森永兄妹
気がついたら眠ってしまっていたらしい。
次にアトムが目を覚ましたのは、ピンク色のベッドの上だった。
「ここは……」
上半身を起こし、あたりを見渡す。
朝日に照らされた室内は、いかにも「女の子の部屋」という感じだ。パステルカラーの家具に、キラキラした小物類。壁際に並ぶぬいぐるみの中には、アトムがプレゼントしたものもあった。
そう、この部屋は。
「あっ! アトムくん、起きてる!!」
そう言って部屋に入ってきたのは、エプロンを身に着けた女の子だった。サイドテールに結んだ髪が、彼女が飛び跳ねるのに合わせて揺れる。
アトムの恋人、森永ココアだ。
彼女はアトムに駆け寄ると、首元にガシッとしがみついてきた。そのまま数秒。すーはーと深呼吸をする。
少し体を離して、目に涙を溜めながらアトムの顔を見た。
「ばか。ばかばか。心配したんだから……」
「うん。心配かけてごめん」
「もう……無事でよかったよぉ」
そう言うと、彼女は自分の口をアトムの口に押し付けた。
ダイニングに行くと、そこにいたのは大男。彼女の兄、森永ベイクだ。森永兄妹はこの家に二人暮らしをしているらしい。
「おう。起きたか。少しは眠れたか?」
「はい。あの、連れの女の子は──」
「あの美人なら、奥に寝かせてある。だが、目を覚ます気配はねぇな。様子が知りたきゃ見てきてもいいが、その前に……まずは朝メシだ」
ベイクとともにテーブルにつくと、ココアはキッチンから次々と料理を運んでくる。ココアの作る食事の量が多いのは、なるほど、兄の巨漢を支えるためだったのだ。アトムは一人、そう納得していた。
山盛りのどんぶりご飯、大判のトンカツ、大椀の味噌汁。数人で食べるようなサラダボウルが、一人一つずつ。それらが、3人の前に同じ量だけ置かれる。
アトムは目を丸くしてココアを見た。
「あのさ。ココア、それ食べ切れるの?」
「あ……あぁぁぁぁ! つい癖で!!」
顔を沸騰させながら、ココアは自分のトンカツを兄の皿に移していく。アトムはなんだか可笑しくなって、クスクスと笑いを漏らした。
「なぁアトム、この通り妹は良く食う女なんだが……どうだ、引いたか?」
「いや、全然。ココアも無理しないで、普段通り食べていいから。俺は気にしないし」
「うぅぅ……乙女のイメージがぁぁ……」
そう言いながらも、今度は兄の皿からせっせとトンカツを取り返すココアを見て、アトムは再び吹き出してしまうのだった。
朝食が終わると、ベイクは用事があると言ってどこかへ出かけていった。
彼の言うとおり、絵崎グリコは奥の部屋で眠り続けている。もう二度と目を覚まさない、なんてことはないと信じたいが。
リビングのソファで脱力する。
アトムの横にココアが座り、ピトリと体をくっつけた。
「ねぇ、アトムくん」
「ん?」
「教えてほしいの。何があったのか」
そう言って、潤んだ目で彼を見上げる。
アトムは躊躇した。ココアは、言ってみれば普通の女の子だ。それに、アトムの周りは、想像以上におかしな事になっているらしい。彼女を巻き込んでいいのか……アトムさえいなければ、彼女は普通の人生を送ることが可能なはずだ。
黙っているアトムの横で、ココアは膨れた顔をする。そして、アトムの脇の下に手を伸ばすと、器用な手付きでコチョコチョとくすぐり始めた。
「うわ、ちょ、やめ」
「へーんだ。話してくれないアトムくんなんてこうだ! こうだっ!! すっごく心配したんだよ。ニュースでは、本体が死んでロボットだけ逃げたって言ってるし、連絡はぜんぜんつかないし! 街でアトムくんを探し回ってたら、変な忍者のコスプレの人に話しかけられるしね!」
「あ、忍者! あれは一体」
「知らない! 教えない! アトムくんなんて大──好きなんだけど、教えてあげないの。それにほら、なんか女の人連れてくるし!」
ココアはアトムの体に手を回し、ギュッとしがみついた。彼女の手は、少し震えている。
「……何も知らないで、元の生活になんて戻れるわけないよ。それにもう、匿ってる時点でとっくに巻き込んでるんだから。大事な情報を知らないまま私たちがマズい行動取ったら、ダメでしょ?」
アトムは大きく息を吐いた。
降参だ。こうなった彼女には、勝てそうもない。
これまでの顛末を話しながら、彼女の質問に答えていく。その時には気づかなかったことも、考えながら話すうちに段々と整理がついてきた。ココアは思いのほか聞き上手だ。
「少し整理させてね。二十年ほど前。絵崎先生の奥さんが出ていって、その少し後にグリコさんが亡くなった」
「あぁ。それで、絵崎先生は恩師を頼り、絶望装置の無効化方法を習得したんだ」
「それから、グリコさんの部品を交換しながら、表向きはこれまでのまま生活を続けたんだよね」
ココアは顎に手を置いて、難しい顔をしている。何か思うところがあるのだろうか。
「中学2年生の時に、アトムくんは家出をした。そこで大怪我を負い、コピーロボットを失った。絵崎先生が気にかけてくれるようになったのは、その後なんだよね?」
「……うん。何でも相談に乗ってくれた」
「その裏で、絵崎先生は細工をした。コピーロボット買い替えのたびに、古いアトムくんは処理場を抜け出して、絵崎先生を頼る。おびき寄せて、グリコさんの交換パーツを入手する」
「結局、毎年その通りになってたらしい」
「……違和感あるなぁ」
「え?」
ココアは天井を見上げたまま、目まぐるしく表情を変えた。一体、何を考えているのだろう。
「で、数ヶ月前。一番最近の買い替えの時には、アトムくんはグリコさんの前に姿を現してない。そのまま廃棄されたのか、絵崎先生を頼らなかったのか、絵崎先生がアトムくんを拒絶したのか」
どれも可能性は否定できないだろう。
特に3番目の可能性。高3のアトムがグリコと良い関係になりかけたため、絵崎がアトムを拒絶するようになっても不思議はない。
「ねぇ、アトムくん。もしも処理場を抜け出して、頼るところもなかった時……アトムくんは、どう行動すると思う?」
「えっと……?」
「この世界には、今ももう一人のアトムくんがいるかもしれない。その可能性は、否定できないんじゃないかな」
ココアの言葉はもっともだ。
いろいろな事がありすぎて考えきれていなかったが、ありえるかもしれない。大学入学前のアトムが今もどこかにいるとしたら。
「そのアトムくんは、今どこで何をしてるんだろうね」
アトムの背に、ゾクリと冷たいものが走った。
ココアの作った昼食を食べ、コーヒーを飲みながらひと息ついている時だった。彼女が左手首の文字盤をタップすると、空間に兄ベイクの顔が浮かび上がる。
「お兄ちゃん、とうしたの?」
『ココア。これから家にトモダチが来る。失礼のないよう、ちゃんと部屋を片付けておいてくれ』
「うん、分かったよ!」
通信が切れると、ココアは勢いよく立ち上がった。
「お兄ちゃんから連絡。警察が来るからアトムくんを隠しとけって。あ、グリコさんも屋根裏に運ばなきゃね!」
兄妹間で謎の符号が成立している。
ココアは本当にただの一般人なのか……?
そんな疑問を持ちながら、アトムは言われるがまま隠れ始めるのだった。





