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逃亡の果て

 グリコは泣きそうな顔をしながら、震える声で告白を続けた。


「──きっかり1年でした。時間をかけて仲良くなって、アトムさんからも好意を向けてもらえるようになって。離れられなくなった頃に、新しいアトムさんが来る。次の年も、その次の年も」


 アトムは彼女の顔から目が離せない。

 過去の何人ものアトムが、彼女と時間を共有し、そして消えていった。グリコがこれまでアトムに向けていた感情が、ようやく少しだけ分かった気がする。


「高校3年生のアトムさんに、わたくしの想いを告げました。それから、初めての口づけを交わしました。このまま二人で逃げようと……。長く生きられなくてもいい。ただひとときでも、二人だけの平穏をと、計画を立てていたのです」


 そう言って、目を伏せる。

 その結果がどうだったのか──それは、今こうしてこの場にいることが答えだろう。


「わたくしは……その日、女としての初めてを捧げようとしていました。月明かりの下、わたくしの年を経た裸体でも、アトムさんはちゃんと興奮なさってくれて──」

「え、あ、あぁ」

「でも次の瞬間。わたくしは背後から気絶させられてしまいました」


 それが、高校3年生のアトムとの別れだった。


 翌朝、目を覚ましたグリコは、これまでより手先が器用になっていることに気がついた。そして、生まれて初めて、父親に対する猛烈な殺意を抱いた。


 武装して向かった父の作業部屋。

 扉を開けた瞬間目に入ってきたのは……床にうずくまって泣く、哀れな老人の姿だった。


『捨てないでくれ、私を捨てないでくれよぉ……千葉に裏切られて、ビスコから捨てられて……私にはお前しかいないんだよぉ……グリコぉぉぉ、そんな目で見ないでおくれ……私を、捨てないでおくれよぉぉ……』


 その姿に、グリコは武器を取り落とし、膝をついた。


 次のアトムが来たとしても。

 こんな父を置いて逃げるという選択は、できそうになかった。



「アトムさん。すみませんでした。わたくしと父の行ってきたことは、決して許されることではありません。あなたと共にいたいというのも、本当はわたくしのワガママでしかなくて」

「いいよ、謝らなくて。今はむしろ感謝しかないし。いろいろ納得できたから」


 アトムは立ち上がる。

 そして、近くにおいてあった防水シートをバサリと剥がした。


 そこには様々なものが置いてあった。テントや寝袋などのアウトドアグッズ。洋服屋の紙袋。真新しいエアバイク。


「男物しかないけど、とりあえず着替えようか」

「これは……?」

「一応、絵崎家に行く前に準備しておいたんだ。逃げるにしたって必要なモノは多いだろ。死体が見つかる前に買い物をして、ここに隠しておいたんだよ」




 エアバイクに二人乗りをして街を抜ける。

 サングラスと帽子。グリコの長い髪は帽子の中に仕舞われている。パッと見ただけでは、若い男の二人組のように見えるだろう。


「ふふ。わたくしの若い頃は、エアバイクなんてありませんでしたわ。宙に浮くバイクなんて、まだ夢物語の時代でしたから」

「そっか。浮遊装置が開発されたのは」

「わたくしが社会に出たあたりでしたわね。それまでは皆、自転車というものに乗っておりましたの。車輪で走り、人力でペダルを漕いで進む……今からでは考えられませんわね」


 頭の中でグリコの年齢をこっそり計算し直していると、後頭部をゴンと殴られた。こういうところ、彼女の勘は侮れない。


 エアバイクは風を切って進む。

 ガソリンバイクほどの速度は出ないが、少なくとも先程まで自力で駆けていた時とは比べ物にならない。景色はどんどん後ろに流れていく。


「そういえばさ」

「はい」


 風の中、声を張り上げる。

 グリコはアトムの背中につかまる。


「一番最近の俺とは、何かあったの?」

「え?」


 アトムがさきほど聞いたのは、高3のはじめに乗り換えたコピーロボットとの顛末まで。

 その後、()()()()()に乗り換えた……つまり、今のアトムになる直前まで使っていたコピーロボットについては、話に上がっていなかった。


「俺はこの体になる前、一人暮らしを始める直前にも一度ロボットを乗り換えたんだ。ほんの数ヶ月前のことだけど」

「……お会いしていませんわ」

「えっ?」


 グリコは怪訝そうな声を出した。


「わたくし、そのアトムさんとはお会いしていませんわ」


 アトムは無言で速度を上げる。

 知らなければならないことは、まだいろいろとありそうだ。



 国道を南下していく。

 このあたりは、先日森永ココアとデートに来た場所だ。


 海も近く、夜景がきれいな一帯。少し奮発したディナーを食べて、プレゼントをあげた。そして、周囲から隠れるように初めてのキスをしたのだ。ココアの唇は柔らかかった。


『えへへ……こんな素敵なの、絶対忘れられないよ。ちょっと泣いちゃった』


 はにかむココアの顔がフラッシュバックする。


 ついこの前のことなのに、なんだかずいぶんと昔のことのように感じた。まさか他の女性を後ろに乗せてここを通ることになるとは思いもしなかったが。


「綺麗な夜景。こんなの初めてですわ」

「…………あ、うん」

「む。もしかして、例の彼女と……?」

「あー…………はい」


 グリコはアトムの頬をつねる。

 過去の話を聞いてもなお、アトムはまだ自分の気持ちを決めきれないでいた。森永ココアへの恋心を持ち続けるのか、それとも絵崎グリコを受け入れるのか。


 今はまず生き残ることが優先だと、考えるのを先送りにする。誤魔化すようにエアバイクの速度を上げていき……。



──轟音。道が爆ぜた。



 二人はエアバイクから投げ出され、地面に叩きつけられる。


「グ……リコ。大丈夫……?」

「ごめん……なさ……」


 そう言ったのを最後に、グリコは意識を失う。見れば、彼女の右足は逆方向に折れ曲がっていた。


 慌てて駆け寄る。

 荒い息遣い。完全に破壊されてはいないが、すぐにでも修理技師に見てもらう必要があるだろう。アトムはグリコを抱え上げようとする。


 そこへ、聞き覚えのある声が降ってきた。


「私の娘を返せ……アトム」


 何度となくアトムの愚痴を聞いてくれた声だった。寄り添ってくれた。今のアトムを作ってくれた声……だというのに。


「お前には、特別優しくしてやったろう。なぁ、恩を仇で返すのか。それにグリコ。父さん言ったよなぁ……お前しかいないって。捨てないでくれって。お前まで、母さんのように出ていくつもりなのか。許さんぞ。私は許さん」


 目の前の人影が、ゆらゆらと揺れる。

 手に持った鉄パイプが、アスファルトの上でガラガラと音を立てている。


 気がつけば、彼らを囲むように大勢の黒い人影が佇んでいた。絵崎の手のものなのだろう、ファントムの構成員たちもまたアトムとグリコに敵意を向けている。


「ファントムがお前を受け入れることはないぞ、アトム。そんなこと、私がさせるわけがないだろう。グリコを奪っていくお前など……!」


 男は──絵崎先生は、アトムの目の前で鉄パイプを振り上げる。


「私の娘を……返せぇぇぇぇぇ!!!」


 絶体絶命。

 アトムは、グリコを庇いながら目を閉じた。


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