忍者と空手家
グリコを腕の中に庇い、しばらく。
いつまでたっても来ない衝撃に、アトムは少しずつ目を開けた。
「は……?」
地面に倒れている絵崎は、腰のあたりで上半身と下半身が真っ二つに分かれている。断面は機械で埋め尽くされていた。
そして、絵崎を見下ろすように立っているのは。
「…………忍、者?」
何かのコスプレだろうか。
青い忍び装束。両手に持った短刀は、紫電をバチバチと帯びている。アトムとグリコを背中に庇いながら、ファントムの集団に向けて構えを取った。
どうやら、助けてもらったのは間違いないらしい。
忍者は背を向けたまま、アトムに話しかける。
「──我が名は青影。山崎アトムよ、その女を連れて逃げろ。港の第三倉庫だ」
正体はわからない。
だが、この場は彼を信じる以外に道はないだろう。それになんだか、彼には懐かしいものを感じるのだ。
目を覚まさないグリコを背負う。破損時は下手に動かさない方が良いと聞いてはいるが、今の状況ではそんなことは言っていられない。
「ここは我に任せよ。多少の時間は稼いでやる」
「分かった、感謝する」
青影は、腰から取り出した手榴弾を投げる。
轟音を立て、包囲の一角が崩れた。
──そこは手裏剣とかじゃないんだ、という言葉を飲み込み、アトムは走ってその場を離れた。
さきほど斬られた絵崎の体は、ロボットのものだった。頭部は生身だったが、それ以外のかなりの部分が機械なのかもしれない。
「先生、生きてるかな……頭以外すべて機械なら、大丈夫だとは思うけど」
殺されかけてもなお、アトムはつい絵崎の心配をしてしまう。騙されていたのだと頭では分かっているが、どうしても憎みきれなかった。
グリコの話では、絵崎は起床している時間が減っているとのことだった。おそらく、何かの病で全身がボロボロなのだろう。コピーロボットと機械化人体は技術的にも近いから、絵崎なら自分で自分をメンテナンスすることもできたはずだ。
「先生のこと、何も知らなかったんだな」
絵崎の真意はどうあれ、中学生のアトムが救われたことは事実だったのだ。やりきれないものを感じながら、アトムは港に向かって真っ直ぐ走った。
第三倉庫が見えてきた。
ここは、まだ船舶での貿易が盛んだった頃、実際に品物を保管していた場所だ。
当時の文化を残すという建前で──おそらくは、解体費用をかけたくないという理由で──現在では、建物だけがそのまま残っている。
「あの忍者、何者だろうな……まぁ、行けばわかるか」
港にはいくつかの船が停泊している。
クルージングは趣味としては割とメジャーだが、アトムには経験がなかった。船舶免許を持っていれば、これに乗って逃げることもできたのかもしれないが。
アトムはグリコを背負ったまま、海沿いを往く。
「待て」
そんな声が聞こえて、アトムの行く道を塞ぐように人影が現れた。見覚えのある女性だ。
「小池ポテチ……さん?」
昼間、アトムとグリコを逃してくれた女性。だがその雰囲気は、その時とはまるで違っていた。
「震えてる、んですか……?」
「黙れ。お前らを故意に逃したことが……本部にバレた。私にはあとがない。これ以上失態を重ねれば、私は処分されるんだ」
そう言って、スタンロッドを構える。
杖先はガタガタと震えていて、顔を大きく歪め泣きそうになっていた。
「嫌だ……嫌だ、嫌だ。私は死にたくない。消えたくない。山崎アトム。お前に恨みはない。グリコにも申し訳ないと思うが……二人とも、ここで死んでくれ」
ポテチはスタンロッドを大きく振り上げる。
アトムはなんとか逃げようとするが、グリコを背負ったままでは機敏に動けない。
「うあぁぁぁぁ!!!」
叫びながら走ってくるポテチ。
──その横から、巨漢が現れて彼女を殴り飛ばした。
2メートルにも届こうかという大男だ。
盛り上がったたくましい筋肉、精悍な顔立ち、擦り切れた道着。忍者に続いて空手家のコスプレか?とも思ったが、醸し出される雰囲気は「本物」としか思えない。
吹き飛ばされた小池ポテチは、大きな水音を立てて夜の海に落ちた。
「山崎アトム、無事か」
「あ、はい」
やはり当然のようにアトムのことを知っているが、疑問はあとで解消するとしよう。今はとにかく、逃げるのか先だ。
男はアトムを見下ろすと、背中のグリコを一瞥する。
「その女は……まぁいい、話はあとで聞かせてもらう。それより、今は逃げるぞ」
「はい、でもどこへ……」
アトムがそう聞くと、男は停泊している船の一つを指さした。
夜の海、クルーザーの操舵室。
運転する男の後ろで、アトムは椅子に座ってウトウトとしていた。いい加減、疲れ果てていたのだ。グリコは長椅子に寝かせてあるが、目を覚ます様子はない。
この男は敵か味方か。
判断するには材料がなさすぎるが、先ほどは確かに助けられた。少なくとも、今すぐにアトムを破壊するつもりはなさそうだ。
「あの……ありがとうございました」
「あぁ。疲れたろう、しばらく寝るといい」
「すみません。そうさせてもらいます」
薄手のタオルケットを投げてよこす。
強面だが、優しい男だ。
さほど会話を重ねたわけではない。
それでも、鬼のような空手家、という第一印象はすっかり薄れ、アトムの中では「頼れる兄貴」のような印象に変わりつつあった。
「えっと……」
「おう、どうした」
「初対面ですよね。あらためまして、俺は山崎アトムです。この度は、助けていただいてありがとうございました」
そう言うと、男はハッと気づいたような顔をする。後頭部をポリポリかくと、アトムの顔を見て微笑んた。
「悪いな、妹からさんざん話を聞いてたんで、初対面って気がしなかったんだ。すっかり挨拶が遅れちまった」
「妹……?」
「あぁ」
そして、男はニヤリと口角をあげた。
「俺の名は森永ベイク。森永ココアの兄だ」
そう言って、白い歯を見せるのだった。