第27話 君の名は
ラト・クリスタルは夜明けと共に帰還した。
ラトは、竜人公爵の城がいかに素晴らしいものかを興奮ぎみに、仔細に語って聞かせてくれた。公爵の城はまさに黄金城で、竜が生誕してからというもの、王家や貴族や竜に挑んだ勇者たちから奪い取ったありとあらゆる黄金が飾られており、その光景はさながら王国における金細工と金製品の歴史博物館と呼んでも過言ではなかったそうだ。また、竜人公爵に仕える家人たち――人に変化した魔物――もそれぞれが長命で、歴史学や博物学の教授に匹敵する知識量を有しており、一晩中、有意義な議論を楽しんだのだという。要するに、難攻不落のダンジョンに行って魔物と仲良く遊んで帰ってきたというイカレ話だった。
「それで帰還が遅れてしまったのだけど、クリフ君、僕がいない間、変わりはなかったかい? 君はどんな一夜を過ごしたのかな? 推測するに、それはとても刺激的で、たとえようもなく過激なものだったようだね」
ラトは硝子が大きく割れ、窓枠が外れかけた窓に対して言った。
結局一睡もできなかったクリフは血走った目で隣の寝室に続く扉を開けた。
椅子に縛りつけられた侵入者は、クリフ以上に恨みがましい目つきで両者を睨んでいる。鼻が折れた醜い顔だ。ラトはそっと扉を閉めた。
「とはいえ、これは予測し得る変化のうち、最小限のものと言っていい」
「まるで襲撃があると知っていたかのような口ぶりだな」
「とんでもない。遺体が他殺であれば、どこかに犯人もいるというのは、種を植えたら花が咲くように誰にでも予測可能なことだよ」
本当かどうかは怪しいところで、またいつものように黙っていただけということも考えられるが、旅行気分ではしゃいでいたクリフも強くは問えない。竜人公爵の誘いだという時点で、これはただの観光旅行ではなかったのだ。
ラトの観察眼が無くとも、持ち物や身なりからして、この侵入者、あるいは暗殺者が元同業者で斥候を務めていた者だというのは自明であった。
斥候は冒険者の中でも重量の軽い防具や取り回しの良い武器を扱い、罠の解除や鍵開けを専門に行う専門性の高い職能だ。
そして冒険者くずれが暗殺や襲撃などの後ろ暗い仕事を請け負うというのも、悲しいかなそれほど珍しい出来事ではないのだった。
「ところで、こいつは何故キミを襲ったのか、その理由を吐いたのかな?」
クリフは肩を竦めてみせた。
駆け出し冒険者のクリフには、同業者からうらみを買う理由がない。
「今日中に鼻の位置を直さないと一生醜く歪んだままだと脅したりはしたが、だんまりを決め込んでる」
「拷問術は試してみたのかい」
「お前ふうに言うなら、拷問術っていうのは時間の浪費の別の言い方だ」
「それは大変、僕好みの表現だね。労せずして手に入れられる情報というのは、この世にはひとつとして存在しないか、せいぜいが信頼するに足らないものだ」
何かにつけてズレている二人だが、こと暴力の分野で意見の一致を見せるというのは、皮肉めいている。
しかし人間というのは思ったよりも単純ではなく、多種多様だというのは動かし難い事実だ。
人間は暴力にさらされて真実を話すとは限らない。はやく楽になりたくて無限に嘘を吐く者も多い。どのみち死ぬならと、ありもしない罪を他人になすりつけようとする者だっている。それに昨晩の立ち振る舞いを考えると、この人物は非常に優秀な暗殺者で頭も働く。拷問されたとしても自分に都合のいい情報だけを話すだろうし、その情報を得たとしても真実からは遠ざかってしまう可能性がある。
ラトはそれよりも侵入者の持ちものに着目した。
名も知らぬ侵入者が身に着けていた銀色の大ぶりな指輪だ。
仕掛けつきの指輪で、スイッチを押すと針が飛び出す。毒を入れるための小さなタンクを備えており、荷物の中には痺れ薬が入った小瓶があった。
これだけ見ると斥候というより狡猾な暗殺者の持ちものだ。
「持ち物は雄弁で、嘘をつかない。彼が犯人だ」とラトは言った。「それだけは確かだ」
「ああ、危うく死ぬところだった」
エストレイがひそかに忍ばせていたレガリアが無ければ死んでいただろう。
クリフが答えると、ラトは首を横に振った。
「いや、君のは未遂だ。竜人公爵の居城の遺体のほうだよ。これを見たまえ」
ラトはステッキを掲げた。
自慢の《名探偵レガリア》がきらりと光り、細い線になって放たれた。光が壁の上で結ばれて、ひとつの像を描いていく。
瞬く間に極めて写実的な黄金像の画が壁の上に展開された。
「なんだこれ。新しい鉱石スキルか?」
「ああ。この技能はステッキを高性能な写真機として扱えるようにするものなんだ。敏腕氏には《知識の限界》と名付けてもらったよ」
描き出されたのは竜人公爵の城に置かれた黄金像そのものであるらしかった。
大きさはクリフの身長と同じくらいで、モチーフは羽を広げた竜である。台座を含めた全体が金色に塗装されていて、台座の一面に取っ手があり、扉を開けると人ひとりぶんが入り込める隙間がある。
ラトが映し出した別の画には、その空間に押し込まれた若い男性の亡骸が映っていた。男が入るには少々窮屈そうで、手足は小さく畳みこまれている。中肉中背で、瞳や髪の色は濃い茶。着ているものはしみのない清潔な白シャツにベスト、金の懐中時計と指輪を所持していることから上流階級の出身と思われた。
しかし紋章など身分を示す持ち物はなく、正体は謎に包まれている。
「これが竜人公爵の言っていた例の死体か」
「低温に晒されたことを考慮に入れたとしても、祭日の夜に殺されたことは間違いないだろうと思う。その証拠に右半身に細かな煤が付着していた」
村人の話によると、祭日の夜、クライオフェン村や祭り見物に訪れた若者たちは黄金像を安置した広場で篝火を焚き、一晩じゅう踊り明かしていたという。
煤が体の片側だけに付着しているのは、この男が篝火の周りを女性をリードしながら時計回りに回転していたからだとラトは言う。
「指輪や時計が残されていたということは、物取りの犯行ではないな」
「その通り。しかも彼を襲ったのはただの暴漢ではなくプロの暗殺者だった。つまり、隣の部屋にいる彼の犯行だ」
ラトは再び扉を開けた。
猿ぐつわを噛まされて発言権を失った侵入者が、何かしら目で訴えている。
クリフは扉を閉めた。
「どういうことだ?」
「これはまだ君に話してはいない事実だが、彼の死因は心臓をナイフで刺されたことによるものだ。それから、手のひらに細い針で突き刺された傷あとがあった」
クリフは画像に近づいて観察する。確かに、遺体の左手にクリフが刺されたものとよく似た小さな傷がついていた。男はクリフと同じように麻痺毒を流し込まれて体の自由を奪われたのだ。
「彼は祭日の人混みにいたが、突然体が動かなくなって倒れた。とはいえ祭の夜のことだ。大抵の人間が飲んだくれて酩酊しており、被害者も酔い過ぎただけだと思われたはずだよ。身体の自由さえ奪ってしまったなら、話は簡単だ。介抱するふりをして心臓をナイフで一刺し、人混みに紛れて消えればしばらくは誰も気がつかない」
ラトは侵入者の持ち物であるナイフを鞘から抜き出し、刃渡りを確認する。
「傷とぴったり一致する。間違いなく凶器だろう。じつに大胆、かつ確実な犯行だね」
「でも、どうやって毒針を刺したんだ?」
「犯人は小柄だ。かつらを着けてスカートを履けば十分ダンスの相手になれるよ。暗がりの中なら容姿なんて誰も気にしないだろ。どうだい、僕の推理はそれほど的を外してもないだろう?」
ラトはまた扉を開けて、聞こえてくる物音に耳を澄ました。
「――――彼もそうだって言ってる。僕は天才だと。当然だね」
もちろん、元冒険者は猿ぐつわの下から不快そうに唸り声を上げただけだ。
女装なんてラトしかやらないとクリフは思ったが、祭の日に奇妙な仮装をするのはどこの村や町でもあることなのは確かだ。
「じゃあ、事件は解決だな。これで迷宮街に帰れる」
「残念ながら、この件に隠された真の問題は被害者が何者で、真犯人がどうしてこんなことをしでかしたのかについてだ。僕が思うに、こいつはその技能を見込まれて雇われただけの小悪党だ。この事件の裏側には、自ら手を汚さずに暗殺者を雇った卑劣な人間がいる。それを明らかにしなければ事件の真相に辿り着いたとは言えないし、依頼人も納得するまい」
「お前さんの妄想癖じゃないのか?」
「失礼な奴だな。僕は妄想なんかしない」
ラトは真犯人とでも言うべき人物が他にいるということに、間違いない確信を持っているようだった。
「ところで、君に頼んだ仕事はどうなったんだい」
「仕事……? ああ、村中の人間に質問して回れってやつか」
「質問の内容もさることながら、僕は城で遺体にかかりきりで村の様子をじかに見たわけではないからね。ぜひ紅茶でも飲みながら君の見識を聞かせてくれたまえ」
紅茶と伝統的な平パンにリンゴのジャムという朝食を楽しみながら、ラトはクリフの報告を聞いていた。村人たちが面倒事を避け、誰もが遺体のことを知らないと言ったこと。そして貧しい隣村との関係や、竜人公爵と村人の間にある深い溝のことなどだ。
すっかり聞き終えてしまうとラトは「なるほどね」と言って目を閉じた。
「ラト、お前なら、これだけの情報があれば何か有益なことを思いつくんじゃないか? 例えば犠牲になった哀れな男が何者なのかとか……」
「犠牲者が何者か? ――――そんなことは最初から明らかさ。ただし、僕たち以外にはね」
「冗談を言っている場合じゃないんだぞ」
「もちろん冗談なんかじゃない。僕は犠牲者が誰だか知らないよ。だけど、知らないのは恐らく僕と君、そして竜人公爵だけだろうことははっきりしてる。君が調べてくれた事実は少なくともひとつの真実を示している。つまり、村中の人間が嘘をついているんだ」
ラトの発言に驚かされるのは初めてではないが、これはその極端な例だろう。
困惑するクリフの前で、ラトの唇からは種明かしをする奇術師のように隠されたカードが転がり出してくる。
「なぜ嘘なんかつかなくちゃいけないんだ。いや、それよりも、お前はどの時点で気がついてたんだ?」
「最初にこの宿に入り、アイビス嬢に話しかけた時点でおおよその察しはついていた。だって、考えてもごらんよ。死体について何か知らないかと聞かれたのに、あの返事はおかしいじゃないか。《何も知らない》なんてさ」
「それは、つまり、何も知らなかったんだろうさ」
「じゃあ君がクライオフェンの住人だったとして、死体があるって聞かされたら、まずなんて答える? 疑問がいろいろあるはずだよね。あってしかるべきだ。誰の? どこに? どうして?」
クリフは黙りこんだ。
ラトの言葉は、シンプルで的を得ていたのだ。
「ごく普通の感性なら、遺体があると聞かされたなら、まず真っ先に被害者が身近な人や家族の誰かではないか心配するものだ。それなのに彼らは《知らない》と答えたんだよ。それからこの件に関してはもう一つ参考にすべき事柄がある。僕たちは竜人公爵の依頼でこの村に来たが、そもそもなぜここに来たかっていうと――――……」
ラトほど鋭い感性を持たないクリフにも言葉の行く先が見えた。
「そうか、竜人公爵は人間の見分けがつかないはずだ」
「そういうことだ。竜血の君は人間に疎い。男女の差さえも判然としないほどだ。はっきりとわかるのは身元不明の遺体が自分の棲家に転がってるってことだけだっただろう」
カーネリアン邸を訪れた竜血の君は、死体について問われても曖昧な答えしかできなかった。ということは、宿の主人に遺体について訊ねたときも、その特徴について詳しい説明はできなかったはずなのだ。
「男か、女か、身長は高いのか低いのか、太っているのか痩せているのか、歳はどれくらいなのか……何一つ説明されていないのに、村の連中は《知らない》と答えた。いったい何を知らないというんだ? 正解は、何もかもを知っているんだよ、クリフくん。この村の連中全員、犠牲者が亡くなったことも、彼が誰なのかも、何故殺されたのかも知っていて、全ての秘密を黄金像の中にねじ込んだんだよ」
「待ってくれ。俺たちや公爵に嘘をついて黙っていただけでなく、死体を黄金像の中に……ねじ込んだ……? どういう意味だ?」
「文字通りの意味さ。犠牲者を人混みの中で殺したのは暗殺者の仕事だが、遺体を発見して、黄金像の中に入れて処分しようとしたのはクライオフェン村の人間だろうと思うんだ。人知れず殺すことは簡単でも、広場の真ん中に鎮座していた黄金像の中に動かない死体を隠すのは難しい。さすがに悪目立ちしすぎるし、暗殺者にとっては逃げるタイミングを失ってまで、わざわざやる意味がないからね」
「……何故そんなことを?」
「そりゃもちろん、クライオフェン村に遺体があると困るからだろうね。竜の城に送ってしまえば、あとは公爵が煮るなり焼くなりしてくれると思ったんだ」
村人全員が共謀していた……。それはあまりにも恐ろしい推理だった。
「だけどそこで公爵は第三者に相談するという予測不能な行動に出た。つまり、パパ公爵に。村人たちは急遽、口裏を合わせることにしたんだ。だから、猫も杓子も《知らない》んだ。ひとりくらい別のことを答えてもいいはずなのにね」
クリフは小旅行気分で散策を楽しんでいた自分自身が、どれほど無防備だったかに気がついて震えあがった。
たちまち、暖かな紅茶の味がやけに鉄臭く感じられた。
村人たちが結託していたとなると、飲み物や食べ物に毒が入っていたとしてもおかしくない。そんなふうに考えるのも無理からぬことだ。食べかけの平パンを皿の上に戻したクリフを見て、ラトは微笑した。
「安心したまえ。僕たちは一応は竜人公爵の客なんだ。村人たちも竜の客人に毒を盛ったりはしないよ。非合理的だ」
そのとき、隣室から激しい物音がした。
再度、隣の部屋の扉を開ける。
侵入者は椅子ごと床に倒れていた。白目を剥き、体を激しく痙攣させて、口元からは激しく泡を吹いていた。
「でもこっちのほうは違うみたいだね」
せめて拘束を解いてやったが、意識は既に遠くなっていた。
雇い主が誰なのかを口にすることなく、襲撃者はわずか数分でこと切れた。