーネリアン夫人が座り込んでいる。
台の隠し扉は開け放たれていた。
「女神レガリアが無くなっている……!?」
夫人の驚きも無理はなかった。隠し金庫の底に鎮座していただろう《何か》は、シルクのクッションにへこみだけを残して消え去っていた。
「言ってみろ。これでも何も問題はないのか?」
クリフはラトに凄んでみせた。
ラトはというと、ガルシアを見つめたまま、真顔で舌をべろりと出してみせた。




