第16話 ワルツを一曲
その後の話をしよう。
名探偵ラト・クリスタルの助言を受けたカーネリアン夫人が《強く懸念を表明》したことによって、冒険者ギルドはガルドルフ邸第三階層に職員を派遣した。
職員たちが見守っているなか、何も知らない冒険者が厨房のある区画へと入り込んだ。彼、ないしは彼女は、誰も調理などしない暖炉へと向かっていく。そして屈みこみ、散らばった薪や鍋をどけ、敷石の隙間に指先をねじ込んだ。何度か乱暴に揺すると、固定されていなかった石ころがゆっくりと持ち上がる。
その下に、果てのない空洞がぽっかりと口を開けていた。
その暗がりはガルドルフの野望と同じだけ深く続いている。彼はいつの日か、第三層のさらに下にも自らの邸宅を広げようと、あらかじめ排煙のための穴を掘り進めていたのだ。
冒険者は自らの記憶鉱石をロープで括りつけ、深い穴にそっと下ろしていく。
全く疑いようもなく、この人物はこの瞬間、冒険者ではなく密売人の類となったのだ。
この人物は控えていた職員たちに捕まり、身柄は衛兵隊に引き渡された。
密売人たちは次々に捕まり、三、四人が盗品の売買に関わっていたという話だ。
その報せを受けても、ラトは大して驚かなかった。怠惰にもバスローブ一枚を着ただけの姿で、カーネリアン邸の居間に置かれた長椅子に寝そべったまま、事件が大々的に報じられた新聞の一面を見て「ふむ」と言ったきりだった。
そこに書かれていた事実はラトの頭の中とそっくり同じで、取り立てて何か付け加える必要はなかったのだ。
けれど、クリフのほうはそういうわけにはいかない。
「事件について、俺はまだどうにも理解できないことがあるんだが……」
切り出すと、ラトは眠たげに瞳を瞬かせた。
「心配せずとも、この件について、君が迷惑をこうむることはもう二度とないよ」
「たとえそうだとしても、だ。どうも釈然としないんだ。命懸けの仕事をする上で、こういう気持ちでいるのは、あまりうれしいことじゃない」
シネーラ嬢が逮捕されて三日ほど経過していた。
クリフにかけられていたシネーラ嬢殺害容疑はまるで最初から無かったかのように扱われ、新人冒険者の退屈な仕事に勤しむ日々が戻ってきた。
それでもこの件はクリフに少なくない影響を与えた。事件の当事者だという意識もある。
それで、仕事終わりに、クリフはラトと腰を据えて話をすることにした。
ラトとクリフは両人とも、実はこのとき、カーネリアン邸に厄介になっていた。
女神レガリアを見つけ出した例の事件のことを夫人が大いに感謝して、宿無しの二人を客人として迎えてくれたのだ。クリフは恐縮して断ったのだが、夫人がぜひにと言うので、広い邸の二階の一部屋を格安で間借りしている。
「うん。それで、君は僕に何が訊きたいんだって?」
「そうだな。まず、どうして、シネーラ嬢が殺されて、ミイラになって見つかった事件の犯人がシネーラ嬢の妹だってわかったのかってところだ」
「ほかには何かあるかい」
「それから、このガルドルフ邸の三階に空いた穴ってのは、なんなんだ? これもシネーラ嬢の事件に関わってるのか?」
「よろしい。それくらいなら、外出までの短い時間で説明できるだろう」
「なんだ、出かけるのか」
「ちょっとね」
ラトは顎の下で両手を組み合わせ、遠い記憶に思いを馳せるようにまぶたを閉じた。
「まずは、ガルドルフ邸の第三階層に空いた《穴》について話そうか。そのほうが理解しやすいから」
「順番はどっちでもいい。俺にも理解できるんだったら」
「単純な話だよ。その《穴》は、記事に書いてある通りのものだ。そして、それを見つけたのはシネーラ嬢だろうと推測される。盗品のレガリアを運ぶ際、たったひとりで、レガリアが通常発見されるであろう迷宮の深部にもぐるのは、かなりの労力を必要とする難事業だよね」
「ああ、それはそうだな」
たとえレガリアを持って深部に潜り帰還するだけだといっても、道中には危険な魔物や罠が山のようにはびこっているし、時間だってかかる。
一般的に言って、迷宮は深部であればあるほど、魔物は強くなる。仲間なしで、たったひとりでもそれを成し遂げることができる手練れなら、不正などしなくても十分に稼げるだろう。
そこで、シネーラは危険をおかさずにレガリアを《洗浄》するために、厨房に空いていた深い《穴》を利用した。ロープを使って記憶鉱石を下ろしていけば、実際に自分自身が迷宮の深層に潜っていなかったとしても、記憶鉱石には深部に到達したという記録が残る。
あとは不自然にならない程度の期間を迷宮の浅い層で過ごし、何食わぬ顔でギルドに戻って記憶鉱石とレガリアの鑑定を受ければいいのだ。
いわば、《近道》だ。
「この近道は、シネーラ嬢がたまたま発見した秘密のルートだろうと思う。だって、誰かに知られてしまったら、真似をする奴が出てきて商売にならなくなる。それに自分の身も危うくなるだろうしね」
シネーラに盗品を預けている仲買人の立場からすれば、彼女に渡す手間賃がなければその分多く儲けられるのだ。もしも仲買人にばれたら、シネーラ嬢はその時点で消されていただろう。
「そういう意味では、仲買人が犯人だと思うのが自然じゃないか?」
クリフは心の底から不思議そうに訊ねた。
しかし、実際に、シネーラ嬢に手を下したのは仲買人ではなかった。
ただひとりの親族であったシネーラ嬢の妹だ。
衛兵たちの取り調べによると、妹はシネーラ嬢が盗品のレガリアを手にして迷宮に潜っていたことを知っていた。そして、そのレガリアを奪うために、仕事を終えて帰還する姉を背後から殴って死なせたと告白した。
「彼女は姉の遺体を運び、誰にも見つからないところに葬り去る必要があった。だけど、ガルドルフ邸の出入口は僕らも行って見てきたとおり、商人たちの巣窟だからね。誰かに見とがめられる可能性が高い。エストレイのときとは違うんだよ」
「それで、遺体を暖炉の穴の中に捨てたっていうのか。残酷だな」
「いや、おそらくは事故だろうと思う。背後から襲われたシネーラ嬢はまだしばらく生きていて、助かりたいがために逃げ惑い、第二階層の穴から落ち、たまたま煙突の中に引っかかって息絶えたんだ。あるいは煙突の穴に自ら飛び込んだのだろう。そこから三階層まで降りて、誰かに助けを求めるつもりだったんじゃないかな。だって、シネーラ嬢は煙突の仕組みに誰よりも詳しかったわけだからね。そのあたりは、死体をよく検めてみなけりゃ何とも言えなえい。次からは、迷宮内部でミイラを見つけたら蘇生する前に僕を呼んでくれ。保存状態のいい遺体は、生きてる人間よりも思慮深く、色々なことを語ってくれる」
ラトは台詞の末尾をわけのわからない文句で締めた。
このあたりの事情は、衛兵隊による後の取り調べによって、かなり真実に近い推察だったと証明されることになる。
「動機としては、まあ、退屈だが金だろう。冒険者というのは本当に金が好きだね。二年前、妹は結婚したと言っていたから、結婚資金にでも充てたんだろう」
「だが、レガリアを奪っても、しろうとに盗品を売り捌くのは難しいだろう。お前さんの説が正しいんだとすると、レガリアをブランクにすり替えるタイミングがないじゃないか」
クリフが言うことももっともだ。シネーラ嬢は殴られた後も生きていて、助かるためにその場から逃げ出したのだ。だとすれば、ブランクはいつの間にシネーラ嬢のポケットに入っていたというのだろうか。
「レガリアはあらかじめ、すり替えられていたんだ。最初からブランクだったんだよ」
「なんだって、それじゃ、仲買人が?」
「そう。仲買人が渡した盗品が、すでにブランクだった。シネーラ嬢はその時点で裏切られていたんだ。そして、妹のほうが売り払ったのは盗品のレガリアじゃない。《ルート》だよ。盗品を簡単に新品に変えることができる《魔法の通路》。そのありかを売ったんだ。彼女はある程度、その通路のことに見当をつけていた。だから、第二階層にひそんで……」
クリフの脳裏には、第二階層の片隅に空いた穴から、第三階層で作業ををする姉の姿を観察する妹の姿がありありと映し出されていた。
それは、我知らず背筋が震えるほど、恐ろしい眼差しだった。
仲買人はルートを使って、その後も盗品のレガリアを洗浄し続けたのだ。
クリフは一連の事件の流れを理解し、そして気落ちした。
これまで彼は冒険者の世界は実力主義の世界だと信じていたからだ。
実力さえあれば、働いて、真っ当に報酬を得られるのだろうと。
けれども、実際には、こうした犯罪や不正が入り込む余地があるのだ。
「仲買人も、妹のほうも、どちらもシネーラ嬢の死に一枚噛んでいたんだな」
「そうなるね。シネーラ嬢も、ブランクだと言われた瞬間に裏切り者に気がついたことだろう」
「じゃあ、ますます不思議になってくる。ラト、お前はどうしてあのとき、仲買人ではなく妹の家に行ったんだ?」
シネーラ嬢が復讐するとしたら、その相手はどちらでも良いことになる。直接手を下した妹でも、仲買人でも、どちらも憎しみの対象であることに変わりはない。むしろ、妹への復讐は肉親の情が邪魔をするかもしれない。
「それはね、確かに僕も迷った。まあでも、一般的に言って、女性は同性の相手を敵とみなす場合が多い。浮気をした自分の恋人よりも、恋人を誘惑した女のほうを罰しようとするみたいにね。それから、最大のヒントが僕の目の前にあった」
「最大のヒント?」
「君だよ、クリフくん」
ラトはどこか意地悪そうに微笑んだ。
「シネーラ嬢は君を犯人として指定した。もしも復讐を考えていたとしたら……。目的を遂げるまで、その相手と似たような相手を、犯人代理にはしない。むしろ本当の犯人とは遠い容姿の人間を犯人だと言い、捜査を攪乱しようとするはずだ」
クリフが犯人だと言われたとき、その場にいたのはギルド職員と蘇生術師、そのほかには女性の魔術師であるエルウィンだけだった。
「そうか、男だったからか……。ただそれだけで、こんな目に遭うとはな」
「些細なことだ。気にすることはない。それじゃ、僕は人に会う支度をするので、失礼するよ」
ラトはそう言って、夫人から借りている自室に戻って行った。
クリフはその場に残って事件のことをあれこれ考えたり、新聞を開いてみては、《不可解な気持ちを拭い去れない》といった顔をしていた。
十分ほどして、ラトの部屋の扉が再び開いた。
クリフは顔を上げなかった。ラトがどこに行こうが、まるで興味はない。
だが、足音は、クリフが腰かけている一人がけのソファの後ろに回った。
「どこかの三文記者が走り書きしたろくでもないゴシップ新聞なんかに、君の受けた理不尽を解消する術はないよ。クリフくん」
いつものラトよりも、その声は数段低くくぐもっているように思われた。
背後を振り向いて、クリフは驚いた。
そこには身支度を整えたラト・クリスタルがいるはずだった。
けれども、クリフの眼球がとらえたのは《紳士》の姿だ。
すらりとした長い手足に、高い上背。白くてきめ細やかな肌はそのままに、謎めくスモーキーグリーンの瞳はいつもより切れ長で怜悧な印象を与える。
少年のあどけなさは消え去り、精悍な青年といった横顔だ。
身にまとっているのは上流階級の人間が着るような上等な誂えの燕尾服で、コロンの香りまで漂わせている。
「おまえ、ラトか……!?」
クリフは、目の前の紳士が赤と緑、二つの宝石を飾ったラトのステッキを手にしているのを見て、ほとんど悲鳴のような声を上げた。
「おやおや、僕以外に誰がいるっていうんだい」
クリフが身も世もなく驚いてるのを見て、ラトは嬉しそうに笑った。
「だって、その格好……! 化粧や変装の類にしても、身長からして違うだろう!」
「ふふふ、驚いてくれてうれしいよ」
何が起きたのか、魔法か何かと疑うクリフの脳裏に、天啓のようなものがひらめいた。
「もしかして……」
あれは、ラトが敏腕氏にレガリアの鑑定を依頼したときのことだった。
ラトはすぐに隠してしまったが、ラトが持つ《名探偵》レガリアには二つのスキルがあると鑑定結果が表示されてはいなかったか。
すなわち《変装の達人》だ。
「それ、まさか。レガリアの力か……!」
「そういうこと。まあ、さすがに服までは調達できないらしく、夫人の夫のものなんだが。体格も身長も思いのままさ。とても便利なスキルだね。これは。では、出かけてくるよ。夕食はいらないと夫人に伝えておいてくれたまえ」
クリフは訝しむ。
「そんな格好でどこに行くつもりだ?」
「野暮だね。もちろん、麗しい女性とのデートの約束に決まってるじゃないか。ワルツを一曲踊ってくるよ」
ワルツを一曲、というところで、クリフにも、デートの相手が誰なのかがわかった。
「麗しい女性だって……?」
「そうとも。何か問題でもあるかね」
「いや、たとえ問題が無かったとしても、迷惑がられるだけだと思うがね」
「クリフくん、今日は先約があるけれど」
ラトは申し訳なさそうに断って、クリフの耳元で囁いた。
「いつか僕は君のエスコートをしてもいいよ」
「いらん。そんなことは言っていないだろ」
「そうだろうか。僕は思うんだ。誰しも、すべてのしがらみや他者からの眼差しを絶ち、心のままでいられる相手と、ありのままの姿で踊る一夜があってしかるべきだって。自分で言うのもなんだけれど、僕はそんな一夜にぴったりの相手だ。だって、どれだけ巧みに嘘をついても、名探偵であるこの僕に本当の姿を隠すことなんてできないんだからね」
それから、クリフが手にしている新聞を手に取ると、くしゃりと丸めてクズ籠に投げ込んだ。
「君と犯人の最大の相違点は、性別ではない。容姿でも、体格でもない。君は犯罪とは無縁の、じつに善良な人間だよ」
ラトは言って、気障な仕種でシルクハットを持ち上げた。
それから、メイドと執事に見送られ、意気揚々と待たせていた馬車に乗り込んでいった。
《迷宮産ミイラの謎 おわり》