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はて。
ランチだよね。
気軽にお昼に食べるランチだったはずなんだが。
ここに来る前に確か何か食べたいものあるかと尋ねられた気がする。一応なんでも良いという回答は避けたいので、たんぽぽと回答した気がする。
いや、気がするじゃない。回答した。断言する。
たんぽぽ・・・それは、のどごし良い手軽さを極めた立ち食いお蕎麦屋さんだ。
お昼時ならば目が回るような回転率だが、この時間ならだいたい人はいないということを織り込み済みで、相談しやすいかなーと思ったんだけど、五橋は私の回答を聞くや、ちっと舌打ちをした。
そして五橋は私の頭から足をひと舐めしたあと、どこかに電話をした。
「いくぞ」
ぶっきらぼうに促され、さっさと先を歩き出した。
たんぽぽの方向なんだが、たんぽぽの前はさっさと素通りだ。
ごめん、たんぽぽ。また今度な。
たんぽぽのオススメは、実はうどんだと思っている。讃岐うどん風でもなく、どこぞのものと知れないジャンルのようで、ペラっとしている。きしめんとも違う。
コシはないが、ひらひらなうどんでとろけるようなつるりとした食感で、意外にも癖になるほどうまいんだ。
あの食感を思い出し後ろ髪を引かれながらも五橋の後を追う。
そして冒頭へ戻る。
お前は何者だ。いや、何様だ。
確かに相談事には向いているだろう。この場所は。個室だからな。
これから話す相談事は、それほどまでの大ごとなことなのか。
何を言われるんだろうか。
ただ適当に頷いているだけだけで済むだろうと思っていたんだが、ちょっと考えを改めねばならないだろう。そして、自分の財布の中身を心配する。いつもは千円札が入っていれば良い方だから。なんせ、たんぽぽは500円で事足りるし、支払いは現金のみだ。
まぁ社会人だし、カードくらいは持っているのでどんとこいだ。この会社では私の方が五橋より先輩だからな。
「ふぅ」
五橋に気づかれないように、そっとため息をつく。
それにしてもなんだ五橋は。
面倒臭がりな私でも感じる場慣れ感。見た所、ルックスもそれなりだと思うから、数多の女性とこういう場所に来ているのかもしれない。いや、やめよう。ひとさまの背景を想像しても何も良いことはない。色眼鏡が増えるだけだ。自分の視野が狭まって、写実で五橋を見れなくなるからな。
それに知ったところで、へー、ほー、ふーん、としか返せないからな。
ひとまずだ、いまの時間は、午前と午後の間のちょっとした隙間に食うはずのランチじゃないのか。時間もそう長くは取れないので、単刀直入に行こう。
「それで、相談事というのは?」
五橋は黙ってこっちを見てる。随分と長い沈黙だ。それほどまでに、その話は重いのか。聞き役だけでは務まらない気がしてきた。
「誰が相談事があると言った」
返ってきた言葉がそれか。
ということはだ、私の推測がはなっから間違っていたということになる。これは結構恥ずかしい状況だ。棋士だったらきっと何手先も読んで最適解を導き出せるのだろうが、私は将棋をさしたこともない。小学生の頃に祖父といっしょに、山になった将棋を音を立てずに取って来るというものだけだ。きっとあれは将棋を指すという行動ではないはずだ。
気まずい。
現実逃避をしてみたが、ちょと気まずい。
「あー。最近、五橋の姿をちょいちょい見ている気がしたけど、昼飯に誘われるということは、誰にも話せない何かを聞いて欲しいのかと推測したのだよ。違っていたら忘れてくれ」
いつもの、ぺらりと手を振る。
「相談事がなきゃ飯に誘えないのかよ」
「そうじゃないけどさ。仕事がらみであんまり人と関わりがないので、顔を合わせる程度の何もない同士が飯を食うということについて、いささか想像ができなかっただけさね。私の経験不足ってやつだ。すまんな」
にへら、と笑えれば良いんだろうが、私はそう愛想がいいわけじゃない。代わりにじっと五橋を見ておいた。
五橋といえば器用に片眉をピクリと動かしている。日本人の表情筋は欧米人と比べると動きが鈍いんだ。そんな風に器用に動かせるとは、日頃から鍛錬しているんだろうか。つい鏡に向かっている五橋の練習姿を思い浮かべる。
「ぶふっ」
「おい、今度は何だ」
なんかめちゃくちゃ嫌そうな顔してるなー。
「いやすまん。練習姿をだな。想像してたら、ぶふっ、あはは」
個室でよかった。
引きながら笑ってしまうほど、ツボに入ってしまった。
「何の練習姿だ。妄想豊かなのもたいがいにしろ」
「すまんすまん。涙はそうすぐには止まらないが、会話を続けよう」
「まだ何も話し始めちゃいないぞ。お前がいきなり笑い出したんだ」
「そうかそうか。ふん、ふふ、それは、すまないな。では始めよう。ランチタイムは意外と短いからな」
五橋の目がゴミを見るような目でないことだけが救いだ。
笑ったらちょっと顔が火照ってしまった。
「ちょっと失礼。目をつぶっていておくれ」
愛用の眼鏡を外しゴシゴシとお手拭きで顔を拭く。
「ふぅ、すっきりした」
「お前、一昔前のリーマンのオヤジかっ! 仮にも異性の前でお手拭きでゴシゴシ顔を拭くとは、女捨ててんのか」
眼鏡のくもりがないかを確認しながら、向かい合う五橋に視線を向けると、、、若干のけぞっただろ五橋。この距離だと眼鏡をかけてなくても、うすぼんやりとだが五橋の表情もわかるんだぞ。詳細にはわからんが。きっと見ちゃいけないものを見たって思ったな。失礼なやつだ。
「仮にも異性の前じゃなくてもそんなことはしないさ。いつもはね。ただ今回ばかりはちょっとクールダウンをする意味も含めてだよ。個室だし、見てる人いないし、いいじゃん、固いことは言うな。もうしないから。だから目をつぶれと言ったんだがな」
「目をつぶってればノーカウントなのかよ」
「この場合はな」
「ちっ」
お行儀が悪いな。
確かにお手拭きの最大活用形をしてしまったのは問題かもしれんが、五橋の舌打ちもどうかと思うぞ。でも言わない。なんか機嫌が悪いから。薮はつつかないんだ。
眼鏡をかけ直すとようやく視界がクリアになった。これで五橋の微細な表情筋の動きも見逃さない。
「ってかさ、化粧してないわけ?」
「そうだがなぜ分かる?」
「お手拭き汚れてない」
「あー、まぁ、日焼け止めは塗ってる、、、ということは帰りはアウトだな」
今日は薄曇りだ。太陽が出ていないからと言っても紫外線はしっかり透過して来る。
どうやって帰ろう。日焼け止めの入っているバッグは置いてきた。そう考えると、たんぽぽの立地は最高だよな。多少雨にふられようがすぐに戻れるから。
「全部アウトだろう! 化粧しない女ってのが存在するのか」
五橋がなにか怒っているようだ。
「失礼な。皮膚が弱かったり、呼吸器系に問題があって化粧したくてもできない人だっているんだぞ。ナチュラルメイクに見せた厚化粧ができるほどの面の皮の厚い人たちと、ひとくくっちゃダメだ」
「あ、それはすまなかった。そういう認識が無かった」
五橋は殊勝にも素直に謝罪の言葉を口にしている。さっきからころころと表情が変わる。叱られた犬のようだな。
「いやいや構わんよ。私は全然かぶれないけど、単に面倒だからだ。日焼け止めさえ塗ってればいいのだよ」
「お前なー。俺の心からの謝罪を返せ」
あーまた怒る。忙しいな五橋は。
「そういうセンシティブな女子はここにはいないけど、私が代わりに受け取っておくので無駄ではない」
「俺は、、、お前に勝てる気がしない」
「これは言葉のキャッチボールであり、何につけて勝敗を決める必要がある。肉声での会話を楽しもうぞ」
そうさ。
いつもはテキストチャットだけなんだ。
五橋の声をまともに聞いたのは初めてな気がする。やや低めでいい声じゃないか。少しおこりん坊なようだがな。