第21話 晩餐を用意して
誰にも訳がわからぬうちに衛兵隊がやってきて、宝石商ふたりを引き立てて行った。しかし衛兵隊にも、彼らが誰なのか、何故捕まるような目に遭っているのかわからないでいた。一連の事件の事情というものを隅から隅まで把握しているのはラト・クリスタルひとりきりだった。
ラトは宝石商が出て行ってからしばらく、うろたえるクリフや使用人たちを眺めて楽しんでいたが、カーネリアン夫人が衛兵隊のコーネルピン隊長を連れてやって来るとようやく襟を正そうという気になったらしい。
そして事件の顛末というものを語りはじめた。
「単純明快な話です。ルベライト夫妻はたちの悪い商人に騙されてしまったのですよ。まず、これはクリフくんには先に話しておいたことですが――ルベライト氏のお屋敷で、宝石を消してしまったのはルベライト氏の元夫人です。残念ながら、これは動かしようのない事実です」
「まあ、なんですって」
「宝石が消える直前、二人は喧嘩をしていました。そのせいで、元夫人は腹を立てていたのでしょうね」
「宝石を盗むような方じゃありませんよ」
カーネリアン夫人は眉をしかめた。誰でも、友人を悪く言われたらそういう反応になるだろう。
けれども、ラトは意見を翻すことはなかった。
「ええ、そのことはわかっていますとも。しかし宝石を盗むまではいかなくとも、少しくらい元夫を慌てさせてやろう、くやしい思いをさせてやろう、そんなふうに考えるのは人として当然のことです。裁かれるまでもないことです。つまり彼女は夫の元から去るとき、ほんの意趣返しに、そこにあった宝石を隠してしまったのです。ただそれだけのことなんですよ」
ラトは残念そうにそう語った。
ルベライト氏の元妻は、屋敷から立ち去る直前、夫が購入しようとしていた宝石に目をつけた。しかしルベライト氏や宝石商が宝石から目を離したのはほんの短い時間のことで、彼女自身、時間がないことはわかりきっていたのだ。
ラトは宝石商が残していった青い宝石をつまみあげると、テーブルの上に置いてあったポットの蓋を開け、放り込むしぐさをした。
「彼女は手近にあったティーポットの中に宝石を放り込んだのです。それくらいなら、大した罪にはなりません。皆、少しくらいは慌てるでしょうが、いずれは誰かが宝石があることに気がつきます。だが、そこで思わぬことが起きた。宝石はポットの中で《《溶けて消えて》》しまったのです」
宝石が溶けて消えるなんて、と一同は驚いたが、ラトは平然としていた。
「あの宝石は水に溶けるのです。思い返してみてください。宝石はルベライト氏の屋敷から忽然と姿を消し、屋敷のどこからも見つからず、その場にいた誰も所持していなかったのですよ。だとしたら、他にどんな可能性があるでしょうか」
「だけど、宝石が水に溶けるなんて、そんなばかなことがあるか?」
すっかり説明されても、クリフには納得がいかなかった。
ラトはテーブルの上に残された宝石を手に取ると、ぺろりと舌を出して表面を舐めてみせた。
「しょっぱい。これは塩だよ、クリフくん」
「塩?」
「そう。料理に使う、塩だよ。塩の結晶。岩塩の塊だ。キラキラしていて綺麗だろう」
クリフは驚いた。カーネリアン夫人ももちろん、驚いていただろう。
「じゃあ、彼らは塩の塊を宝石だと偽って売りつけようとしていたのか?」
「それが詐欺師というものだよ、クリフくん。大抵の石ころは磨けば光るものだ。その中で宝飾品にするのに向いているものだけが宝石と呼ばれるんだ。日常使いにするのに問題ない程度の硬度と、優美な輝きがあるものをね。もちろん、塩のかたまりを宝石を呼ぶ者はいない」
宝石がルベライト氏の元から忽然と姿を消した理由はいまや明らかだった。宝石商が取り出した未知なる宝石のかたまりは、ただの岩塩なのだ。当然、湿気に弱く、水に入れればいずれ溶けてしまう。
「あの宝石商たちはこれが宝石ではなくただの岩塩であることはすっかり理解していたんです。だからこそ僕が宝石を水槽に落とそうとしたとき、あれほど狼狽していた。だけどクリフくんのように消えたことそれ自体には驚いてはおらず、むしろ僕が水槽に宝石を入れる前にそれを止めようとして席を立ったのです。カーネリアン夫人とクリフくんが証人です。そうですね?」
カーネリアン夫人は頷いた。
確かに、この街で、これ以上の証人はいないだろう。
わざわざルベライト元夫人の名前を使って広告を打ち、宝石商たちをカーネリアン邸に呼び出したのは、はじめからラトが巧みに張り巡らせていた罠だったのだ。
「つまり、お前は宝石が消えた謎だけではなく、詐欺師を捕まえるための算段をつけていたってわけか」
「そうとも。そもそも、宝石が消えた謎なんて、話を聞いた瞬間に解決してしまって、謎と呼べるほど立派なものではなかったんだよ。しかし詐欺師たちの悪意は立証する必要があった。まあ最終的には、彼らはほとんど自分たちの行いだけで犯罪行為を立証してくれたけどね。――とにかく忘れちゃならないのは、彼らはかわいそうなルベライト元夫人に賠償金まで吹っ掛けたということです。これは十分立派な犯罪行為だと言えるでしょう」
誰もがラトの洞察力に感じ入っていた。
しかし、奇術を見せられたようで納得がいかないのはクリフだけだ。
「これだけは言わせてくれ。確かに、俺みたいな不勉強な奴ならともかく、宝石に詳しいルベライト氏までそんな手口に騙されるだろうか」
「それほど自分を卑下する必要はないよ。鉱物の世界はあまりにも深く、一人の力で見渡すのは困難なものだからね。ルベライト氏はありとあらゆる珍しい石をたくさん集めていたそうだから、逆にこんなありふれた塩の塊なんてものは見たことがなかったんだろう。もっとも、青い岩塩というのは産地が限られていて、多少珍しくはあるけれど……。それに宝石のかわりに塩の塊を売る明確な利点がある。それはつまり、もしもルベライト氏が詐欺に気がついたとしても、騙されて塩の塊を売りつけられたなんて恥ずかしくて言い出せないだろうってことさ」
後日の取り調べで、宝石商たちは確かに詐欺を働こうとしていたことを認めた。
しかしルベライト元夫人の思いがけない登場と悪戯で宝石を《紛失》してしまい、金が手に入る当てが無くなってしまった。困惑していたところ、ラトによって出された新聞広告を見かけた。そのタイミングで街から逃げておけばよかったものを、いらない欲を出したのが、結局は彼らが捕まる原因になってしまったのだった。
そして騙されたほうのルベライト氏も、薄々は騙されたことに気がついていたようだ。だが、やはりラトの言う通り、世間体が悪いという理由で詐欺行為に口をつぐむしかなかったのだろう。それに加えて、カーネリアン夫人に相談を持ち込んだルベライト元夫人も、当然のことながら《自分がしたこと》が原因で宝石が消えてしまったことに感づいていた。交渉の日、屋敷に来なかったのもそのせいだ。
カーネリアン夫人はこれらの事情を知り、当面、二人との交流を控えるという決断をくだした。
ラトは事件の全体像を振り返り、こんなのは謎のうちにも入らない、と文句を言った。
そして大切に育てていた小さな金魚たちをフライにして、青い塩を振りかけたものを晩餐にしようと提案した。ルベライト夫妻を呼んで特製ディナーを囲めば、お互いに自分の愚かさや、他者への思いやりがいかに大切か思い出すだろう、と話した。
だが、彼自身、自分自身の提案をあまり良いとは思っておらず、退屈の余り、破れかぶれになっている様子がありありと見てとれた。
「ルベライト元夫人にかけられた賠償金はどうなるんだろう」
「《台所から好きなだけ持って行け》とでも言ってやればいい。僕の煙草は?」
ラトはクリフに向けて掌を差し出した。
クリフが全て便所に捨てたと言うと、ラトは耳を覆いたくなるような罵倒の言葉を述べてみせた。
《すべてが水に溶ける おわり》