第12話 ミイラはどこに行った?・上
「それは結構だ。ぜひとも、さっさと真相とやらを教えてくれ」
「やらなければならないことがあると言っただろ? 観察だよ。自分の目でみて考えることが大事なんだ。たとえば、クリフくん、もしも冒険者としての仲間を作るつもりがあるなら、敏腕氏のような人を選ぶといい」
「ギルドの受付係を? なんのために?」
「彼はすばらしい才能を秘めているのだよ。殺人鬼の才能だ」
殺人鬼という言葉の剣呑さに、クリフはぎょっとする。
「おそらく彼は接近戦に特化した格闘家だ。きみは彼の想像のなかで三度は殺されているだろうな」
「適当なことをいうんじゃない」
「僕はうそをつくことはあるが、適当なことは言わないよ。彼が優秀な格闘家であることは、少しの観察と実験の手間を惜しまなければわかる。じつは僕は以前、彼の視線の並々ならぬ強さに興味を引かれて、うしろからぶつかってみたことがある。僕の体重は大したものではないけれど、全くの不意打ちというのは結構威力があるんだ。でもびくともしなかった。彼はずいぶん体を鍛えているみたいだね」
「体を鍛えている人間が不思議か? そこらじゅうにいるぞ」
「自己顕示欲の強い男性は、主に大胸筋と上腕二頭筋に肉をつけ、より大きくしようとする傾向がある。少し気のきいたやつは下半身もするけれどね。けれど、敏腕氏は外見からわかるとおりそれほど巨体ではない。身長にくらべれば、筋肉量はすくないほうだろう。そういうふうに鍛えてるんだよ、クリフくん。考えてもみてごらん、格闘家が、体の前からみてもわかるほど発達した広背筋を備えていたら。たちまちすばやいパンチが打てなくなるよ。腹回りの鎧みたいな肉のせいで、動きも鈍くなる。敏腕氏のすばらしいところは、ひじょうにどっしりとした体幹だね。体の外側ではなく、内側を鍛えているんだよ」
「そうかもしれない。だが、体が鍛えられているからといって、格闘家だという説には同意できない」
「彼は君と話しているあいだ、ずっと君の剣をみていたよ。それか、喉ぼとけのあたりや、不用意に向けられたこめかみや耳のうしろあたりだね。どれも人体の急所で、カウンター越しにねらえる場所だ。彼がいつでも攻撃されることを想定し、反撃の手段を探している証拠だ。君は敏腕くんがどうしてあんな、人間性の掃きだめのような場所で終始にこやかでいられるのか、少しは考えたほうがいい」
「いま、冒険者ギルドを、人間性の掃きだめって言ったのか?」
「そこのところは大した問題ではない。ほんとうにお気の毒だけどね、脳細胞は使わなければ死滅してしまうんだよ」
ラトの言葉遣いは、あくまでも相手のことを馬鹿にするというよりも、本気でクリフの脳細胞のことを心配しているようすだった。ラトは確かに、敏腕氏もみとめた優れた観察眼の持ち主だ。けれども思いやりあふれる態度が余計に他人の神経を逆撫でするのだ、ということにはどうも思い至らないらしい。
「ラト、お前さんがいろんなことを観察しているというのはわかったよ。それに、まんざら当て推量だということもないんだろう。以前、俺の家族のことを当ててみせたしな。妹がいることもそうだ。話していないのに」
クリフとしては、それは最大限の譲歩だった。
どんなに気分が悪くとも、ラトのその特異な能力は身の潔白を証明するのに必要なものだ。
「ああ」とラトはまぬけな返事をする。「あれは、少しちがう。勘だ」
「は?」
「君、今朝はパンをいくつ食べた……? ふたつ? それともみっつ?」
突然、質問をされて、クリフは自分の記憶を探った。
「ほら、君の瞳が左側に動いた。左脳で考えている証拠だよ。人の体は質問に対して何らかの反応をする。発汗や筋肉の緊張、視線の移動や呼吸の深さ、脈拍の回数……。そういう、君の体が発しているシグナルを見ていたんだ」
「つまり、妹がいるかどうかなんて、知らなかったってわけか!」
「この世の人間はおおよそ三種類に分けられる。妹がいる人間、そして弟がいる人間、弟妹のいない人間。三分の一の確率だ」
「なるほどな。お前のことをめいっぱい殴りたくなってきたよ」
「やめておいたほうがいい。今の僕は淑女だ。これ以上、罪を重ねることはない」
クリフは溜息を吐いた。
「頼むから、一度帰って、着替えをしないか?」
「いやいや、このままがいい。僕の考えが正しければ、この件を解決するための時間的猶予はあまりないんだ」
だったらドレス姿をやめて着替えればいいのに、という言葉をクリフは飲み込んだ。どんな軽口でも、口にした途端、それがスイッチになってラトから言葉の洪水があふれ出て、ギルドの受付係が格闘家の殺し屋になったり、きのう男だった者が女になったりする危険性があるからだ。
*
新市街地の入口までつかまえた馬車に乗り、そこからガルドルフ邸までは歩いて行った。
ガルドルフ邸の第一階層の周囲は市場になっている。冒険者相手に地図や怪しげな薬草、武器や防具を売りつける商人たちが寄り集まっていて、その奥にガルドルフが築いた商店の店構えがある。そこにも商人たちが店開きして、本物の迷宮の入口を取り囲んでいるという寸法だ。
ラトは迷宮には入らず、地図売りから第三階層までの地図を買うと、それと睨めっこしながらガルドルフの店の裏手にまわり、何かを探している様子だった。
そこは薬局と煙草屋の間に挟まれた細すぎる路地の奥だ。鍵つきの鉄の扉があり、周囲は分厚い石壁で囲まれている。鉄扉にはギルドのマークが刻み込まれており、この窮屈な場所が冒険者ギルドの管理下にあることを示していた。
扉の前には、衛兵が立っている。
それを見てとると、ラトはこんなことを提案した。
「クリフくん、君、ちょっと行って、そこの扉を開けてもらえないかどうか聞いてきて」
「なんでだよ。いやだ」
「君に拒否権はない。事件解決に必要なことだ」
「だとしても、変に思われるだろう」
「安心して。この状況下においては、僕たちは何をしても誰にも絶対に変には思われない。突然、裸になりでもしない限りはね」
そう言って、ラトはクリフの手に小銭をねじ込んだ。
クリフは渋々、言う通りにする。
「申し訳ないんだが、そこの扉を開けてもらえないだろうか」
衛兵はちらりとラトの方を見て、迷惑そうな顔で「あっちに行け」と言った。それだけだった。衛兵の態度は頑迷そのもので、賄賂を見せつけても大した変化はない。すごすごとクリフが戻ってくると、ラトはパラソルの下でくすくす笑いをしながら小銭を回収した。
「ドレスのおかげで、彼はきっと恋人たちの戯れに巻き込まれたと思ってるよ。恋人たちというのは往々にして奇妙なことをしでかすものだから」
それを聞いて、クリフはぞっとした。
そのあとに、腹が立ってきた。
「そういうことなら、絶対に行かなかった!」
「そんなに腹を立てることもない。じつに興味深い結果が得られたじゃないか。地図を見てごらんよ。この場所合は君がミイラを発見した暖炉の真上に当たる。排気口だね」
ミイラ状態のシネーラ嬢がみつかったのは地下三階の厨房、それも暖炉の中だ。
遺体は煙突の途中に引っかかった状態だった。
暖炉そのものは、迷宮内部を貫いて排煙のために地上まで続いており、その出口がこの場所ということになる。小型の魔物が上がって来られないよう煙突には鉄格子がかぶさっており、さらには鍵のかかった鉄扉があって、衛兵まで立っているという用心深さだ。
衛兵が賄賂にもなびかないことはただ今、証明された。
「地上がこうも厳重に塞がれてるとなると、シネーラ嬢は何者かに襲われたあと、迷宮の第二層から煙突の穴に落とされたんだろうと言えそうだ。なんでも、魔物との戦闘行為で、数年前から第二層の壁には大穴が開いてるらしいよ。敏腕氏が教えてくれた」
「じゃあシネーラが襲われたのは迷宮の中で、第二層ということか」
「まったく、敏腕氏を受付係として採用したことは、冒険者ギルドの功績の最たるものだと言えるね」
敏腕氏の功績はそれだけではない。
彼は蘇生直後のシネーラ嬢の様子を克明に記憶していた。
シネーラ嬢はクリフが牢屋に入ったすぐ後に受付を訪れ、記憶鉱石といくつかのレガリアを提出し、鑑定を受けていた。
記憶鉱石には、彼女がひとりで深部まで潜り、第二階層まで帰還した経緯が記録されていた。
同時に提出されたレガリアはシネーラ嬢が迷宮内部から持ち帰った《原石》だ。
クリフとエルウィンが第三階層で見た《光》はシネーラが回収したこれらの原石のものだろう。
そして、鑑定の結果、この《原石》は残念ながら《ブランク》だということがわかった。
迷宮から発掘されたレガリアはかならずしもその全てが女神の奇跡を有するとは限らない。鉱石スキルを持たなかったり、はたまた、そのスキルがとんでもなく《くだらないもの》で、冒険の役には立たなかったりということもあり得る。
そうなると、レガリアはレガリアとしての価値を有することなく二束三文の価値しか持たなくなる。せいぜい人が近づくと発光する特性を明り取り代わりに使われるか、記憶鉱石として再利用するかだ。
シネーラは高い蘇生費用や二年の空白期間をレガリアの売却代金でおぎなおうとしていたのだろう。
「そんなこと絶対にありえない!」
そう一言叫んで、青白い顔をしていたそうだ。
シネーラはそのあと冒険者ギルドを飛び出して行って、行方がわからなくなった。
どこに行ったのか、何故いなくなったのかはわからないが、そう叫びたくなる気持ちはクリフには痛いほどよく理解できる。
「レガリアを発掘したんだとすると、シネーラは最低でも第六階層か、七まではもぐったことになる。しかもたったひとりきりで。それらすべてが《ブランク》だったなんて、むなしすぎる……」
「君、それ、自分で言ってて何かがおかしいとは思わないのかい?」
ラトは絶対に淑女が浮かべないような含み笑いを浮かべている。
瞳はどこか冷たい色だ。
「たとえ女神の行いでさえ、この世に《絶対》なんてないんだよ。だからこそ、僕たちはシネーラの足跡というものを追いかけることができるんだけどね」
ラトはそう言って、元来た道へと踵を返した。