あの時の言葉
窓から聞こえる小鳥の鳴き声。
早朝の空気を深く吸いながら、アトムは焦る心を落ち着けようとしていた。
拘束を抜けるために夜通しいろいろと試したのだが、そう簡単に逃がしてくれるわけもない。
『──どうしても一人で乗り切れない、大きな問題に直面したら。その時は、遠慮なく私に相談しなさい。私はいつだって、最後の最後まで君の味方だ』
かつての絵崎先生の言葉を思い出す。
あの言葉があったからこそ、アトムは今回の件で絵崎先生を頼った。しかし、その先に待っていたのは、まるで周到に準備していたかのようなアトムの監禁。
「先生の狙いはなんだ……俺の殺害に、先生が何か関わってるのか」
そう思いたくはないが、疑わしいのは確かだ。
千切れない鎖をジャラジャラと引っ張りながら、アトムは家出をした日のことを思い出す。
記憶の中の山崎アトムは、自身のコピーロボットと手をつないで山道を走っていた。
「このあと、どうするか」
「はぁ、はぁ……行き先、考えてなかったな」
「我ながら計画性の欠片もないな」
あんな親の元に帰るくらいなら、どこかで野垂れ死んだほうがマシだ。そんな気持ちで、二人の山崎アトムは走る。
科学技術の進歩に反比例するように、人類の数は減る一方だった。
世界的な少子化を加速させた原因の一端は、間違いなくコピーロボットの存在だろう。ロボット同士の性行為は、生身よりも満足度が高い一方、全くもって非生産的である。
旧世代の寂れた山道には、廃墟が立ち並んでいる。
人類がその数を減らし、不要な建物が増えたとしても、解体費用をかけてまで更地に戻す者は少ない。こういった廃墟は、世界の至るところに存在していた。
「はぁ、はぁ……この辺の建物で、休めないかな」
「危険だな。床が抜けない保証はない」
「だ、だよな……はぁはぁ……危険すぎるか」
「だな。水、飲むか?」
二人は立ち止まり、廃墟の門に背を預ける。
コピーロボットも、記憶同期の都合上、疲労を感じるようにできている。ただ、家に籠もりっぱなしの生身の体力は、ロボットに比べるべくもなく貧弱だった。
「はぁ、はぁ……悪い、もう、限界」
「分かった。俺の背に乗れ」
「いいのか?」
「適材適所だよ。俺にとっても、お前が死んだら洒落にならないだろ」
コピーの背に揺られて進む。
すいぶんと小さな背中だった。
同級生たちは、中学に上がるあたりで新しいコピーロボットに乗り換えている。だと言うのに、アトムのコピーロボットは、中二になっても小学六年生のときのまま。
そのせいで陰口を叩かれ続けることに、いい加減嫌気がさしていた。
父親も母親も相変わらずだ。
『陰口を叩かれるだと? それをコピーロボットのせいにするな。お前が舐められるような態度をとっているからだろう。そんな奴ら無視すればいい。強くなれ。アトム、お前のために言ってるんだ』
『やっぱり私立のほうが良かったかしら。貴方のまわり、チャラチャラした子ばかりじゃない。今はとにかく勉強よ。陰口? 貴方とは住む世界が違う子たちよ、放っておきなさい。貴方の将来のためなのよ』
父親も母親も、話にならない。
両親の子供時代にはそもそもコピーロボットは大人が持つものだった、などと言うが、その言葉にどれだけの意味があるのだろうか。
「親の心、子知らず、か……」
「酷ぇ言葉だよな。子供のためを思っていれば、親がどんな行動をしても許せって意味だろ」
「愛情の裏返し、みたい言葉も最低だよな」
「なんでわざわざ裏返すかね」
「だいたい、選民意識が酷すぎんだよ、あいつら。ただの公務員のクセに」
「住む世界が違うとか、何様だって。あいつらだけ、剣と魔法の世界にでも住んでんじゃねーの」
自分と自分で愚痴り合っていても、思考は一方向に加速していくだけだ。少なくともこの場では、際限のない親への不満がただ渦を巻いていた。
それは、突然のことだった。
白い光とともに、地面が爆ぜる。
何の抵抗もできぬまま、アトムの意識が飛ぶ。
──次にアトムが目覚ましたのは、病院のベッドの上であった。
警察の話では、あのあたりの廃墟をテロリストが根城にしていたらしい。爆発の原因はおそらく、拠点防衛のために設置された旧式の地雷だ。警察の推測によれば、アトムのコピーロボットがその地雷を踏み抜いたのだという。
直に爆発に巻き込まれたアトムのコピーは、片腕しか残らなかった。一方、アトム本体は大怪我こそ負ったものの、一ヶ月後には後遺症なしで退院することができた。
しばらくは警察の警護もついたが、その後テロリストに命を狙われるようなこともなく、やかて普通の生活へと戻っていくことになる。
その後、両親は何も言わなくても一年おきに新しいコピーロボットを買ってくれるようになった。だからと言って、和解をしたわけでもない。アトムと両親の関係は良好とは言い難かった。
学校でも特に目立つようなことはなく、日々は静かに過ぎていった。
「そうだ、あの後だったよな。絵崎先生が俺に良くしてくれるようになったのは」
絵崎先生は頻繁にアトムのもとを訪れた。
子供じみた愚痴もよく聞いてくれて、勇気づけてくれ、様々な言葉をくれた。
『なぁ、アトム。親と子も、人と人だ。絶対的な関係などないし、反りの合わない者と無理に仲良くする必要はないよ。ただな、相手も欠点のあるただの人間なのだ、ということは覚えておきなさい』
『親に勝手な期待をされるのも、親に変な期待をしてしまうのも、お前にとっては苦しいよな。人と人は、いつだってそうだ。乗り越えるのは、なかなか難しいことだよ。私だって、いまだに悩んでいる』
『どうしても一人で乗り切れない、大きな問題に直面したら。その時は、遠慮なく私に相談しなさい。私はいつだって、最後の最後まで君の味方だ』
先生の優しい言葉。
その裏に隠された真実は、まだ何もわからない。
ただ、その絵崎先生に監禁されている現状を考えると、アトムにはこれまで信じてきた全てを疑う覚悟が必要なのかもしれなかった。
日もすっかり昇った頃。
ガチャリ。
部屋の扉が開かれ、入ってきたのは絵崎グリコであった。
髪は乱れ、少し慌てた様子で、昨日までの余裕は一切感じられない。
「事情が変わりましたわ。これからあなたは、わたくしと一緒に逃げることになります。手錠を外した後、文字盤を壊す必要がありますので、そのまま座っていて下さい」
そう言って、アトムを拘束していた手錠を外す。
即座に左手首をとり、文字盤にドライバーを差し込んで分解していった。
アトムは突然のことにあっけにとられていた。
「な、何をしてるんですか」
「ニュースになったのです。あなたのご遺体が見つかった、と。ごめんなさい。そんなことになってるなんて、知らなかったのです……状況を完全に誤認していましたわ」
そう話しながら、あっという間に文字盤を外す。そして、流れるような動作で、取り出した小さなチップを握りつぶした。
死体が見つかった……?
それにしても、行動の意味が全くわからない。
「文字盤には位置情報の発信ユニットが仕込まれていますでしょう。警察には居場所がバレていると思った方が良いかと……。わたくしと一緒に逃げましょう」
そう言って、彼女はアトムの手を取り立ち上がった。