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絶望の幻影

 地下道を進みながらも、アトムの頭には先程のグリコの話──絵崎先生の妻が男と失踪した、という話がぐるぐると回っていた。想像するほど、やりきれない気持ちになってくる。


 グリコは立ち止まって振り返ると、アトムに手を伸ばした。


「アトムさん。ほら元気を出してください。わたくしにとっては終わった話です。あの時はショックでしたが、今はもう気にしていませんから」


 二人で手を繋ぎ、地下道を歩く。

 相変わらず光源はランタンのみであるが、アトムの心には当初ほどの不安感はない。手を繫ぐことも、当然のように受け入れていた。


 水のボトルを傾けながら話を続ける。


「アトムさん。タナトス・デバイスと聞いて、何のことだか分かりますか?」

「いや……初めて聞く単語だけど」

「そうですか。実は、これからの話に深く関わってくるんですが……TD、絶望装置という呼び方もあります」

「あぁ、それなら少し聞いたことが──」


 コピーロボットは普段、自分自身をロボットだと認識していない。その思考回路は生身と全く同じである。本体が死んでしまった時や、体の破損が酷く修復不可能な時にも「自分は破棄されるのだ」と受け入れることは難しい。


 そんな時に役立つのが、ロボットの体内に仕込まれたタナトス・デバイス、絶望装置だ。その名の通りコピーロボットを絶望させる仕組みである。人工頭脳に働きかけることで、生きるのを諦める──絶望し、死にたがるよう心理誘導する。


「……ですから本来なら、アトムさんは自らのご遺体を発見した際に、逃走する気力も起きないはずなのです」


 アトムもずっと違和感を覚えていたのだ。

 コピーロボットの体なのに、なぜこんなにも生に執着してしまうのか。いっそ絶望できていた方が楽だったのかもしれない。


「グリコさんは絶望していませんよね」

「はい。父の手によって、わたくしの体のタナトス・デバイスは無効化されています。そしておそらく、アトムさんの体も……父が」


 そう言われ記憶を掘り起こしても、オリエントテック社からの納品以降、誰かに身体を弄られた心当たりはない。この体で絵崎先生に会ったのも、昨日が初めてのはずだ。


 だが実際、アトムは絶望していない。

 何者かによって体を弄られているのは間違いなさそうである。




──絵崎グリコが死んだのは、母親の失踪から二年ほどが経過したある日のことだった。


 経緯は分からない。

 だが、仕事から帰ったグリコを待っていたのは、明らかに命の消えているグリコ本体。そして、その体を抱きしめて泣き叫ぶ父親の姿だった。


 グリコは自分の死体に絶望した。

 全ての欲求は消え失せ、世界は色褪せる。感情は石のように硬くなり、何もかもが億劫になった。


『……グリコ、今日はもう寝なさい。警察への連絡や各種手続きは私がやっておこう』


 泣きながらそう話す父の言葉に、何も考えず従った。



 翌朝。自分の体に目をやると、手足はロープでベッドに固定され、口には猿轡が噛ませてあった。


『これでは死ねませんね……』


 ぼんやりとそう思った。

 そしてそれからは、ただひたすら寝るだけの毎日を過ごした。


『お前だけだ……私には、お前しかいないんだ……必ず直すからな……』


 日に日にやつれていく父の顔を見ても、グリコの感情が動くことはなかった。



 一年ほどが過ぎた頃。

 グリコの前に現れたのは、一人の見知らぬお爺さんであった。ずいぶん歳なのだろう。髪は残っておらず、仙人のような白ヒゲがモジャモジャと口元を隠していた。


 お爺さんはベッド脇に膝をつくと、グリコの衣服をハサミで切って脱がせる。


『富士先生……お願いします』

『うむ。任せるのじゃ』


 富士先生、と呼ばれた老人は、神妙な顔つきでグリコの胸を揉んだ。

 何かを確かめるように、様々な角度から胸を眺める。そして、桃色の先端をクリクリと弄り回したり、弾力を確かめるようにプルンプルンと揉みしだいた。


 その間、グリコは無反応だ。


『せ、先生……その。それは何を』

『ふぉふぉふぉ、慌てるでない。検査じゃよ』

『何か分かりましたでしょうか』

『大事なことが分かったぞい』


 富士は絵崎の顔を真っ直ぐ見つめる。


『お椀型、Eカップ、色も弾力も良い。10点じゃ』

『──このエロ爺っ!!!』


 絵崎は持っていたバールのようなものを振り上げるが、富士は一瞬早く絵崎の体に触れる。


 バチっという音がして、絵崎は床に倒れた。

 富士はため息をつく。


『この程度のユーモアも許容できんほど、余裕を失ってしまったか……哀れな男よのう、絵崎』


 グリコは無感情でその様子を眺めていた。

 ただ冷静に「お父様、別に悪くないですわよね」とは考えていた。



 富士はグリコの腹の一部を開く。慣れた手付きで配線をかき分けると、あっという間に目的の装置を引っ張り出した。タナトス・デバイス、絶望装置だ。


『ワシの求める完璧なコピーロボットに、こんな装置は本来いらんのじゃがのぅ』


 気絶から目覚めた絵崎は、富士を少し睨みながら、グリコの元に近づく。


『ほれ、絵崎。お主、腐ってもワシの研究室にいた者じゃろうて。このクソッたれな装置をどうしたら取り外せるか、見解を述べてみよ』

『…………すみません、先生。私にはさっぱり』

『不勉強じゃのう。ガッカリじゃ』


 そう言うと、富士はニッパーを取り出し、絵崎に渡す。


『良いか。今から言う順に配線を切るのじゃ』

『わ、私がですかっ!?』

『お主の娘じゃろう。しっかりせい』


 そう言って、富士は指示を出す。


『2番と3番の配線を、切らずに外せ。で、15番に繋がる配線うちの赤だけを切って絶縁、23番の黒もじゃ。24番は全部切れ。手際が悪いのう……うむ。最後に2番と3番を戻せ。ほれ、簡単じゃろう。簡単に外せるように作っておいたのじゃからな』


 絵崎は大汗をかきながら、装置を再び腹の中に戻す。腹を閉じると、グリコの手足を固定していた鎖を解き、猿轡を外した。


 変化は少しずつだった。

 これまで静かな湖面のようだったグリコの内面に、さざ波が立ち始める。ぼやけていた意識が、徐々にクリアになっていく。


 しばらくして、自分が衣服を何も纏っていないことに気がつくと、グリコは布団を手繰り寄せて体を隠した。


『グリコ……グリコ、気づいたのか』

『お……父様……』

『ふぉふぉふぉ、お嬢ちゃん。ずっと見ておったんじゃろう。何かわしに言うことがあるんじゃないかね』


 その言葉に、グリコの思考は働き始める。

 様々な感情が渦を巻き始めた。


 助けていただいた感謝。それに、わざわざ父の手で作業をさせたのは、負い目を感じさせないためだろうか。ずいぶんとコピーロボットに詳しそうだったが、富士の正体は一体……。


 そして、何より。


『あ、あの、せ……』

『せ?』

『せ……せ……』

『ふぉふぉふぉ、言ってごらん』


 ニコニコしている富士。

 グリコはすーはーと深く息を吸い、意思を固める。


『せ……セクハラはおしおきです!!!』


 ガッチリ固めたグーの拳が、富士の顔面を真正面から捉えた。




「……と、いうことがありまして」

「なるほど」


 コピーロボットに詳しい、富士という老人。そして、絶望装置を無効化し、普通の生活を取り戻したグリコ。それからずっと、絵崎先生はグリコと二人暮らしを続けていたようだ。


「20年近くも動いておりますと、わたくしも体のあちこちにガタがきておりますの。ですので、分解して交換パーツにするために父がアトムさんを呼び寄せたのだ……と、誤解しておりました」

「えー……そっか」

「もうすぐ合流地点に到着しますわ」


 グリコの指差す先には、古い駅のホームがあった。

 ぼんやりと明かりが灯されていて、ずっと暗闇を歩いてきたアトムにとっては、なんだかホッとする場所に感じられる。


 あと数分も歩けば到着するだろう。


「そういえば、グリコさん。合流と言っても、絵崎先生はここに来るのかな。さっき、先生はあまり目を覚まさないようなことを言ってたけど……」

「あら、その説明がまだでしたわね」


 そう言うと、グリコは胸元からペンダントを取り出す。その表面に描かれた紋章は、たまにテレビでも見かけることがあり──。


「合流するのは、秘密結社ファントムのお友達です。ロボットがロボットとして生きる権利を得られるよう、国に働きかけている団体ですわ。父も幹部をしておりますの。ご存知ですか?」


 ご存知どころではない。

 ファントムと言えば、ロボットの権利を訴える団体の中でも特に過激な団体として知らぬ者のいない名である。公共機関に爆発物を仕掛けたり、有名政治家の生身の体を人質に取って権利を訴えることもある。


 アトムの驚愕に気づかないのか、グリコはご機嫌でペンダントを撫でる。その紋章は、紛うことなきテロリストの証であった。

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