第57話 名探偵の資格
「アルフレッドはともかくとして、霊廟で死んだゴシップ記者もなのか?」
「ああ。あのふたつの事件は関連しているんだよ」
「とっくの昔に気づいていたんだな」
「薄々はね。無関係ではあるまいと思っていた」
「確かなのか?」
「いまは、それ以外の可能性はないと思ってる」
「いつから気がついていた?」
「最初にマラカイト邸を訪ねたときからリサは必要以上に僕を恐れていた。マラカイト博士もリサの様子がおかしいことに気がついているみたいだった。たかだか紅茶に添えるミルクのことで博士が声を荒げたのは、あきらかに僕の注意を引くためだったと思う」
クリフが記憶をさかのぼってみると、確かにそのような出来事があった。
あのとき、クリフは使用人の扱いが荒い老人だと呆れただけで、すぐにその出来事を忘れてしまったが、ラトは確実に事件の手がかりを掴んでいたのだ。
「確信を得たのは今日になってからだ。談話室で、僕が《離れの石蔵に魔法の兆候があった》と告げたときの二人の反応を覚えているかい?」
「ああ……」
「博士が喜んでいらしたのは、これはあたりまえだ。長年の研究がようやく報われたのかもしれないんだから。でもリサは驚いていた。まるでそんなことはあり得ないと知っていたかのように」
「つまり、どういうことだ? まさかリサが実験に細工でもしていて、妨害していたということか?」
「そうじゃないよクリフくん。博士の実験はね、成功するはずがないんだ」
「成功するはずがない……?」
「可能性はあったよ。たとえば隕石が王宮の玉座に直撃するような確率でならね。君は科学の知識もレガリアの知識もないから簡潔に説明するけれど、博士の考えは最初から間違っているんだ。人工迷宮なんてできるはずがないんだよ」
こうなるとクリフは絶句するよりほかになかった。
沈黙の間にもラトは、研究にすべてを捧げたマラカイト博士にとって残酷なことこの上ない言葉を着々と紡いでいく。
「博士は確かに科学者としては立派な方だが、魔術に精通しているとは言えない。科学と魔法はまったく性質が別のものなんだ。だから、この研究はそもそも最初から無茶だというのが僕の考えだ。そしてもっと大事なことはね、クリフくん。リサもそれを知っていたということなんだよ」
「しかし、リサは実験が成功すると言っていたじゃないか」
実験が行われた夜、ラトがリサに「実験は成功すると思うか」と訊ねたことを、クリフは覚えていた。
「あれは明らかな嘘だった。もしも心からそう信じていたなら僕の目を見て言ったはずだし、今日だって魔法の兆候があったと聞けば博士と共に喜んだはずだ。彼女は聡明な女性だ。ほんの数年で、科学の何たるかを理解している」
「リサはなぜ、失敗するとわかっていて……嘘をついたんだろう」
「もちろん、博士をがっかりさせないためだよ」
「しかし、とても信じられない。実験が行われる前後、リサはほとんどの時間を俺達と一緒に過ごしていたはずだよな」
「ああ。君が連絡係としてパパ卿のところへ戻ったときも、僕はリサの行動を監視していた。彼女が実験室に入ったのは準備のときと、アルフレッドを中に入れて実験の指示をして、扉を閉めたときの二度だけだ」
「じゃあ、いったいどうやって毒ガスを実験室に流しこんだんだ? アルフレッドの死因は毒ガスを吸った中毒死なんだろう?」
「それは、アルフレッド自身が毒ガスを室内に引き込んだとしか考えられない」
「まさか本当に魔物が出たとか言いだすんじゃないだろうな。アイツが自分を犠牲にしてまで魔物を倒そうとするとは思えないし、実験が失敗したと言ったのはお前だぞ、ラト」
「君の言う通りだ。この方法がどんなものだったのかについては、僕はとうとうアルフレッドが死ぬまで気がつかなかった。でもヒントはすでに手にしていたんだよ。最初の事件だ」
そう言ってラトが取り上げたのは、探偵騎士団から送られてきた第一の事件の詳細だった。
赤い便箋に崩れ落ちた霊廟の下敷きになって死んだ哀れな男が描かれている。
「事件の現場にあったものをよく見てごらん」
「石材と……燭台、それから、蝋……か」
現場にあったもの、と言われても、まだ住人もいない新品の霊廟にあるものは、そう多くない。どんな墓場にもありがちなものだけだ。
しかしラトの考えでは、それだけで十分のようだった。
「そう、蝋だ。あの晩にも言った通り博士の霊廟は蝋の量だけが、やけに多い。全てを蝋燭だと考えて、燭台に立てたとしても余る量だ。リサはこの蝋を使って、霊廟を崩した。そして記者を下敷きにして殺害したんだ」
「リサがあの霊廟を? 彼女にそんな怪力があるのか?」
「力は必要ない。なんなら、霊廟に触れる必要もないし、彼女はその場にいる必要もなかった」
「魔法みたいな話だな」
「そうかもしれない。でも魔法は必要ないんだ」
ラトはかたわらに置いた石ころを取り出してみせた。
白い大理石のかけらのようだ。べたべたした油のようなものがこびりついている。
どうやら溶けた蝋が石材にこびりついているようだ。
「これはタウンハウスに戻った後、探偵騎士団に連絡して持って来させた証拠品だ。霊廟のあったところに落ちていた石材の一部だ。いま、探偵騎士団には崩れた石材を使って霊廟の建て直しをさせている。明日の朝にも、結果が出るだろう。建て直しは不可能だと……」
「不可能?」
「石材が足りないからだよ。石でできた建築物は、ただ崩れただけなら石材を組み直せば元通りになる。でもあの霊廟はちがう。アーチ形の構造建築には必ず必要な要石が粉々に砕けていて、復元ができないんだ」
要石、キーストーンと呼ばれるそれは、半円状の建築物、すなわちアーチ構造の頂点に使われる石材のことだ。
橋などにも使われるありふれたその構造は、頑丈ながら頂点に強い負荷がかかる。
だから、頂点に打ち込まれる要石は、無くなれば構造物全体が崩壊してしまうほど大切なものなのだ。
「僕の考えが正しければ、あの霊廟の要石は元々砕けていたに違いない」
「砕けた要石なんかで、そもそも霊廟が建つはずがないだろう」
「その通りだよ、クリフくん。それこそが霊廟に仕掛けられた恐るべき殺人の罠だったんだ。普通なら、砕けた要石を使ってアーチを作ることはできない。だけど、もしも……砕けた要石を溶けた蝋と一緒に型に流し込み、貼りあわせたとしたらどうだろう。一見、普通の要石にしか見えないとしたら」
自然と、クリフの視線はラトの手の中にある証拠品へと吸い寄せられる。
「事件当夜、ニック・ナイジェルは霊廟へと呼び出された。彼は老科学者が王家の象徴とも言えるレガリア、《ロンズデーライトの星》を使って人工迷宮を作ろうとしているという事実を突き止めた。そしてその実験がそもそも破綻しているということも。ニックはそれを記事にして大手新聞社に売りつけようとしたが、上手くいかない。そこで老科学者の身内であるリサに目をつけた。ニックはリサを脅迫した。リサは博士を守るため、取引に応じて霊廟で待ち合わせをしたんだ」
三か月近くも前とはいえ、朝晩は冷え込んでいただろう。
取引には人目につかない時間を選んだだろうから、おそらくは夜間のはずだ。
誰もいないとはいえ夜中の共同墓地にはあやしい空気が漂っている。
ニックは言われたとおり、真新しいマラカイト博士の霊廟の内側でリサを待っていた。
しかしリサはなかなか訪れない。
冷え込みはどんどん厳しくなる。
「ニックは寒さに耐えかねて、枯れ木を集めて火をつけた。炎によって、大理石はじっくりと温められていく。すると……頭上からなにかが垂れて落ちてくる。蝋だよ、クリフくん。炎によって熱された霊廟で、砕かれた要石を貼り合わせていた蝋が溶けだしたんだ。そして、要石は屋根の重量に耐えきれなくなり……」
とうとう、要石は抜け落ちてしまった。
その途端にアーチ型の屋根は重量を支えきれなくなって崩れ落ち、ニックは押しつぶされて死んだのだ。
「この仕掛けを成功させるために、もともと要石は少し小さく作ってあっただろうね」
「そんなことになる前に、ニックは霊廟から逃げ出す事はできなかったのか?」
「僕ならニックが霊廟に入ったのを見届けた後、扉が開かないように仕掛けをしておくよ。もちろん霊廟の中にはマッチと焚火ができそうな量の枯れ枝を置いておく。冷え込みが厳しくなれば環境的には凍死もあり得る。凍えて死にたくなければ、かならず焚火をするはずだ」
それはあまりにも恐ろしい考えだった。
みずからは手を汚さずに自然と人を死に追いやるやり口もそうだが、一番恐ろしいのは大人しそうなリサがそれを考え出したのだという事実だ。
「この仕掛けに辿りついたとき、アルフレッドをどうやって殺したのかについてもおおよその見当がついた。博士はアルフレッドがバルブをわざと開けたと言ったが、その必要はなかったんだ。僕たちが実験室を見学したとき、あのときすでにバルブは開いていたんだから」
「そんなことはあり得ない。だったら、ラト、お前を含めて俺たちはみんな死んでるはずだ」
「よく考えてごらんよクリフくん。霊廟のときと同じなんだ」
「同じ?」
「あらかじめ鉄パイプは蝋で塞いであったんだよ」
クリフは「あっ」と声を上げたいのを、すんでのところで堪えた。
静謐な王都の夜に声を上げれば、その叫びは大気を震わせて、客室で休んでいるだろうリサや博士にまで伝わってしまうような気がしたからだ。
「僕らが確認したとおりアルフレッドはあの晩、寒さに耐えかねて暖炉に火を入れた。部屋が温もり、その熱が毒ガスの通るパイプを温めた。引火するほどの熱ではないものの、蝋を溶かすには十分な熱だった」
蝋が溶け落ちてしまうと、もともと開いていたバルブからはガスが漏れ始めた。
「それで、毒ガスを吸いこんで……だからアルフレッドは死んだのか」
「そうだ」
実験室でラトがバルブに手を伸ばしたとき、リサが声を上げて止めたことを思い出す。あれはラトや他の面々の身を案じての発言ではなかったのだろう。
あのときすでに蝋の仕掛けはパイプに施されていたのだ。
おそらくは霊廟でニックを殺したあとからずっと、リサはアルフレッドを殺害するタイミングを計っていたはずだ。
「漏れ出した毒ガスを止める方法はなく、最終的に部屋に充満して、暖炉の火が燃え移り爆発を引き起こした。爆発はアルフレッドの遺体を実験装置もろとも吹き飛ばした。むしろ、実験装置を徹底的に破壊することこそ、彼女の真の目的だったかもしれない。アルフレッドが毒ガスのせいで死んだとなれば、もしかしたら魔物が発生したのかもしれないと思わせることができる。それでいて、実験の結果を爆発によってうやむやにすることもできる」
「証拠はあるのか?」
「もちろんだとも。リサが思いついた殺人計画、それ自体はすばらしいものだったが、彼女は犯罪者になるには詰めが甘かったと言わざるをえない。最後にバルブの確認をしたのはリサだし、霊廟の仕掛けは彼女だけではできない。霊廟を作った石工にも、あらかじめいくらか掴ませているはずだ。それに、もっと決定的な証拠がもう、僕の手元にある」
クリフはため息を吐いた。
そこまで証拠が揃っているとなると、リサを庇うことは無駄に思えたからだ。
「動機はやはり、博士のためなんだろうな」
「そうだろうね。たぶんリサがニックに脅されたのは、アルフレッドのせいだ。この実験がどんな目的で行われて、どんな結果を生むか、詳細に知っていてそれをニックに伝えられたのはアルフレッドしかいない」
失敗するとわかっていて、とんでもない実験に欠片とはいえ秘蔵のレガリアまで貸し出したとすれば、王室の醜聞にもなりかねないだろう。
「リサは見返りとしてアルフレッドに体の関係を求められ、そして裏切られたんだ。でも彼女はアルフレッドに復讐をしたわけじゃない。たんに復讐をするためなら、人工迷宮発生装置まで破壊する必要はない。彼女が殺人をおかしたのは世間の目から博士を守るためであり、彼の研究の集大成である実験が失敗したとは思わせないため。すべてが研究と博士のためだったはずだよ」
リサはそれほどまでに博士のことを信頼し、尊敬していたのだ。
そのことを考えると先々のことがつらくなってくる。クリフは思わず、言った。
「ラト、そのことを……黙っていることはできないのか?」
「クリフくん。それは犯人が誰であるかを指摘せずに、リサと博士をそっとしておくことはできないのか、という意味かい?」
「そうだ。アルフレッドはクソ野郎だし、ニックだって同類だ。悪いのは奴らであってリサじゃない」
「仮に僕が沈黙したとしても、探偵騎士団はすでに真実を見通している。いずれ真相は白日のもとに晒されてしまうんだよ」
「じゃあ、それは探偵騎士団にやらせればいい。ラト、お前が真実を博士に直接告げる必要はない。お前だって博士のことを慕っていたじゃないか」
ラトは黙って闇だけを見つめている。
冷たい風が吹く。
膝の上の赤い便箋が風にさらわれて床に舞い落ちる。
ラトは膝のうえで拳を握りしめているだけで、それを拾おうともしなかった。
もとよりラトの明晰な頭脳は、そこに書かれていることを一言一句まちがうことなく記憶している。
マラカイト邸で過ごした夜に手紙を見つめていたのは、そこに何か抜け道のようなものがないか探すためだった。自分の推理が間違いであると示す何かを探していたのだ。
「最初に僕の元に届けられた赤い手紙には、僕の勇気を問うと書いてあった。この事件は先にも言った通り詰めが甘い。犯人がリサであると示す証拠はいくらでもあり、仕掛けそのものも難解ではない。探偵騎士団が試そうとしているのは謎解きの力ではなく――僕が博士と親しいことを知っていて、それでもなお真実を告げる勇気があるかどうかだ。それが探偵の資格というものだから」
アンダリュサイト砦でラトはクリフの味方をしようとした。
そして最終的にはそのことが災いし、すべてはキルフェの思惑通りになってしまった。探偵騎士団はラトが再び同じ過ちをおかすことがないかどうかを確かめているのだ。
事件の難易度ではなく、マラカイト博士というラトにとって大切な人物であっても、つらい真実を告げられるかどうかを。
博士の人生を賭けた研究がすべて間違いであることを告げ、彼の支えであったリサが犯人であることを指摘できるかどうかを。
いかにラトが変わり者だとはいえ、それはつらい出来事になる。
「探偵騎士団がなんだと言うんだ。もう一度言うぞ、ラト。それはお前じゃなく探偵騎士団がやればいいことだ」
クリフはわざと声のトーンを押さえなければならなかった。
その言葉の内側には深い怒りがあった。
探偵騎士団はこの事件がどこに向かうかを承知の上で、ラトに赤い手紙を送ってきたのだ。
その事実を考えるとクリフは腸が煮えくりかえるような思いがした。
しかし、ラトはクリフの意見に同調することはなかった。
「この事件の真相を明らかにする者がいるとしたら、それは僕であるべきだと思う。考えてみてごらんよ、クリフくん。もしもリサが……実験が失敗すると初めから知っていたとして、そのことを博士に伝えられていたとしたら、二人の人間は犠牲になることはなかった。彼女は真実を告げることができなかったからこそ、人の命をふたつも奪ってしまったんだ」
「真実がそれほど大事なことだとは俺には思えない」
「大事なことだよ。探偵である前に人として僕は真実を告げなければならない」
「そうすることで尊敬する師を失い、博士とリサを離れ離れにするとしてもか?」
ラトは答えなかった。
言葉にするのが辛いのだろう。
翌日、ラトは博士とリサを談話室に呼び出した。
そしてリサの目の前に、研究で使われた《ロンズデーライトの星》の欠片を差し出した。
それはリサの部屋の床下に隠されていたものだ。
リサは顔を青くした。
そして自分が盗んだものではないということを説明する代わりに、爆発によって失われたはずのレガリアの欠片がラトの手にある理由を涙ながらに告白した。
アルフレッドは博士の実験に望みがないことを知り、ロンズデーライトの星に目をつけた。
破片とはいえ、王家の秘宝だ。
売り払えば一生遊んで暮らせるだけの額にはなる。
アルフレッドはリサと関係を持ち、実験に参加した。そして実験が失敗に終わるだろうことを知って、このレガリアを盗ませようとしたのだ。
リサは何とか理由をつけて拒んでいたが、あの晩、とうとう……。
実験室に入ったアルフレッドはレガリアを偽物のブランクと置き換え、扉を閉める直前にリサに渡した。
リサはそれをスカートに隠して部屋に持ち帰った。
その晩に死んでしまう男のためにレガリアをすり替える必要はなかったが、騒げば監視しているラトとクリフに気付かれてしまう。
その後、持ち帰ったレガリアを処分することはできなかった。
タウンハウスではラトの指示を受けた使用人たちがリサのことを監視しており、二十四時間、片時も目を離す事がなかったからだ。
そして、決定的な証拠がリサの部屋に残ることになった。
こうしてリサはすべての罪を認めた。
後日のことではあるが、ラトは探偵騎士団を通じ、アルフレッドが肉体関係を迫ったことを口実にリサの恩赦を願い出ることになった。リサはすでに罪を認めていたが、女子修道院での奉仕活動と引き換えに刑は減免されることになった。
マラカイト博士はリサの頼みで、リサの実家で暮らしている妹のマリアを新たな助手として引き取った。
ラトは事件以降マラカイト博士と連絡を取ることはなかったが、ひと月ほど後になって、報道により博士が研究を再開することを知ったのだった。
《円卓からの挑戦状 おわり》