恋人は名探偵
眠ったままの絵崎グリコと共に、屋根裏に身を隠す。
床板の隙間からはリビングも見下ろせるため、ここなら警察との会話も聞いていられるらしい。
「じゃあ、私はいろいろ準備してくるから。アトムくんは音を立てないように気をつけてね」
そう言って、ココアはリビングへ降りていく。
湯を沸かし、コーヒー豆の缶を取り出した。
そこへ、兄ベイクが帰宅する。
後ろにいる女性が、胸ポケットから警察手帳を取り出した。
「警視庁の古田チョコだ。はじめまして。山崎アトムの件で、彼と交際していたあなたに、捜査の協力をお願いしたいのだ。時間は取らせない」
そう言うと、硬い表情で直立する古田刑事。
真面目一辺倒という雰囲気の彼女に、ココアは小さく微笑んで着席を促す。
「座ってください。今、コーヒーをいれます」
「手間はとらせない。この場で話だけでも──」
「傷心中の私に、気遣う言葉もなくズケズケと要件だけ告げるのですか? 祖母の頃から、警察もずいぶん変わってしまったものです。古田さん、でしたよね。あなたの上司……誰でしたっけ」
動揺したように頭を下げる古田刑事。
祖母というのは、そんなに影響力のある人だったのだろうか。
「ココア、そういじめるものではないよ」
「むぅ、分かったよ、お兄ちゃん。古田さん、失礼しました。できれば、コーヒーの1杯くらいは付き合ってくれると、私も話しやすいのですが」
「そ、それでは……そのように」
ココアがキッチンでコーヒー豆をひき始め、ベイクはソファに腰を下ろす。古田刑事もまた、促されるままベイクの向かいに腰掛けた。
「参ったな……さすがは名探偵・森永兄妹だ。口では敵う気がせんよ」
め、名探偵!?
アトムは動揺して、変な声を出しそうになってしまった。
思い返せば、アトムの話を聞いていた時のココアは、やたら鋭かった。目の前の事実を、これまで気づいていなかった視点で見つめ、その先の真実を見通そうとするような……。
「だが、犯人検挙は警察の仕事だ。君たちの実績を知らないわけではないが、ここはプロとして、素人を巻き込むわけにはいかない」
古田刑事の言葉に、ベイクは微笑みを浮かべる。彼はマッチョで強面だが、人当たりは良いのだ。
良く通る優しい声で、古田に告げる。
「貴女は一本筋の通った良い刑事さんだ」
「…………ふん」
「だが、この件だけは放っておけない。俺たちは独自に動くつもりだ。警察の情報をこちらにも流してくれるなら、これまでつけていた『貸し』を、全てチャラにしても構わない。俺たちはそこまでの覚悟で臨んでいる」
「なっ!?」
刑事の驚愕の顔。
どんな実績があるのかは知らないが、警察相手に何か『貸し』まであるのか……。
ベイクはニヤリと笑い、足を組む。
「おたくの上に伝えておいてくれ。妹の恋人を殺した犯人は、この俺たちが必ず見つけ出す……ばあさんの名にかけてな」
そう言い放つ顔は、自信に満ちていた。
アトムは、まさか自分の恋人が名探偵だとは思わなかったため、ただただ驚愕していたのだった。
古田刑事は真面目そうな人物で、その場で捜査情報を漏らすようなことはなかった。少なくともアトムからはそう見えたのだが、ベイクやココアとしては違う感想を持ったらしい。
三人で夕食をとりながら、あれこれと話をする。
「いろいろ筒抜けだったな」
「古田さん、分かりやすい人だったね」
ベイクやココアは、ちょっとした受け答えのニュアンスから、警察がどこまで情報を掴んているのか、何に行き詰まっていて、どんな情報が欲しいのかの推測を立てていた。
探偵小説のようだ。
アトムには全く理解できない世界だった。
「ごめん、ついて行けてないんだけど」
「あ、ごめんねアトムくん。つまり、警察はほとんど何も情報を掴めてないんだよ。現時点では、ファントムが街中でドンパチしてたことすら、アトムくんの件とは無関係だと思ってる」
「へぇ、そうなんだ」
アトムは頷くことしかできない。
何がどうなってそう判断したのか聞いてみたくはあるが、ベイクとココアの考察合戦がいまだに続いており、アトムは入り込めないでいた。
二人を放っておき、味噌汁を啜る。
貝や岩のりの香りが鼻を抜け、絶妙な旨味が舌で踊った。
「ねぇ、アトムくん。どう思う?」
「ん? 旨いよ。ココアは料理が上手いよな。いい奥さんになると思うよ」
ブフォっと味噌汁を吹いたのはベイクだ。
ゴホゴホと咳き込む彼の背をトントンと叩くココアは、真っ赤な顔をしてアトムを睨んだ。
「も、もう! 事件について意見を聞いたの!」
「あ、そ、そっか」
「もぉ……う、嬉しいけどさぁ」
モジモジしながらアトムの椀を奪ったココアは、なみなみとお代わりを注いでくる。そんなには食べられないんだけどなぁ、と思いながら、アトムは苦笑いをして味噌汁に口をつけた。
その日の夜。
リビングに布団を敷き寝支度をするアトムのもとに、ベイクが現れた。コーヒーカップを手に持ち、ソファに腰を下ろしながらアトムを見る。
「どうしたんですか、ベイクさん」
「いや、ちょっとな……」
ベイクはアトムを手招きすると、周囲を気にする素振りを見せながら小声で話をする。
「妹のいる場所では聞きにくかったんだが……少し気になってしまってな」
「……なんですか?」
「あー……その、なんだ……あの美人さん。絵崎グリコさんだったか。彼女のことなんだが……」
強面に似合わない初心な様子で、恥ずかしそうにモジモジとするベイク。アトムはなんとなく様子を察して、少し微笑ましい気持ちになっていた。
「正直に答えて欲しい。グリコさんとアトムは、その、どこまで何をしたんだ?」
顔が茹で蛸のようだ。
つまり、そういうことなんだろう。
アトムはなんとも言えない気持ちで彼に答える。
「その、拘束されたときに、キスをされました」
「そ、そうか……」
「それから、服を脱いで誘惑されて」
「お、おう。その先は……したのか?」
「いえ、断りましたよ」
その言葉に、ベイクはどこかホッとした顔をしながら、少しだけ疑うような視線をアトムに向けた。
「あんな美人の誘い、断れたのか?」
「はい。心に決めた恋人がいるからって。初めてはその人と……って、あ、ココアには内緒ですよ」
「い、言えるかよ、馬鹿野郎」
ベイクはなんだか変な汗をかきながら、アトムの背をボンボンと叩いた。不器用そうな人だ、こういう話題には弱いのだろう。
「まぁ、そういうことなら安心した。これからも妹のことを頼むな」
そう言って、リビングを去っていく。
──天井で、カタン、と音が鳴った気がして、アトムは首を傾げた。