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二人の出会い

 テロリスト達にとっては見知らぬ街たが、アトムにとっては勝手知ったるホームタウンだ。路地裏を抜け、なんとか追手を振り切った二人は、川にかかる鉄道橋の下に身を隠した。


 街からは死角になる場所だ。

 これでようやく一息つける。


 アトムは土手に背をあずけ、大きく伸びをした。


「アトムさん」

「ん?」

「正座してください」


 グリコの声色は真剣そのもので、抵抗の許される雰囲気でもない。アトムは大人しく、言われるがままその場で正座をする。


 しばらくの沈黙。

 川の流れる音が、やけに耳に響いた。


「アトムさん。わたくしは怒っています。なぜだか分かりますか?」

「あー、えっと……」


 心当たりはいくつかあった。

 ダミーの手榴弾を勝手に持ち出したこと。それを使い、騙すような形で交渉に臨んだこと。交渉決裂後、自爆攻撃と見せかけて逃走するという無謀な策に出たこと。


 あらためて、上手くいったことが奇跡のような綱渡りをしたものだ。


「──と、いうことかな、と」

「やっぱり分かっていませんね。もう。本当にあなたは……」


 グリコはヘナヘナと膝をつき、アトムの手を握る。彼女は震えていた。


「わたくしは、あなたと共に死ぬ覚悟をしていました。今さらわたくしだけファントムに戻るなんて、ありえない選択ですわ。どうしてあんな交渉をしましたの。まだ『一緒に死んでくれ』と言われた方がマシでしたわ」


 そう言いながら、アトムの胸をトントンと叩く。

 アトムはなんとも言えない気持ちで、なすがままに彼女を受け止めた。



 しばらくして落ち着いたグリコは、少し頬を染めながら体を離す。その顔を見て、アトムは足を崩しながら、ずっと持っていた疑問を投げかけることにした。


「グリコさん」

「はい……」

「やっぱり、俺たち初対面じゃないよな……。どう考えても、グリコさんにここまで好意を向けてもらう根拠がない。俺が忘れてるだけなら申し訳ないんだけど」

「ふふ。そう、ですわね……」


 グリコはアトムの隣に腰を下ろす。


 あたりは日も落ちてすっかり暗くなっていた。

 川の音に混じり、何かの虫の声が聞こえてきた。


「初めてお会いしたのは、あなたが中学3年生になったばかりの頃でしょうか」

「中3……ごめん、やっぱり記憶にないな」

「ふふ。それはそうですよ」


 グリコは何かを思い出すように小さく笑ってから、アトムの顔を見る。


「わたくしがお会いしたのは、コピーロボットの買い替えによって『廃棄処分になった方』のアトムさんですから」


 その言葉に、アトムは自分でも想定していなかったほどの衝撃を受けていた。



 コピーロボットは、成長とともに買い替えるのが普通だ。

 小学生の頃は成長も早く、一年と経たずに買い替えることもよくある。段々その間隔は広がっていき、高校を卒業する頃には多くの人が一般成人向けのロボットを使い始める。


 アトムについては、中3、高1、高2、高3、大学入学前と、毎年コピーロボットを買い替えていた。そしてその度、古いコピーロボットは廃棄処分されているはずなのだ。


「わたくしの体は、もう二十年以上も前に作られたものです。かなりの年代ものですから、いろいろなところにガタが来ていますの」


 グリコの体を維持するには、パーツの交換が必要だった。しかし、本体のいない彼女は一般ルートでのメンテナンスが不可能だ。


 絵崎先生はグリコのため、ファントムの幹部になり忙しく働きながら、ジャンクパーツを購入したり、どこからか処分予定のロボットを入手してきては分解した。


「……中学3年生のアトムさんも、パーツを取り出す目的で父が連れてきたのです」


 グリコは川面を眺め、遠い目をする。



 その日、グリコは動揺していた。

 父が連れてきた少年はタナトス・デバイスが無効化されていて、明らかに絶望していない。彼を分解してパーツを取り出すことが、酷く残酷なことのように思えたのだ。


『お父様。本当に彼を……?』

『あぁ。安心なさい。彼は買い替えのために破棄される存在だ。ファントムの奴らもうるさくは言わんよ』


 そう言ってグリコの頭を撫でる。

 確かに、ファントムの構成員はあくまで「本体を失っても生き続けたいロボット」であり、「買い替えのために破棄される古いロボット」は救済の対象にしていなかったのだ。


『彼は私の教え子なんだがな。今のお前と同様、絶望しない作りになっている。そして、義体処理場から逃げ出した』


 義体処理場は、裏社会にとっても重要な場所だ。

 ジャンクパーツを手に入れたい者、テロリストの仲間に引き入れる素体を手に入れたい者……。そこで働く者も、一癖も二癖もあるものばかりで、日々様々な問題の対処に追われている。


 そんな中、絶望できなかったロボットが一体逃げ出したところで、ほとんど気にする者はいなかった。組織に属さないロボットが生き延びることなど、どうせ困難なのだから。


『逃げ出した彼がはじめに頼るのは、私だ。そう思考するように、私は彼の悩みを聞いて優しくしてやったからな。困ったことがあれば、まず私に相談するようにしてある』


 微笑む父の目が、底なしの闇に見えた。

 グリコの知っている父の姿は、もうそこにはない。


『今後も、山崎アトムがロボットを乗り換えるたびに、古いロボットは処理場から逃げ出すだろう。そして私を頼ってくる──お前の体のパーツは、その都度最新のものになるわけだ。良いサイクルができたと思わんかね』


 そう言って、狂ったように笑い始める。

 こういうとき、父に反論するのは危険だ。


 少年に対して酷い仕打ちだ、などと責めれば、父は怒り狂ってその場でグリコや少年を破壊し始めるかもしれない。ここ数年、そういった危うさは特に顕著になってきていた。


『お父様、お願いがあります』

『ふむ。なんだ』

『せっかく絶望していない男の子がいるんですもの。四肢も拘束していますから、襲われる心配もありません。彼を使って、男性とのコミュニケーションの練習をしたいのですが』


 父の機嫌を損なわないように。

 グリコは少年の命をつなぐよう、慎重に話を進める。なぜこれほど必死なのかは、自分でもよくわからないが……。


『お父様がお眠りになっている間に、男性のお客様が来ることもあるでしょう。それに、わたくしがファントムの構成員として正式に認められないのは、男性とまともに話せないのが原因ではありませんか』

『む……。だがなぁ』

『大丈夫です。わたくしには、お父様しかおりません。今さらどこにもいきませんわ』


 そうして、グリコは少年を──中学3年生の山崎アトムを、部屋に閉じ込めた。



 男と話をするのが苦手なグリコだ。

 はじめの一ヶ月は、ほぼ無言でアトムの世話をし続けた。その様子に父も安心したのだろう、やがて二人のことを気にしなくなった。


『お願いします。俺を逃してください』

『…………ごめん……なさい』


 彼女が初めて発したのは、謝罪の言葉だった。そこから少しずつ言葉を交わすようになり、雑談もできるようになっていった。


 半年が過ぎた頃。

 気づけば、彼女はアトムに身の上話を聞かせていた。そして、何か自分にできることはないかと問いかけた。


『逃がして差し上げることはできませんが……わたくしの身勝手でこんなことになっているんですもの、可能な範囲で希望は叶えますわ』


 申し訳なさそうに目を伏せるグリコ。

 アトムは小さく笑いながら、しばし考える。


『そうだなぁ。こういう時、綺麗なお姉さんを前にすると、エッチなお願いをしたくなるのが男の性なんだけどさ』

『えぇぇ!?』

『グリコさん、真面目だもんなぁ。そんな無茶は言えないよ』


 可笑しそうに肩を揺らすアトム。

 グリコの心臓が、トクン、と音を立てる。


『まーなんか考えとくよ』


 そう言って目を閉じたアトム。

 グリコはホッとしたと同時に、少し残念にも思った。


 これまで、男から性的な目で見られることには不快感しか感じなかったのだが。彼だけは──山崎アトムからは、そんな風に見られても構わないと思い始めていたのだ。



──そして、そのまま一年が過ぎた。


 ある朝目覚めると、グリコは自分の体の異変に気づいた。


『やけに関節の動きがスムーズですわ……まさかっ!?』


 グリコは走った。

 いつもよりよく動く自分の手足が、()()が事実であると告げている。


 父の作業部屋へと入る。

 ニヤけた顔をする父の前にあったのは、もう動かなくなった、見慣れた少年の残骸だった。


『やあグリコ、体の具合はどうかね。昨晩、山崎アトムのパーツと交換したんだ。ずいぶん違うだろう?』

『な、なぜ……交換はまだ先だと、仰っていたじゃありませんか』

『なに、事情が変わってね』


 そう言うと、父は部屋の端に向かう。

 箱を開けると、そこには手足を拘束された少年が入っていた。気絶しているようだが……。


『高校1年生の山崎アトムが手に入ったんだ。古い方は、もういらんだろう?』


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