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私はどうやら面倒臭がりのようだ。
仕事は夢中になってやるから、それほど面倒臭がりだとは気づいていなかった。それでは何が面倒臭がりなのかというと、御察しの通り、恋愛についてだ。王道だ。多分。
恋愛と聞けば、へー、ほぉ、と息を漏らすくらいだ。
それしかない。
そしてすぐに面倒だな、と思う。
身近でも、いや、それほど身近じゃないが、気づいてないだけかもしれないが、好きだ嫌いだ腫れた惚れただの、取った取られただの、浮気や不倫や関連する話が聞こえてくる。
こちらから情報を求めに行かなくてもだ。
1日は24時間しかない。
その中でその部分に一体何時間かければいいのだろうと、そう考えるだけでうんざりする。
もっと建設的に、もっと合理的に、もっとマニュアル的にいかんものかと。
「いや、まるっきり反対だから恋愛になるんだろうな」
一人、呟く。
「田尾さん、何言ってんの?」
仕事に没頭し過ぎて、いや、この場合は、考え事に耽っていてつい周囲に人がいることを忘れていた。五橋がにょきっと顔を出してこちらを見ている。
「すまない、独り言だ。ちょっとぼーっとしてた」
「いや、良いんですけどね。田尾さんの口から、恋愛って言葉が出てきてさ、それに反応しちゃったわけで」
バカにする風でもなく、五橋は若干眠そうではあるが、興味津々の目をこちらへ向けてくる。
「そうだよな、似合わないよな。すまない、寝言だと思って忘れて仕事を続けてくれ」
ぺらっと手を振り、この話はこれでおしまいという意思を示す。
五橋にはそれで通じたようで、ちらりと物言いたげな視線を寄越しはしたものの、素直に顔を下げた。
ふぅっと、周囲に気取られないようにため息をつく。
声に出すなんて、ひょっとして欲求不満か?
我ながら、その単純な発想に鼻で笑ってしまう。
人生で初めて恋愛に関係する言葉を聞いたのは、小学校に入る前だったと記憶している。
「ねぇ、好きな子いる?」
同じクラスの女の子がそんなことを聞いてきた記憶がある。
残念ながらその好きの意味が理解できていなかったのだ。好きな食べ物は梅干し。その程度の理解力だ。
ちなみに梅干しは幼い頃から今まで一貫した好物だ。
その次に記憶があるのは、小学低学年。
「初恋はいつ?」
初恋って何?って本気で理解できなかったことを覚えている。
女の子は一桁の年齢だろうと、もうすでに”女”がいる。精神面でだ。
男子と女子への態度がハッキリと違う子がそうだと思う。残念ながら私には男子と女子の違いも理解できてなかったと思う。
バレンタイン、チョコレート、、、そんな言葉を知ったのも随分後になってからだ。
小学5年生の頃だろうか。
クラスで一番モテる龍ちゃんにはあげちゃダメって、なんか気の強い女の子が言ってきたのを覚えている。意地悪をするわけじゃなく、龍ちゃんにはその女の子があげると、そういう意味だそうだ。その子が龍ちゃんを好きだから、他の子がチョコレートをあげるのを牽制していたわけだが、いまになって思えばすごい話だ。
そして、好きって何?
初めてそういう疑問を抱いたっけ。
あの頃、みゆきちゃんはとしのりくんが好き、かずこちゃんはお隣の家のほんだくんが好き、ええっと、あとは、なんだっけ。
そう、好きな人が、いや違う、好きな男子がいるのが当たり前という空気がその子らにはあったのだ。だから私には男子で(恋愛面で)好きな子がいないと回答すると、不思議そうな顔をしていたな。
受験勉強があったし、両親も恋愛のれの字すら教えてくれるような人たちでもなく、なにせ本人たちはお見合いで1ヶ月後に結婚したというなかなかのツワモノで。
家ではテレビも好きに見ることもできず、唯一、漫画を読んだりしていたが、好み的に女子系ではなく男子と女子の中間色の強い系統の漫画が好きだった。
もちろん学校でテレビの話題にはついていけず、もっぱら聞き役で。
聞き役も結構つらいので、そういう時には図書室へ行き本を読んでいた。その本は恋愛系ではなく、絵本や図鑑や推理小説だった。
小学生の間はこんな感じで恋愛という話には全く縁がなかった。あ、唯一チョコレートをあげた人がいたが、それはクラスの女子が全員で誰かにあげようという企画があったからで、誰にあげたすらのかも覚えていない。その程度だ。
中学になると母の教育熱に磨きがかかり、学校と習い事以外の時間は友人との遊びもなかなか出かけられなかった。ここでも基本的には学校で本を読んで過ごし、男子諸君とは積極的な関わりは持つことはなかった。髪型ももっさりと黒縁メガネだったこともあり声をかけられることもなかったからだ。
でもやはりよく通る女子の声は聞こえてくるもので、誰と誰が付き合っててなど、私とは別次元での世界の出来事をかいつまんで教えてくれていた。
高校大学はもう何をしていたのか記憶が定か得ない。
そういえばストーカーもどきにつきまとわれたことが何度かあった。
モテるというわけじゃないのだ。相手が何かのフェチなのだろうと思う。でなければ、私にこだわる理由が全く分からない。そして今もその理由が分からない。
ある時は、珍しく池袋に用事があり、背後からずっと付けられているのに気づかず山手線に乗るために改札に入ったあたりから、妙だと思うようになった。埼京線に乗るふりをして山手線に駆け込むと、その人もついてきて、ガチやばいって思った。
そういうのが何度かあったな。
そういえば、大学生になって初めてバイトをしたな。
あの時は1歳年下の男子、いや、もう、男性か?に付き合ってと言われたことがある。また同時期に1歳上の人にも言われたし、年度末あたりに院生の人からと、あの頃は不思議とそういうことが立て続けにおこっていた。
これまでにない出来事に、非常に気持ち悪いことだと思っていた。
つきあって
付き合うってなに?
困ったことに、お付き合いをするという意味がわからなかった。
大学生の友人たちには、「付き合っていない」人の方が稀だった。その稀のひとりが私なんだが。
考えれば考えるほど、お付き合いとは何かがわからない。
恥を忍んで教育学の教授にお尋ねをしてみたら、ため息をつかれてしまった。
「君みたいな子が、まだこの時代にいるんだね」と。
一方で、ありがたい言葉もいただいた。
「人はそれぞれだよ。同じではない。恋愛は興味がなければ無理やりしなくてもいい。人としての感情について勉強にはなるとは思うけど、それは本でも読んで想像してみるのもありかもよ」と。
そこで初めて恋愛小説など手に取ってみた。
ライトなもの。ハッピーエンドなもの。バッドエンドなもの。どうしても理解不能なもの。不倫や浮気などは非合理的で意味がわからない部類だ。いや、不倫や浮気は恋愛の部類に入るのだろうか。あれは動物の本能だけで行動するように見えるので、動物の行動学ではないだろうか。
つまらない。
数々の本を読んで見たがどれも非常につまらない。
やはり私には、それらを理解するための何かが欠けているのかもしれないと初めて思った。