ロボットのある生活
第五回書き出し祭り、優勝作品です。
完結まで毎日更新します。
──もしも、自分の代わりに何でもしてくれるロボットがいたら。
昔の人はよくそんな空想をしたらしい。
面倒な勉強、ストレスの溜まる仕事、気の乗らない人間関係。全てをロボットに肩代わりさせ、自分はやりたいことを好きなだけ楽しむ。
すごい想像力だ。
ロボットの基礎技術すらなかった頃から、人間は望む未来を鮮明に思い描いていたのである。
──そんなロボットが実際にいたら、あなたは何をしますか? 一日中マンガを読む? 世界一周旅行にでも行く? それとも……。
* * *
一人暮らしの部屋。
大きな窓から朝日がさし込み、山崎アトムの意識はすぅっと覚醒した。
目を擦り、あくびをひとつ。
気だるげにベッドから這い出る。
「さーて、今日も今日とてネトゲ三昧っと」
廃人街道まっしぐらなダメ発言だ。
大学に合格し実家を出てから、彼はすっかりゲームまみれの日々を過ごしている。
最近ハマっているのは、剣と魔法のベタなファンタジーVRMMOだ。隠しボスを狩るための装備がもう少しで揃うはずだから──。
と、そこまで考えて、アトムは気がつく。
「もしかして」
おそるおそる左手首を見る。
文字盤には『山崎アトムB』の表示。
それが意味するのはひとつ。
「うへぇ、やっぱりコピー側の体かよ」
舌打ちして、脱力した。
隣のベッドを見れば、憎らしいほど気持ち良さそうに眠る山崎アトムA──本体側、生身の体があった。
コピーロボット。
それは、自分と全く同じ記憶を持ちながら、自分の代わりにあらゆる行動をしてくれるロボットだ。
学校、バイト、遊びに旅行。
面倒なことや疲れることは、全てコピーにやらせればいい。事故や事件に巻き込まれても、ロボットならばどうということはない。
生身の体はたいてい家にいる。
なにせ専用のベッドで眠れば、夜中のうちに経験が同期されるのだ。つまり、翌日になれば自分で体験したかのような記憶が残る。わざわざ危険を冒して外出する意義はない。
少なくとも、彼らの世代ではそれが常識だ。
「今日は講義と……バイトもあるのか。面倒だなぁ。まぁ、そのためのコピーロボットなんだけどさ」
アトムは深いため息を吐く。
彼の体はロボットだが、記憶自体は山崎アトムのものだ。ダラダラしたい気持ちは本体と何も変わらない。
出発の準備をしていると、耳の中で通知音が鳴った。誰かからメッセージが届いたのだろう。
左手首の文字盤をタップする。
空間に立体映像が浮かび上がる。
『おはよ、アトムくん! あのね、午後が休講になったの。バイトの時間までデートしよーよ』
付き合って一ヶ月になる森永ココアは、元気な美少女だ。
大きな目、桜色の唇、栗色のショートボブ。服装はボーイッシュなことが多いけれど、小物類の趣味は意外と乙女である。
「じゃ、昼に講堂で」
立体映像に答えるアトムの顔は、ニヤニヤとだらしなく崩れていた。
実に無様だ。
浮ついた気持ちを欠片も隠せていない。
なにせ生まれて初めての恋人なのだ。
この前ついに初チューもかましてしまったし、そろそろ初体験を迫っても許されそうな空気すらある。
「それもこれも、コピーロボットを買い替えたおかげか。へへへ」
老舗であるオリエントテック社のロボットは、造形の「微調整」が丁寧なことで有名だ。そのぶん高価だが、海外の無名メーカーのモノとは比べ物にならない。
「よしっ。やっぱイケてるなぁ」
鏡の中の姿は本体より少しだけイケメンだ。
身長を15センチほど伸ばし、顔の各パーツを多少グレードアップして、配置を少し弄った程度。歯並びも矯正してあるが。
このくらいなら、詐欺とまでは言われないはずである。
……たぶん、言われないはずである。
広い講堂に、教授の声が響く。
「──昔の人の想像力は本当にすごい。ロボットの基礎など全くない時代に、多くの未来技術を想像してきたのだ。そして皆がその実現を夢見た。今日の発展があるのも──」
ロボット技術概論。
この講義は必修にもかかわらず、教授の評価が厳しいことで有名だ。アトムは必死にノートを取る。
コピーロボットが本格的に普及し始めたのは、五十年ほど前のことだ。
当時まだ最先端技術だったコピーロボットは、当然ながら一般庶民には手が出せないほど高価だった。
そんな時、一つの事件が起きる。
『私、この前レイプされたんです。幸い生身じゃなくてコピーロボットだったので──』
トップアイドルを襲った暴行事件。
それを救ったのは、彼女が利用していたコピーロボットだった。
この事件をきっかけに、賛否が割れていたコピーロボットの存在について、世論は一気に賛成側に傾いた。
性的暴行や交通事故のような痛ましい出来事を肩代わりしてもらえる。記憶の同期さえしなければ、本人にとってその事件は「なかったこと」にできるのだ。
それを実感できたことが、当時の人々にとってはかなり衝撃的だったのだろう。
「──五十年が経った今、コピーロボットは誰もが持っていて当たり前のモノになった……。では、話の続きは来週の講義で」
教授が去っていく。
にわかにザワつき始める講堂。
「アトムくぅーんっ!」
可愛らしい声が飛んできた。
振り返れば、小柄な女の子──森永ココアが、小走りでこちらに来る。
「おう。今日はどうする?」
アトムが手を上げると、ココアはニコリと笑った。
その唇を見て、柔らかい感触を思い出す。
アトムの人工心臓がドクンと鳴る。
頭の中に巨大な花畑が広がっていき──。
「えへへ、お弁当作ってきちゃった! 天気もいいし、公園で食べよ」
ココアはそんなアトムに微笑みながら、彼の手を柔らかく掴んだ。
太陽の下、キラキラ光る噴水。
二人は芝生の上に並んで腰を下ろした。
「もう一台ロボット欲しいっ! バイト用のやつ。そうしたら、アトムくんともっと一緒にいられるのに……」
弁当箱を取り出しながら、ココアが呟く。
「でも、二台目を買う金があったら、そもそもバイトの必要ないよな」
「確かに! うわーん世知辛いよぉ!」
ふざけて泣き真似をするココアの額に、アトムは半笑いでチョップを振り下ろした。
二台目のコピーロボットは高価だ。
ロボットそのものより、記憶の同期装置が複雑になることが原因である。維持費を考えても、購入できるのはよほどの金持ちだけだろう。
「はい、お弁当!」
美味しそうな匂いが漂う。
唐揚げ、玉子焼き、ブロッコリーやプチトマト。凝ったものではないが、カラフルで可愛らしい定番料理の数々が、大きな重箱にこれでもかと詰めこまれていた。
ちなみに、ロボットにも味覚はある。
食べるのが好きな人はもとより、アレルギーや消化器系の病気などで食事を取れない人にとっても、コピーロボットで美味を味わえることには大きな意味があるのだ。
「美味しそうだけど、こんなには食べ切れないな」
「そう? お兄ちゃんが、男なら足りないくらいだーなんて言ってたけど」
ココアの兄はよほど大食いなのだろう。
彼女は世の中の男を兄基準で考えている節があるが、どうにもズレていることが多い。
顔を寄せ、笑いあう。
二人きりの穏やかな時間。
ふと見ると、公園にはぞろぞろと人が集まり始めていた。
険しい顔をした人々が、プラカードや横断幕を準備しているようだ。
「アトムくん……」
「デモかな。場所変えようか」
「……うん」
集団の中にはこちらをジッと見る者もいた。
こういうのに関わるのは、トラブルのもとだ。
離れた道の上でホッと息を吐く。
「なんのデモだ、あれ」
「なんか『ロボットに人権を』だって」
「人権……か」
コピーロボットに人権はナンセンスだ。
例えばだが、コピーロボットに選挙権を与える。すると、何十台と自分のコピーを持てる大富豪は、お金をかけたぶんだけ自分の意見を通しやすくなってしまうだろう。
コピーロボットはあくまで道具。
権利も義務も全て所有者のものであるべきで、ロボットに人権までは必要ない。
それが今の常識だ。
「私は、ちょっと悩んじゃうかな」
「というと?」
ココアは少し俯き、可愛い顔を歪める。
「私、おばあちゃん子だったの。でも、中学生のときにおばあちゃんが死んで、コピーロボットも当然処分されて……」
「あぁ」
「コピーでいいから残しておいて欲しかった。ウソのおばあちゃんでも、ずっとそばにいて欲しかった。本体あってのコピーだっていうのは分かるけど……私はなんだか割り切れないよ」
その気持ちも確かに理解はできる。
だから、世間でも意見が割れているんだろう。
バイトが終わり帰宅する頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。
本体はまた今日もネトゲ三昧だろうな。
そう思いながら部屋の扉を開ける。
「ただいまー。コピー様のお帰りだぞっと」
部屋は暗く、ゲームの音もしない。
珍しいこともあるもんだなと、アトムは本体の眠るベッドに近寄る。
「お疲れ様の一言くらいあっても──」
見れば、本体は朝と同じ穏やかな顔だ。
朝と同じ……?
微かな違和感。
アトムはハッとして、本体の体に触れる。
「冷たい……。脈が、ない……?」
動かない瞳孔、微かな異臭。
アトムは尻もちをつき、呆然とする。
──山崎アトムが死んでいる。
警察に通報? 親に連絡?
死因はなんだ。昨日までは確かに元気だったはずだ。急病か、他殺か。
それに……。
「俺、処分される……のか?」
コピーロボットは道具だ。
本体のいないコピーなど存在も許されない。
自分の存在が、消える。
「あ……うあああああああ──」
混乱と焦燥。
頭の中が真っ白なまま。
アトムは、夜の街へと駆け出した。