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欠けているもの  作者: たき
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5

 認識していなかったわけじゃないんだ。


 これまで経験する代わりに読んできた数々の恋愛系の本にもこういう登場人物は、いたって普通に出てきていた。むしろかなりメインのモブとして。

 ただ、大人の行動としてはいささか常軌を逸すると、やはり現実に起こりうるものでは無いとどこかで思い込んでいたようだ。

 自身に降りかかって来た今は、ただただ頭の中にクエスチョンマークがひしめき、龍ちゃんにチョコレートをあげるのは私だけだと、ほかの人を牽制していたあの子の姿が重なって見えている。


 「五橋くんと毎日ランチに行くってどういう仲なんですか?」


 誰ですかあなたは。

 見たこともない女子が私の目の前に立ちふさがっている。言葉の端々にねちょっとしたような感覚を覚える口調で意味不明な質問をしてきた。

 進行方向にいるためチラリと見れば、結構綺麗にしっかりメイクしているし、香水つけすぎじゃね。第一印象はそんなところだ。

 しかし、そんな意味不明な質問に構っているわけにはいかない、次のミーティングはこの下のフロアだ。しかも時間が連続しているので急いでいるんだよ。


 「あのー、遅れるので失礼」


 こういうのは相手にしないに限る。また今度なんて、口が避けても言うわけ無い。

 次はファシリテータではないけれど、重要な内容なのだ。急げ急げ。


 健康のために階段を利用する人たちはけっこういる。

 そのため階段の往来は多い。

 こんな場所で立ち塞がられると非常に困るし、知らない人なので無視していいと結論づけた。


 断りを入れて、彼女の脇をすり抜ける。

 やばいやばい。もう3分も経過している。ほらスマホに呼び出しも来た。


 次の会議のあるフロアの踊り場に着いてIDカードをかざすと、ピッと解錠の音がしドアが開いた。



 「きゃー」


 声とともにドスンという音が聞こえた。

 振り返るとさっき私の前に立ちふさがっていた人が階段下に座り込んでいるじゃないか。


 どうしたどうしたと、近くにいた階段利用者が集まって来た。


 するとその人は私を指差して、あの人に押されたという。


 押された?

 袖振り合うも多生の縁にもなってないんだが。


 「おい、君。ちょっと来て、事情を説明して」


 私を呼ぶ人がいる。そりゃそうだね。彼女が私を指しているんだし。思いっきり関係者扱いだ。


 「それより救急車呼んだ方がいいんじゃないですか?」


 心配する人たちが来て、彼女を中心に人垣ができている。


 「どうした」


 そんな中悠然と階段を降りてくる五橋がいた。

 片手にノーパソを持っているところを見ると彼も会議だったらしい。座り込んでいる彼女のそばを通り過ぎ、私のところまでやってきた。

 通り過ぎる際に縋るように伸ばされたキレイなネイルが施された手はスルーしている。


 「五橋くん!」


 いまだに座り込んでいる彼女が五橋の名前を呼んだ。ひときわホールに響き渡り、私が入ろうと解錠したドアからも人が出てくる。


 「・・・」


 無視か。


 「うぜぇ」


 なんかね、冷たい声が五橋の口から出ましたよ。小声だけど私にはしっかり聞こえた。

 感情がこもってないというか、こんな声、聞いたことないな。それにしても相手は名前を呼んでんのにさ、ちょっとした知り合いでもないって顔してんな五橋(こいつ)


 「五橋くん、聞いて、その人に、階段から突き落とされたの」


 「落とした?」


 五橋は私の顔を覗き込んでくる。

 いつもの顔だな。

 非日常的なこの状況に、つい現実逃避をして一瞬頭が真っ白に飛んでいたが、その顔を見ると自然と落ち着きを取り戻せた。


 「落としてない。ってか、触ってもないよ。確かにその人は階段に立ちふさがってはいたけど、両脇を通れないわけじゃなかったし」


 「嘘つき!」


 まだ座り込んだまま絶叫している。五橋が顔を上げ彼女へ問いかけた。


 「なんで階段で立ちふさがってたんだ? 階段の往来は多い、危険だろう」


 「五橋くん、落とされた私の言うことを信じてないの? その人のことを信じるの?」


 「悪いけど信じてない。だって元気そうじゃん。ちっ。

 埒があかないな。手っ取り早く監視カメラを見てみようぜ。ここで押されただの何だのと騒いでても、水掛け論で時間の無駄だ。

 さっさとハッキリさせよう。みんな忙しいんだ。それにこうも叫ばれちゃキンキンとうるさくてかなわない」


 あの口から棘がだだ漏れですよ。刺さると痛そうですね。南無。


 ビル内の設備というか階段で起きた事象だけに、警備員の人が早々に来ていた。そして五橋の言葉を受けて、承知したとばかりに、警備員の人はキビキビとどこかへ連絡をしているようだ。


 「ちょっ、ちょっと待って。カメラって。。。」


 顔面蒼白とはこのことか。

 彼女の顔色が、うーん、結構塗ってるのかもな。ちょうど首のあたりが白いかな。あと匂いがちょっと、、、


 「確認取れました。こちらの方のおっしゃる通り、立ちふさがっていたこの方の横を通っていますが全く触れる距離じゃないようです。

 その後、こちらの方が階段を下りきった後、そちらの方が自ら床に座り込んだようですね。

 映像がありますので御社の方にお送りしましょうか?」


 仕事早いなー。感心していると、警備員の人の報告に、周囲がざわざわとしはじめる。


 ん? 座り込んで?


 「それで? なんだって? もう一回言ってみろよ。こいつがどうしたって?」


 親指を立てればサムズアップ。通常なら日本ではGOODの意味なんだが、それの状態でこっちを差しているので、その意味ではないだろう。


 しっかし、なんだろな。

 五橋の声が、非常に冷たい、感情がこもってないわけじゃないけど、負の感情が込められている気がする。恐ろしいわ。

 目つきもかなり怖いぞ。さっきまで元気に啖呵切ってた彼女がプルプル震えているじゃないか。

 日頃は感じたことなかったけど、左右対称黄金比的な感じの造作だけに、けっこう冷たい人みたいに見えちゃうんだろうね。正直、今の五橋の顔の前には立ちたくないわ。南無・・・。


 「・・・なんでも、ないです」


 聞き取れないような微かな声で彼女が言った。


 「そう。でも何なら念のため医者に行って診てもらう? 打ち身とか捻挫とか、いっぱつでわかるっしょ」


 五橋の提案に床に座っていた彼女は首を振ると、人々を押しのけて階段を駆け下りて行った。

 おーい、気をつけろー。5cm越えのヒールは転びやすいぞ。しかもサンダルか?


 一連の出来事にその場にいる誰もが呆然としている。


 「はい、解散。何でもなかったそうだから、気分転換に寸劇でも見たと思って、仕事に戻れー」


 どこぞのGMかそれくらいの偉い人が周囲を促してた。


 その号令にその場の時間が動き出したようだ。だがだれも寸劇って言葉にひっかかってないようだ。


 私も会議に、、、だいぶ遅刻している。凹むわ。


 でもよく見ると、会議召集のメンバーが出て来ているじゃないか。これはセーフだよねセーフ。

 ひとりふたりと扉の中へ消えていくのに続いて、私も会議室へと向かおうとすると、誰かに腕を後ろから引っ張られる。


 「嫌な思いさせて悪かったな」


 五橋が謝っている。

 理解不能だ。理屈に合わない。ああ。あれか。

 ひょっとして五橋の彼女か。

 だから連日ランチに行っている私にやきもちを焼いてたのかもしれない。あとで彼女はお叱りを受けるのだろうか。まぁそこは二人でなんとかやってくれ。


 「いやいや、こちらこそ、窮地を救っていただいて本当にありがとうございました。下手したら牢屋に投獄されていたかもしれないところでした」


 おっとお礼を言うのを忘れていた。会議のことしか頭になかったよ。


 「いや、あれはお前に対する言いがかりだ。以前、付き合ってくれと言われたことがある。だけどその場で断った。興味ないし趣味じゃないし臭いし。俺はお前が・・・」


 「ってことはなにかい。人様の色恋沙汰に巻き込まれたんだね私は」


 思わず五橋の言葉を遮ってしまった。

 そのくらい衝撃的だったんだよ、知らないうちに巻き込まれてるなんてさ。


 「そういうことだ。ちっ」


 また舌打ちしたな。失礼だぞ、主に私に。まあいい。面倒ごとを収めてくれたからな。今日のところは見過ごしてやる。

 会議、、、いそがねば。

 目の前の会議室になかなかたどり着けない。

 視線を会議室の方向へと向けると、そのまま隅っこに押し込まれる。


 「五橋、業務妨害だぞ」


 抗議の声を上げると耳元で全く甘くない言葉を囁かれてしまった。


 「いいか、これからは基本的に俺の隣に座れ。今日は会議が終わったら39階のフロアに戻って来い。極力、一人にはなるなよ」


 「あのー、ひとついいかい五橋よ」


 「フリーアドレスだからとか、同じ部じゃないってのは聞かねー。むしろフリーだからこそだ」


 先手を取られた。お前は優秀な棋士か。


 「だがなその意味がわからん。隣同士は暑苦しくないか。私は独り言も多いしな」


 「気にならない」


 「そうか」


 そうか、気にならないなら、フリーアドレスだからな、五橋の好きな場所に座ればいいさ。ただし、あとで独り言が多いとかうるさいとか言われても全くこちらに瑕疵はないからな。覚えてろよ。

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