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心に決めた人

 アトムの両親は、正しいことの好きな人間だった。そして、アトムのことを心から大切にしていたのだと思う。


 アトムが口にする野菜などは、全て無農薬でなければならない。習いごとは、語学、芸術、運動と満遍なく経験させる。流行りのVRゲームなどは脳に悪影響があるという研究があるらしく、アトムに与えられるのは古めかしいTVゲームや携帯ゲーム機などだ。


 みんなと同じゲームがしたい、などとアトムが言えば、決まって父親は不機嫌になった。


『不要だ。我々の子供の頃には、そんなものなかった。それより、この前のテストの結果だが──』


 記憶の中の父は、いつだって眉間に皺を寄せていた。だから、子供の頃のアトムはすべての反論を飲み込むしかなかった。


 だいたい、親が子供の頃に存在しなかったものが本当に全て害悪だと言うのなら、遡ればジャングルで過ごす以外に正解はないだろう。

 などと生意気に口答えする度胸も、気力も、はなから削がれているのだからどうしようもない。


 母親にしても、似たようなものだ。


『付き合う友達は選びなさい』

『でも、ジョーはいいやつで……』

『あの家は言葉遣いが良くないわ。影響されて変な言葉を使うようになる前に、付き合いをやめなさい。アトム、全てあなたのためなのよ』


 アトムのため。

 その言葉があれば、アトムの意思は無視しても、全てが許される。そんな風に母は信じていたらしい。


──だから、中学二年生のあの日、アトムは初めて家出をしたのだ。




 目が覚めたとき、アトムは薄暗い部屋の中にいた。小さな窓から射し込む月明かり以外に、照明の類は存在していない。


 起き上がろうと身をよじるが……。


「手錠……鎖付きか。厄介だな」


 ジャラリ、と鉄の擦れる音がなる。

 手は後ろに回されたまま、壁のパイプと鎖で繋がれているらしい。


 アトムはやっとの思いで上半身を起こし、壁に寄りかかった。


 それにしても、懐かしい夢を見たものだ。初めて親に反抗した日。あの「事件」もあって親との関係は微妙になってしまったけれど。

 アトムの愚痴を根気強く聞いてくれたのは、他でもない絵崎先生だ。あの頃に先生からもらった言葉の数々が、今のアトムを作っていると言ってもいい。


 その先生から、まさかこんな風に監禁されるとは思いもしなかったが。


「……先生、どうしたんだろう」


 アトムは小さく息を吐き、気を失う直前のことを思い出した。


 先生は狂ったように笑いながら、アトムの肩を掴んだ。そして、バチッという音がして、アトムの意識は途切れた。おそらくコピーロボット向けのスタンガンか何かだろう。


 警察が使うようなものを、なぜ先生が持っているのか。それに、なぜアトムを拘束したのか。


「早く逃げなきゃならないのにな」


 ぐぅ、と腹がなる。

 ロボットの動作エネルギーにはまだ余裕があるが、今後のことが分からない以上、節約するに越したことはない。


 座ったまま静かに目を閉じた。



 アトムは先程の続きを思い出す。

 家出をした具体的なきっかけは、そうだ、コピーロボットだったっけ。


 子供がコピーロボットを所有できる最少年齢は6歳だ。日本の法律がそうなっているし、技術的にもそれより若い年齢では記憶同期にエラーが生じるらしい。


 人の記憶とは、映像ではない。

 光や色、音、匂い、感触、その時の体感覚や感情まで、全て紐付いた形で保存される。そして、そこから抽出された意味記憶にしても、人それぞれ保存形式が全く異なるのだ。他人と記憶を共有することは事実上不可能である。


 5歳頃まではその記憶形式が不安定で、コピーロボットを作っても記憶同期エラーが頻発するらしい。だから、多くの子は記憶形式の安定した頃──小学校入学と同時にコピーロボットを買い与えられる。


「小学生のときは、まぁ良かったんだけどなぁ」


 大人になれば別だが、子供時代のコピーロボットは通常、成長に合わせて1〜2年ごとに買い換えることになる。しかし、身長が伸び悩んでいたアトムは、中学校にあがっても小学生の頃のロボットを使い続けていたのだ。


 もちろん、両親には訴えたのだが。


『不要だろう。体格もそれほど成長していない。学生の本分は勉強だ。不都合はない』

『最近はモテるために整形紛いのロボットを作る子も多いみたいじゃない。アトムにはまだ早いわ。今は真面目に勉強していればいいの』


 アトムの将来のため、という名目で、アトムの意思は無視される。全く、いつもの通りだった。


 だから、同級生に嘲笑われても、イジメとまではいかないような微妙な悪意を向けられても、アトムはそれを耐えるほかにできることはなかった。




 ガチャリ。

 部屋の扉が開く音がする。


 アトムは顔を上げ、人影の方を見た。


「絵崎先生……?」

「いえ、娘のグリコですわ」


 静かな部屋に、鈴のようによく響く声。

 窓から射し込む月明かりが、ゆっくりと近づいてくる絵崎グリコの横顔を照らした。


──綺麗だ。


 拘束されているアトムは、ほんの一瞬だが、彼女に見とれてしまっていた。


「ねぇ、アトムさん」


 グリコはアトムのすぐそばで膝つく。

 そして、アトムの両頬に手を当てた。


 彼女の体からは、甘い香りがふわりと漂っている。香水の類はあまり好まないはずのアトムも、不思議とこの香りは彼女に似合っているように感じた。


 そして。


「……ごめんなさいね」


 そう言って、彼女はアトムの唇を奪う。

 突然のことだった。


 柔らかい感触。

 名残惜しそうに離れては、我慢できないといった様子で再び重ねられる。それが何度も繰り返されるうちに、アトムの頭はくらくらとして、何も考えられなくなっていく。


「グ、グリコさん……」

「ふふ。アトムさん、顔が赤いですよ」


 そんなことがしばらく続いた後。

 口づけに満足したのか。グリコはおもむろに立ち上がると、衣服をするすると脱いでいく。



……芸術品のような裸体だった。


 青白い月光に照らされた、透き通った肌。

 大きな胸にツンと立った先端。

 アトムのことを熱っぽく見つめる目。


 それを見ながら、アトムの頭の熱がすぅっと下がっていく。


「あぁ、アトムさん……」

「何が狙いですか」

「……え」


 それまで妖艶な笑みを浮かべていたグリコは、戸惑ったように視線をそらした。


「いや、さ。どう考えてもおかしいですよね。気絶させて、鎖で拘束したかと思えば、いきなりこんな……。グリコさん、あなたの狙いはいったい……」


 冷静に話すアトム。

 グリコはただ静かに、困ったように首を傾げた。


「どういうことなのか、教えて下さ──」

「えいっ」


 アトムの頭を、胸の谷間に抱え込む。

 モガモガと苦しそうな呼吸音が部屋に響いた。


 グリコは少し思案する素振りを見せてから、ゆっくりと話し始める。


「ふふ、それほど大きな意味はありませんわ。あなたは明日、細かい部品に分解されます。あなたという存在は消えてなくなるのですが……その前に。人生で一度も女性との交わりを経験しないのも、哀れかと思いまして」


 そう言って、グリコは体を離す。

 解放されたアトムは、ゴホゴホと咳き込みながら、グリコの顔をギラリと睨んだ。


「大丈夫、全てわたくしにお任せください」


 グリコはアトムのジーンズに手をかける。

 しかし、アトムは足を畳んで脱がされることを拒否した。


「え?」

「……こんな初体験、お断りだ」


 二人の視線が交差する。

 アトムは、感情のこもらない目でグリコを見た。


「心に決めた恋人がいる。綺麗なお姉さんとの初めてってのも心惹かれるけどさ……悪いけど、初体験の相手はもう、彼女に決めてるんだ」

「………………そうですか」


 ふぅ。

 彼女は小さくため息をつくと、床に落ちていた衣服を拾いはじめた。


「興が削がれましたわ。失礼な人ですね」

「……な、なんかごめんなさい」

「謝らないでください。余計に惨めですから」


 そう言うと、彼女は服を身につけていく。

 一方のアトムは、少しだけ罪悪感を抱きながらも考え続けた。


 どうにか明日までに逃げなければならない。

 今の彼にとって、この体の破壊とは、山崎アトムの完全な死を意味しているのだから。

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