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平穏の終わり

 まだ薄暗い早朝。

 リビングで目を覚ましたアトムは、隣で眠るココアのはだけた胸元をしばらく凝視したあと、彼女の体に布団をかけて起き上がった。どうにも目が冴えてしまったらしい。


 キッチンでコーヒーを淹れる。ココアに教えてもらった基本を忠実に守れば、アトムであってもそこそこの美味しさで淹れる事ができるようになっていた。


 ダイニングテーブルでしばらく呆けていると、玄関から誰かが入ってくる音がする。


「おう、アトム。起きてたのか」

「ベイクさん。こんな朝から何を?」

「あぁ、ちょっと鍛錬をな」


 そう言うと、空手の構えのようなものをとる。

 かなり強いのだろう。ロボットの修復、船舶の運転、格闘技。ずいぶんと多芸な名探偵だ、とアトムは改めて思う。


「まぁ、何ごとも広く浅くだな」

「空手については浅く見えないですよ」


 アトムの言葉に、一瞬キョトンとしたベイクが笑いだした。


「俺のKARATEはただの通信教育だぞ」

「へ?」

「ほら、VR通信教育のWE-CANだ。まぁ、通信教育で黒帯取るまでやり込む奴は、そうそういないかもしれんがな」


 黒帯はやっぱり浅くないんじゃ、とアトムが思っていると、ベイクはリビングの棚から何かを取り出してくる。


 それは、ロボット用のVRヘルメットだった。刺さっているソフトは、老舗の通信教育会社のものだ。


「暇だったら、ちょっとやってみるといい」

「そうですね。何もしないよりマシかな」

「世の中、いつ何が役に立つか分からんからな」


 VRヘルメットを身につければ、仮想空間に感覚を没入することが可能だ。格闘技の練習はもちろん、習い事をVRで行うことはそう珍しいことではない。


「でも、VRがあるのに、どうしてベイクさんは庭で鍛錬をしてたんですか? ロボットの体で鍛錬をしても、パーツをすり減らすだけだって聞いたことがありますけど」

「あぁ、そりゃ簡単な理由だ」


 ベイクはアトムの前に歩いてくると、腕を折り曲げて筋肉にグッと力を入れた。固くなった力こぶをペチペチ叩く。


「今の俺は、生身で活動してんだ」

「えっ!?」

「事情があってな。コピーロボットは別の目的で動いてもらってるから、俺は自分で調査に出てるわけだ。まーよくあることさ。けっこう楽しいんだぜ?」


 ベイクはそう言って笑うが、アトムたちの世代感覚では恐ろしいことだ。旧時代であれば皆生身で出歩いていたのだろうが、取り返しのつかない事故なども多かったと聞いている。


「俺にもコーヒーをもらえるか」

「あ、はい」


 テーブルについたベイクのもとへ、淹れたばかりのコーヒーを持っていく。一口飲んで、腕を上げたな、と呟いた彼の言葉が少し嬉しい。


 アトムは少し気が緩んだ。だから気がついた時には、胸のうちにある澱んだものが、口からするりと漏れ出てしまっていた。


「生身……俺はもう生身の肉体がないので、少し羨ましいですね。言ってみれば……死んだ人間ですから。本当にココアと将来を約束していいのか、悩むこともあります」


 アトムが漏らした言葉に、ベイクが固まる。少し悩む仕草をしたあとで、ふぅと息を吐き、アトムに語りかけた。


「なぁアトム。世の中には『人間至上主義』って極端な奴らがいたりする。コピーロボットの存在そのものに反対している奴らだ。生身で見たもの、聞いたもの、食べたもの……それだけが真実。ロボットを挟んだ時点で、それは全て虚構だとな」

「それは……」

「物理的に見りゃあ、確かにな。この頃の人間は、みんなで家に引きこもって、機械のおもちゃを世に放ってるだけ。本当の人生を生きてる奴なんて、一握りしかいねぇ。なんて言ってる奴らが、まぁ存在してるわけだ」


 そう言うと、ベイクはコーヒーをグッと飲み干す。

 その主張は理解できないでもないが、だからといってコピーロボットを手放すことのできる者は少数だろう。


「逆にいろんな事情で……コピーロボットでなければ、望んだ人生を生きられない奴らがいる。重い病気の奴。生まれつき体に不自由がある奴。アレルギーや体質で行動に制限がかかる奴。まぁ、生まれ持ったモンは自分じゃどうしようもねぇからな」


 ベイクは何かを思い出すように宙を見る。

 アトムの友人にも、生身の体が感染症に弱く、一生を病院で過ごさなければならないという者がいた。そんな話は、きっと世の中にたくさん転がっているんだろう。


「俺は思うんだ。本当はどっちでもいい。生身でもロボットでも、本体がいようがいまいが関係ない。大事なのは、心で考えること。自分の心がどう感じるかだ」


 そう言って、握りこぶしでアトムの胸を叩く。


「俺の心はな、アトム。お前を死人だと思っちゃいねぇ。妹を預けるに値する、生きてる男だ。胸を張っとけ」


 ベイクの言葉は、どこかストンとアトムの腹に落ちた。心で考える。少しだけ肩の力が抜けたような気がして、アトムはベイクに小さくお礼を言った。




 ニュースが流れたのは、その日の夕刻だった。

 ベイク、ココアと三人で夕食を取っていたアトムは、空間に投影された映像に釘付けになった。


『先日殺害された山崎アトムさんですが、警察はこれを山崎アトムさんのコピーロボットの犯行であると特定。またその背後には、反社会組織スペクターが絡んでいると発表しました。本件に関係しているとされるスペクターの幹部、構成員あわせて34名の身柄を拘束し──』


 ニュースキャスターの言葉に固まっているアトムだったが、ベイクやココアは何ごともなかったかのように食事を続けていた。


「アトムくん。落ち着いてご飯……って無理か」

「うん、ちょっとこれは」

「そうだよね。この前も話したけど、警察は前からもうこのストーリーで決着をつけようとしてたんだよ。このニュース自体に、驚くものは何もない。強いて言うなら、実行犯を単に『コピーロボット』としか言ってないから、これだと今のアトムくんが犯人って風に聞こえるよね」


 アトムとしては、落ち着いていられる要素が皆無だと思うのだか、二人は平然としている。そして、ササッと食事を済ませると、手早く片付けを始めた。

 ココアが食器を洗う間、ベイクはコーヒーを飲みながらアトムの隣に座る。


「アトム。少しいいか」

「ベイクさん……?」

「本当はもう少し、平穏な日々を過ごさせてやりたかった。だが、おそらくここまでだ」


 そう言うと、俺の両手をガシリと掴み、目を合わせる。


「これからお前が()()を知って、俺への信頼を失うかもしれない。誰の何も信じられなくなるかもしれないし、ココアへの愛情すら失うかもしれない。だが……」


 アトムはゴクリとつばを飲み込んだ。

 ベイクは何を言おうとしているのだろう。


「だが、何があっても、警察は信用するな」

「それはまぁ、今捕まればテロリスト扱いで」

「……そうではないんだ。聞いてくれ」


 そして、ゆっくりとこう告げた。


「山崎アトムを殺害したのは、警察だ」

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