第1話 二人がひとつになった日
男が目覚めたのは柔らかなベッドの上だった。
その娘に関係のある家の人々が集まったその部屋の中でベッドがギィとひとつ鳴いた。
それは数グラムあるといわれている魂の重さによるものだったか。
その音は集まった者全ての耳目をベッドへ集めるのに十分だった。
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「……ん……」
目を開けると、ベッドの横に控えていた医者のような男が驚きの声をあげた。
「な、なんとっ!?」
その叫び声につられたか、驚きの感情が人々に伝播して、それはまるでさざなみとなった。
「もしや……リナリーが……リナリーが蘇ったのですか!?」
「リオーナ、信じられないよ」
「ええ、あなた。もう心の音も止まってしまっていたはずなのに……」
そんな驚いた人々の声を聞きながら、俺は戸惑っていた。
あの世ともいうべき冥府でかわした約束は覚えている。
確か「私とひとつになろう」といわれて暇だったから了承をしたのだ。
そして、今……この状況である。
『ねぇ聞こえる?』
「!?」
『聞こえてたら心の中で返事をして頂戴』
『あ、ああ聞こえてはいるが、これはどういう状況だ!?』
『私は今あなたの魂が入っている体の持ち主よ。生前、魔力が多すぎて魂が破裂して死んでしまったの』
『魂が? つまり今、俺は死んだはずのお前の体に入っているのか?』
『ええ、そうよ。肉体は健康そのものだから安心して頂戴。あっちであなたの元気そうな魂を見つけたからちょっと賭けに出たの』
『その賭けには……勝ったのか?』
『…………ええ。十分勝ちといってもいいでしょうね』
『そうか、ならいい。俺はこれからどうしたらいいんだ?』
『しばらくは私のいうことを聞いて動いてくれる? そうしたら変な誤解を招かないでしょうから』
『ああ、わかった。そうしよう』
この体の持ち主であったらしい少女とそんな会話をしていると、ベッドの側に縋り付いてくるものがあった。
「ああ、リナリーが目を開けているわッ!」
『この人は私のお母様よ。お母様……って呟いて』
「お、お母様……」
「ええ、そうよ! 私はあなたのお母様、リオーナよ! よくぞ、よくぞ戻って……」
「ほら、リオーナ。リナリーは今息を吹き返したばかりなんだから少し安静にさせないと……」
『あれはお父様よ。お父様、私は大丈夫です。戻って参りました』
「お父様、私は大丈夫です。戻って参りました」
「おお……もう二度と話せないと思っていたリナリーがお父様とッ!」
ベッドの側で夫婦らしい二人がおいおいと泣き始めた。
どうやらこのリナリーという少女は愛されていたようだな。
『おい、どうやったらお前にこの体を返せるんだ?』
『嫌になったの?』
『いや、そうじゃなくて……なんだか部外者の俺が嬉し泣きされていると思ったら申し訳ない気がしてきてな』
『私がもしあなたの魂と入れ替わったとしたらまた魂が破裂して死んでしまうわ』
『そういうものなのか』
『ええ。だからしばらくはこのままでいたいのだけれど』
『いつまでだ?』
『そうね……別れが来るまで、かしら』
リナリーはそういった。
それはリナリーの魂との別れか、俺の魂との別れか、それとも肉体との別れだろうか。
しかしなんだか詳しく聞く気にはなれず、俺は「そうか……」とだけ呟いた。
「それじゃリナリー、また来るからね」
思い思いの言葉をリナリーに掛けていった人達はそういうと部屋を出ていった。
残されたのは俺……というかリナリーの体と、それを診察する医師のみだった。
「しかし信じられませんな」
「何がだ?」
『何がですか? でしょ、馬鹿ッ!』
「おほん。何がですか?」
「いえね、あなたはもう死んでいたのですよ。それはもう間違いなく、ね」
医師はギラリと目を輝かせると更に続ける。
「あなたの身に宿る魔力はあなたの魂で耐えられるものではなかった。それなのに、今はその溢れんばかりのその魔力をしっかりと包み込んでいる……こんなこと……」
『そういえばさっきも思っていたんだが、魔力というのは何だ?』
『ええ!? あなた魔力を知らないの? どこの国の人よ……』
『どこの国もなにも俺の世界には魔力なんてものは存在しなかったぞ。呪いはあったが、眉唾ものの絵空事みたいなもんだった』
『そう。じゃあ冥府は色々な世界が繋がっているのかもしれないわね』
「……聞いておられますか? やはりどこか体調が!?」
「い、いや……問題ない。体調は大丈夫だ」
『はぁ……。大、丈、夫、で、す!』
「……体調は大丈夫です」
『おい、面倒くせぇな』
『我慢なさい。そのうち自然に出来るようになるでしょ』
『本当かねぇ』
そういって俺は頭をボリボリと掻いた。
『ちょっと、そのはしたない行動も謹んで頂戴! あなたは私なのよ!?』
『キーキー喚かないでくれ。頭やケツのひとつやふたつ好きな時に掻かせてくれや』
『頭はともかく……ケ、ケツなんで人前で掻いちゃ絶対にダメよッ!』
『んだよ、ケツを掻くの癖だったんだけどな』
『ダメよ。……はあ、合体相手を選び間違えたかしら……』
「それじゃ今のところ体調は大丈夫そうなんで、私は旦那様方とお話をしてから自宅へ一旦戻ります。何かあったらまたお呼び下さい」
そういって医師は部屋を出ていった。
「ほら、バレなかったじゃねえか」
『いや、物凄く怪しんでいたわよ!?』
「そうかねぇ……」
『ちょっと、口に出すのはやめてくれる? 誰が聞いてるか分からないのよ!?』
『へいへい、分かりましたよ。なかなか口うるさいお嬢さんだ』
「よっこらしょっと」
俺は自然とそんなことを口にして体を起こす。
それと同時にはらり、とめくれた毛布の下には痩せた体があった。
『腕……細いな。それに……足も。体……ガリガリじゃねぇか』
『……ッ! 仕方、ないじゃない。体から溢れる魔力でずっと魂が膨張していたんだもの。毎日食べては吐いて、繰り返していたわ』
『そうか……そいつはツラかったな』
『…………』
『とりあえず今のところ、健康そのものだぞ? 調子の悪そうな感じはない。むしろ腹が減っているな』
『じ、じゃあベッドの上の呼び鈴を鳴らして頂戴。メイドが来るわ』
俺は言われた通りにベルを鳴らすと、ややあってドアがノックされてメイドが姿を現した。
腹が減ったことを伝えると驚いたような表情を浮かべてから、「すぐにお持ちいたします」といって部屋を出ていった。