腐った楽園
「一体お前たちは何をやっておる。山崎アトムはまだ捕まらんのか」
警視庁副総監の伊東園オチヤは、自他ともに認めるエリート中のエリートだ。
警察一家・伊東園家の長男として生まれ、幼い頃からその人柄は公明正大。機械のように冷たいと称されることもあるが、叩いてもホコリどころか塵ひとつ出ないクリーンな男である。
仕事に私情は挟まない。そう言って、めったに感情を見せない伊東園だったが、今は珍しく声を荒げていた。
森永兄妹の家は、数日前から捜査員に見張らせていた。報告では、森永ベイク以外に人の出入りはない。現在は森永ベイク・ココアと、そして山崎アトムが家の中に隠れている──そんな想定だったのだ。
思いのほか強固に守られていた森永家。その壁をついに突破した警察が見つけたのは、がらんとした無人の家だった。
「甘いことを。あの森永マリーの孫だぞ。一筋縄で捕まるはずがあるか!」
部下の立体映像は、ペコペコと頭を下げながら言い訳を繰り返す。その様子に、伊東園は深く呼吸をして精神を落ち着けながら、眉間をトントンと叩き思考する。
「それで……どんな対策を取っておる」
『はっ。付近の大通りを封鎖、各所で検問を行っております。また、海上での不審船の見張りも実施。その他、適当な捜査員にはファントムの者どもをつけ、広範囲を警戒させておりますが……今のところ有用な報告は上がってきておりません』
「ふん……」
伊東園は紙に出力した報告書をペラペラと捲る。今どき無駄に紙を使用するのは、資源の無駄だと叱責されることが多い。ただ、古い人間である伊東園は、空間に投影した書類を読むのがどうにも苦手だった。
報告書の一部を見て、伊東園は小さくため息をついた。
「不審船を1艘、見逃しているようだが」
『はっ。それは現場の捜査員の見間違いだったようです。複数で取り囲みましたが、その場には沈みかけの小舟が浮かんでいただけで、他に船影はなかったと』
「……刑事部長、お前という奴は……よほどその地位を失いたいようだな」
抑え込んでいた感情が爆発的に膨らみ、伊東園の顔は破裂しそうなほど真っ赤になる。そして、腹の底から響く大きな声で部下を叱責した。
「馬鹿もーん! そいつがアトムだっ!!」
感情のままに部下との通信を切る。
どいつもこいつも、使えぬ者ばかりだ。
伊東園が若い頃、森永マリーには何度も煮え湯を飲まされた。皆が見惚れる美しい容姿、Web百科事典にも劣らぬ幅広い知識、誰も見たことのない最新機器。そして何より、それらを十全に操る鋭い思考力でもって、警察がもたもたしている間に真実にたどり着くのだ。
警察は彼女に貸しばかり作っていた。
「……貴女は、死んだあとも私を苦しめる」
デスクの中からこっそりと取り出した写真。
それは、無愛想な顔をする若い伊東園と、ニコニコ笑って彼の肩を揉む森永マリーの姿だった。擦り切れてしまった今からでは、もう戻れない遠い記憶。
写真の中の美しい顔をそっと撫で、彼はそれを机に仕舞う。
「仕事に私情は挟まない。貴女には悪いが……森永ベイクはここまでだ」
俯いてそう呟いた彼は、卓上の文字盤をタップする。
空間に浮かび上がった人影は、一人の老人のものだ。禿げ上がった頭に、白く長いアゴ髭。ニヤニヤと笑みを浮かべながらも、鋭い目で射抜くようにこちらを覗く。
『やぁ、我が同志の伊東園くんじゃないか。どうじゃ、山崎アトムは手に入りそうかのぅ。見たところ苦戦しておるようじゃが』
「申し訳ございません……富士博士」
『ふぉふぉふぉ、まぁ頑張ることじゃ。君の優秀さが証明されれば、そのまま【楽園】に入れてやることも考えておるからのぅ』
楽園とは、政府の保有する特別な施設だ。
そこに入った者は、決して死ぬことがない。呼吸が止まり肉が腐っても、焼却されて骨だけになっても、便宜上「生きている」ものとして扱われる特別区画だった。
当然、その者のコピーロボットも処分されることはなくなる。永遠の生を手に入れるのと同義である。
伊東園は虚しさに襲われていた。
虚飾に塗れた政治家や、人を人とも思わぬ自称エリート達。偽りの永遠を手に入れた醜い者どもによって、今この国は動かされている。そして、自分もまたその一部になろうとしている。
『それで、何か掴んだことは?』
「はい、富士博士。山崎アトムが乗っていたと思われる不審船の情報をお送りします。こちらでも分析し、彼らの目的地の特定を急ぎます」
内心の吐き気をぐっと飲み込み、伊東園は冷徹な仮面を被る。
森永ベイクの話に、古田チョコの手は震えていた。
背後にいる警察の捜査員、ファントムの構成員にも動揺が見られ、付近の者と小声で何やら話を始めた。
「森永ベイク。よくできた作り話だが、そんなもの……楽園などというふざけた物が、認められるはずないだろう」
そう言いながらも、古田は顔を歪める。
ベイクはクスクスと肩を揺らした。
「本当に素直な人だ。顔に出てますよ、心当たりがあるんでしょう」
「黙れ。警察官とは正義を愛し、人々の平和を守る職だ。皆そのために命をかけている。侮辱することは許さん」
「……って言うしかないよな。貴女の立場では」
古田は一歩踏み出してくる。
ベイクはポケットから手榴弾を取り出し、アトムの首筋に当てて古田の足を止めた。
「警察は、楽園の指示によって山崎アトム本体を殺した。そして今度は山崎アトムのコピーロボットを得ようとしている」
「……何を証拠に」
「楽園にとって、山崎アトムは実験動物のような存在らしいな。おめおめと渡してアトムを苦しめるくらいなら、この場で壊してやるのが、義兄としての最後の優しさだ」
そう言って、ベイクはアトムの体を引っ張りながら、一歩ずつ移動していく。そして、警察やファントムから一定の距離をとったところで、大きく息を吐いた。
「ふぅ。どうにか目的は果たせたようだ」
「どういうことだ、森永ベイク」
「囲まれたときは焦ったぜ」
──次の瞬間。
色とりどりの忍者の集団が、アトムたちを守るように現れた。その中には、いつか助けてくれた青影の姿もある。
「彼らが来るまでの足止めに付き合ってくれてありがとよ、古田刑事」
そういうと森永ベイクはニッと口角を上げた。





