第52話 やたら長い旅路
王都ロンズデールの輝きは噂以上だった。
宮殿を中心とした壮麗な街並みは文字通り白銀に輝いている。
その輝きは王家が所有する守護のレガリア《ロンズデーライトの星》のものだ。
迷宮街から発掘された中でも最大級のレガリアは、時のロンズデーライト王オルロフ2世に献上された。
オルロフ2世はこのレガリアを得たことをきっかけに都を移し、現在の王都ロンズデールが作られたと言われている。
ロンズデーライトの星は現在、王宮の地下深くに安置されている。
このレガリアの光には魔物や外敵を退ける魔力があり、昼夜の別なく白く清浄な光を発している。
オルロフ2世は都に地下道をめぐらし、都のあちこちに守護塔を建てた。そして地下道を掘ってレガリアの光を導き、鏡を用いて守護塔の中へと入れ、その超常にも拡散鏡を置き、聖なる魔力で王都を満たすという大工事を行った。
だからロンズデールを空から眺めると、守護塔から放たれるレガリアの力で街全体が光の網に覆われているように見えるのだ。
竜人公爵が平然と王都に出入りしていることを考えると上位の魔物には効果がないらしいが、畑を荒らす小型の魔物が入り込まないだけでも、暮らしは楽になる。
クリフとラトが到着した時間帯は昼前であったため、その光は自然光と混じり判別しにくくなっていた。
しかし塔の付近ではさすがに明るく、どんよりと曇った日の多いアレキサンドーラの弱々しい陽射しに慣れきっていると刺激が強く感じられた。
王都の街も表通りに面した家々は、貴族の邸宅であれ庶民の家であれ、分厚い遮光幕を備えているものが多い。
多い家では四重にもなるという遮光幕がなければ、王都の夜は眠れないようだ。
ペリドット家の馬車にも二重の遮光幕が取りつけられていた。
馬車がロンズデーライト一族の統治を祝福する古代語が刻印された壮麗な門を抜けてしまうと、クリフは幕を閉めて寝不足の目蓋を閉じた。
「ペリドット家のタウンハウスはもうすぐだよ。僕はカーテンを閉めていても、何度道を曲がったかや石畳の感触の違いでわかるけれどね」
「ラト、その前に聞かせてほしいことがあるんだが……いったいなんでこんなに時間がかかったんだ?」
ラトは遮光幕を開けた。
「ごらんよクリフ君! ロンズデーライト王家の統治によって、栄華をほしいままに謳歌する王都の景色を! こんな風景は迷宮街では見られないよ。あれは世にも珍しい…………」
そこまで言って、ラトは口ごもった。
クリフは下町の風景を眺めながらフンと鼻を鳴らした。
「パン屋と文房具屋と花屋か?」
「……いずれも創業から100年は経っている名店だ」
「看板に10周年と書いてある」
ラトは沈黙したまま乱暴に遮光幕を閉めた。
クリフはため息を吐いた。
「ほかに何か言うべきことがあるだろう。迷宮街から王都まで予定の二倍もの時間がかかったのは、お前のせいなんだからな、ラト」
そう言うと、ラトは不服げな表情を浮かべてむっつりと黙り込む。
クリフたちは迷宮街を出た後、当初の予定通り迷宮街から王都へ向かう商隊の荷台に護衛として乗せてもらうことになった。
急な出立ではあったものの幸先はよく、旅路になんの不安もなかった。
最初に世話になった隊は家族経営のところで、クリフとラトは暖かく迎えられ、たちまち本当の家族のように仲良くなった。
しかしそれは、ラトがこの隊を率いている父親と娘の間に本当の血の繋がりが無いことを指摘するまでのことだった……。
怒り狂った父親は銃を持ちだした。無理もない。人間関係に一瞬でひびが入ったのだ。それも入ってはいけないヒビだった。
クリフとラトは街道を逸れて森の中に逃げ込まなければいけなかった。
それから森の中を何日かさ迷い、手持ちの食料が尽きたところで別の一団に助けられた。
クリフは命を助けられたことを心から感謝したが、ラトが密猟者であることを見抜いたため、またもや命がけで逃げ出さなければならなかった。
見知らぬ山に入り込み、辿り着いた山小屋にいた老人の意外な過去にも追い回され、さらに野を越え山を越え、当初の予定だったら立ち寄りもしないだろう秘境の村やら町を越え、気がついたら二か月近く経っていたというわけだ。
ラトは少し考え、クリフに言うべき言葉を探し当てた。
「まさか山小屋の老人が商隊の娘さんの本当の父親だったとわかったときは本当にビックリしたよね……?」
「違う! 行く先々で問題を起こして旅程を伸ばしまくったことについての謝罪だ、謝罪!」
ラトが周囲の人間に迷惑ばかりかけるのはわかっていた話だが、今回は異常であった。
「問題だなんてとんでもないよクリフくん。僕は隠された秘密や真実を見つけたら指摘せずにはいられない性格というだけだ。何しろ名探偵なんだもの」
「本当にか? わざとやってるじゃないのか?」
「わざとって?」
「王様に黙って出てきた言い訳をしたくないとか、そういうことだ」
「ああ。確かにそれは楽しい用事ではないけれどね。王都ではパパ卿が僕の到着を今か今かと待ちわびているんだよ? 退屈な予定を差っ引いたとしても、僕がパパ卿に会いたくないわけないだろ」
カーネリアン邸の複雑な人間関係を玩具にしてみせたように、ラトが取っている行動そのものはいつもと同じだ。
そしてラトがパパ卿のことを心から慕っているというのも間違いではない。
クリフの生家と違い、ジェイネル・ペリドットはラトの父親であるという問題点を除けば良い父親だし、手紙が届く度にラトは嬉しそうにしているのだ。
「…………それはそうなんだが」
「ヘンなクリフくん!」
クリフは何だか言葉にならないモヤモヤを抱えたままパパ卿のタウンハウスに到着した。
タウンハウスは貴族たちが王都に滞在するときに住まう邸宅のことである。
貴族は王国のあちこちに領地を持ち、屋敷や城や砦を構えているわけだが、宮廷に出仕したり事業を起こしたりと王都に出向かなければこなせない仕事が何かと起きる。そうしたときのために有力貴族は王都に別宅を持っておくのだ。
もちろんロンズデーライト王家にとっては、貴族たちが自分の領地に引っ込んで悪だくみをされては困るので、定期的に王都に呼び寄せたいという思惑もある。
それはさておき、ペリドット侯爵家のタウンハウスは壮麗なものだった。
ペリドット卿の優し気な雰囲気に相応しく、白壁の建物に威圧感はない。だが、あくまでも別宅であるというのにカーネリアン邸にも引けをとらない大きさだ。
折悪しくパパ卿は外出中であったが、家令はラトの到着を喜んで、すぐにゲストルームへ通された。
ラトの帰宅を喜べるとは、流石に実家である。
タウンハウスの内装は明るく暖かな若草色で、彫刻や絵画があちこちに飾られていた。
窓からはレガリアの清浄な光が差し込み、高価な硝子細工がキラキラ輝いている。
それをみると、もしも天国があるならこのようなところだろうと思えた。
パパ卿は一時間ほどして屋敷に戻って来た。
「ラト!」
「パパ卿!」
従者を置き去りにして走り込んできたパパ卿は、ラトと抱き合うとしばらくそのままじっとしていた。
パパ卿はマルタで出会ったときと同じく明るい色の上着を着て、緑色の宝石が飾られた杖を手にした貴族らしい姿だった。
しかし今は優雅さをかなぐり捨て、全身でラトが無事であるかどうかを確かめようとしていた。
感動の親子の再会だが、クリフにとっては何とも言えず居心地の悪い光景だ。
とくにジェイネルとラトの組み合わせはアンダリュサイト砦での出来事のことを思い出す。
「ラト、元気だったかい。二か月も音沙汰がないから、てっきり道中で何かあったのかと心配していたんだよ」
「とんでもない。いい機会だと思って、クリフくんとあちこち見物して回っていたんです」
物は言いようである。
ジェイネルはそこでようやくクリフの存在に気がつくと、居ずまいをただして深く頭を下げた。
しかし、それは目下の人間に対する気軽な礼ではなかった。
そもそも、彼は侯爵家の主である。
しがない冒険者に頭を下げる必要は全くない。
しかも、ジェイネルのやり方は両手を広げて掌を相手に向け、片足を跪いて視線を伏せるやり方は、敵意と攻撃の意志がないことを示すというものだった。
自分の身の安全を相手にゆだねる宮中作法における最上の礼である。
これはアンダリュサイト家の四男坊に対するやり方でもない。
クリフが泡を食っていると、ジェイネルの口からは祝福の言葉が流れるように述べられた。
「ペリドット侯爵家の主ジェイネルから、アンダリュサイト砦を守護せし智謀の血筋にお慶び申し上げる。妹君に宿った女神の御力が王を守護し、王国を千年栄えさせますように」
それはアンダリュサイト家の末妹、キルフェが聖女として選定されたことへの正式な祝辞であった。
アンダリュサイト砦を出た後、キルフェは選定の儀式を終えて聖女として認められた。謁見のために王宮に上がり、既に聖都に入っていると聞く。
思いがけない挨拶にクリフは何と答えたものか迷う。
その方法を思いつかなかったからではない。複雑な感情の問題だった。
聖女として選ばれることはもちろん名誉である。選定の儀式から一年間、聖女を輩出した家系に対しては、王族ですら頭を下げて挨拶をせねばならないという決まりだ。
しかしそうした名誉と引き換えに聖女は二度と俗世には戻らない。
アンダリュサイト家は、かけがえのない家族を永遠に喪失したのだ。
そしてクリフにとっては、それ以上に大事なものだった。
そのようなあらましが一瞬で胸を過ぎり、クリフが戸惑っていると、ジェイネルは体を起こしてクリフのこともラトと同じように抱きすくめた。
「息子を無事に王都まで連れてきてくれてどうもありがとう、クリフ君!」
クリフの何とも言えない複雑な心情を見抜いているかのように、いや、見抜いているのだろう。
わざとジェイネルは明るい声で言い、背中を軽く叩いた。
彼はアレキサンドーラから王都まで二か月もかかったことについてはひとつも文句を言わず、昼食をテラスに用意させた。
広々としたテラスから見下ろす庭は青々とした芝生が生え、小さいながら温室も備えていた。
カーネリアン邸の暮らしも庶民のそれにくらべたら相当に贅沢だ。
だが、侯爵家の生活ぶりは格が違うと言わざるを得なかった。
テーブルに用意された昼食は、新鮮な野菜や果実をふんだんに使った料理だったが、その素材はわざわざ領地から取り寄せているという。
銀食器はぴかぴかに磨かれて、メイドたちが何くれとなく世話を焼いてくれるのだが、この給仕たちがまた癖ものである。
彼女たちは沈黙のうちに客のことをよく観察しており、食事に必要なものが最適なタイミングで出てくる。それがどういうことかと言うと、肉料理の皿の上にソースをかけようとしたメイドが、クリフの皿の上に手を伸ばす直前に「失礼いたしました」と言い、マスタードソースを引っ込めて、別のものにしたということがあった。
クリフはその件について一言も発してしない。
彼女はマスタードの味が苦手なのを表情から瞬時に読み取ったのだ。
食後のお茶の時間になると、またこのメイドが静かにやってきて、クリフのカップのそばにだけミルクと角砂糖をふたつ差し出して微笑んだ。
もちろんミルクが欲しいと思ったことも、角砂糖をふたつ入れたいと思ったことも、誰にも言っていない。
さすがにメイドを呼び止めて、クリフはこの疑問を口にした。
するとメイドは恭しく腰を折り、
「ラト様ほど確かな目はございませんが、わたくしどもも旦那様から、探偵騎士の屋敷のしもべとしてふさわしい教育を受けております」
と答えた。
つまりこの屋敷の使用人たちはみな、探偵術の心得があり、少なからずラトやジェイネルと同じ能力を有しているのだ。
輝かんばかりの王都の貴族の暮らしと、探偵騎士のとんでもなさに、クリフはただただ圧倒されるばかりだ。
しかし、ラトとジェイネルはそれを当然のこと、何でもないようなこととして受け止めていた。
「本当に君たちが無事でよかった。実は、先ほどまでアルタモント殿と話し込んできたばかりなんだ。探偵騎士団は君たちのことを見過ごすつもりはなさそうだ」
ジェイネルは食後のお茶を飲みながら渋面をつくった。
ローズとペパーミントの香りに包まれて、そこまで渋い表情ができるのかと疑問に思うほど渋い表情であった。
「手紙に書いたとおり、アンダリュサイト砦で起きた一連の出来事は、私の知る限りの事柄を報告しなければいけなかった。なんとか弁解しようとは思ったんだが、力及ばず、騎士団はラト……君が重大な事実を誤認し、決定的な証拠を見逃したと判断したんだ」
「ペリドット卿、まさかそれはキルフェが聖女であるということに疑いがあるということですか」
親子の会話だとわかってはいたが、クリフは口を挟まずにはいられなかった。
ジェイネルは重苦しい表情のまま首を横に振った。
「とんでもないよ、クリフ君。騎士団はその点を疑っているわけではない。いかなる方法、目的であったにせよ、教会はすでにキルフェ嬢が奇跡を起こしたと認定した。それに騎士団が異を唱えられるわけではなし、我々が処罰できるのはあくまでも内輪のことだけだ」
ジェイネルはそう言ったが、その口ぶりはまるで砦で何が起きたのか、そのすべてを仔細に知っているかのようだった。
砦の件でラトがジェイネルに伝えたのは、あくまでも結婚に必要な持参金が欲しいということまでだ。その点はクリフも事前に確認していた。
ラトはパパ卿に、積極的に砦の内部事情を話したわけではないし、ジェイネルも砦の内側までは立ち入らなかった。彼が知っているのはその目で見たことと、新聞などで伝わっている表面的な情報までのはずだ。
しかし、ジェイネルは真相を知っているのだとしたら。
そう思うと、ここでの会話は見た目のほがらかさ、のどかさにくらべて数段おそろしいものなのだという気がしてくる。
「言っただろ、クリフくん。探偵騎士団は天才頭脳集団なんだ」
ラトの言葉の意味が、ようやくわかりかけていた。
ジェイネルはラトに探偵術を教えた人物で、ラトと同じくらい優れた観察眼を持っている。ほんの一瞬で人の心を読み取り、嘘を見抜くことができる。
恐ろしい人物だが、それでもパパ卿ことジェイネルはあくまでもラトの父親だ。
味方だと考えてもいいだろう。
しかし、赤い手紙を送りつけてきたほかの探偵騎士はどうだろうか。
「パパ卿、探偵騎士団には僕から直接お話をします」
「それがいいだろう。しかし、騎士団はその前にラト、君の実力が探偵足り得るものか試すと言ってきている。私はそうは思わないが、彼らの考えでは、君はすでに探偵としての資格を失っているからだ」
そう言って、ジェイネルはテーブルに見覚えのある赤い封筒を置いた。
「三か月ほど前、王都で起きたある事件の真相を解明し、犯人を捕まえることができるかどうか。それが力試しの内容だ」
ラトは新しい手紙に手を伸ばしたが、ジェイネルがそれを遮った。
「挑戦するかどうかをまず聞いておこう。これはクリフ君にも関係のある話だしね」
「俺……ですか?」
「探偵騎士団は、ラトがその助手としてイエルクの直系の孫を選んだことも問題視している。かつて、イエルクが王国にもたらした損害は大きなものだ。彼は騎士団にとっても災厄そのものだった」
クリフは助手なんかではない、と否定したかったが、それを口にしたところでどうなるものでもないのはわかりきっていた。
祖父イエルクがどのような種類の悪魔だったかについては、クリフも詳しい。
それに加えて、いくら味方だとはいえジェイネルは王国の爵位を持つ人物だ。
むしろクリフやキルフェがイエルクの関係者だとわかっていて、持参金を持って砦に駆け付け、何も言わずに妹を行かせてくれたのが、最大の思いやりと譲歩というものだろう。
「パパ卿、クリフ君は正しい心、正義の心を持っています。イエルクとは違います」
「もちろん息子が選んだ人を疑ってはいないよ。しかし、オブシディアン卿の考えは違う。彼らは君たちが何者であるか自分の目で確かめるまでは、君たちを王都から出すつもりはないだろう」
ジェイネルは挑戦するかどうかと訊ねたが、実際のところ、選択肢はひとつだった。
もし拒めば、レガリアの力で猫に姿を変えられる刺客が再び送りこまれて来るに違いないのだ。