第19部 託した希望 受け止める絶望
ついにアスタロトが神器を解放した。
回転させるたびに魔力を倍増させる能力を持つ槍の神器「悪魔槍デビルロンギヌス」は神器中最高火力を誇る、あの「魔剣グラム」を打ち破った。
10ー10まで追い詰め、幸先よくアスタロトが一点を先取。もう勝負ありかと思われていたがこの試合には裏があった。
何故、ここまでアスタロトが力を制御できたのか。
圧倒的な逆転劇に感銘を受けた選手や観客たちは考えもしなかっただろう。
神器の中で最も火力のある魔剣グラムでさえも、まともに構えるのにも鍛錬が必要で最も早く使いこなしたカイザーですら、十年もかかったという。
さらに、使いこなしたとしても重さやパワーを制御する力は必要なのだ。
それを超えるほどの力を引き出せるロンギヌスをアスタロトは軽々と使いこなす。
これに疑問を持たないのだろうかとミカエラは考えていた。
そしてミカエラは一つの答えにたどり着いた。
それは彼にしては単純で最もシンプルな答えだった。
彼があれほど強大な力をもってしても死なない理由、それは「命の前借り」だ。
「もうやめてアスタロト!」
「これで終わらせるぜ!」
ミカエラの声はもう届かない。
彼は、もう何もかも超越してしまったのだ。
「…このカイザーが、このオーディ・カイザーが!貴様のような下賤な悪魔如きに負けてたまるか!」
二人の叫びが力の高まりを彷彿とさせる。
小さな火花が炎となり燃え上がるように。
静かな水の流れが激流に変貌するように。
緩やかな風がやがて嵐になるように。
沈黙していた大地がすべてを破壊するが如く揺れ動くように。
長く短いこの戦いはこういった自然の揺れ動きによく似ていた。
一瞬たる青天の霹靂は民を驚愕させ、戦いに終止符を打たんとしていた。
「これが俺の魂を賭けたロンギヌスだ!」
凄まじい槍の回転は加速を重ね、黒い竜巻を生み出す。
客席のドランとアークがアスタロトのオーラをいち早く感じ取った。
そのオーラは勇ましく、力強く、それでいて暖かく彼女らにとって懐かしく感じるものであった。
「この魔力は…」
「ドラゴンの力か…!?」
「ドラゴン・ロンギヌス!」
渦巻くオーラが巨大な竜を模し、悍ましい産声をあげて帝王に襲い掛かる。
いや、これはアスタロトが生み出した正真正銘の竜と言っても過言ではない。
黒いオーラを纏った竜を前にしても帝王は揺るぐことは無かった。
「いい気になるなよ!アスタロト・ルルビデ!」
巨大な竜を穿とうと魔剣を全力で振りぬこうとしたその一瞬、時が止まったように感覚が無くなった。
(外したか!?いや、このカイザーにそんなことはない。だが空振りだとしても手ごたえがまったくなかったぞ!?)
「気づいてないみたいだな」
「……!」
カイザーはその一言で目が覚めた。
身体全体の疲労感がどっと押し寄せてきたが妙に軽い。だがほんの一瞬で自分がどのような状況に置かれているか理解できた。
「お、おっ、おっ、おお、折れたああああああああああああああああああああああああ!」
カイザーの手にあるのは刃の折れた剣…。
そう、ついにあの魔剣が折れたのだ。数々の剣と心をへし折ってきたこの剣がいま、真逆の立場に置かれているのだ。
帝王は膝をつき、手から柄を放してしまう。その金属音はレクイエムを奏でるオルガンの重低音ように彼の心の中で響いた。
混乱、絶望、恐怖………。
そんな感情が一気に押し寄せてきたのだろう。
「この技、ドラゴン・ロンギヌスから放たれる竜は神をも喰らう。神器が神の領域のものだとするならば、それはコイツにとっては餌だ」
「ば、ばばっ馬鹿な!そ、そんな、ありえない!」
動揺するのも無理はない。全神器中、最高火力を誇るグラムが壊されたのだ。
魔力の塊である神器は壊されても修復することは可能だが、彼の心は打ち砕かれたままだった。
予選前から恐れられていた帝王の正体は神器に頼り切っていた小心者であったのだ。
「ふふ、ざまあねえ…なっ…」
アスタロトは消えそうな声でそう言うと空を見上げた。そのまま息をつくとゆっくり背中から倒れていった。
「アスタロト!」
その時、スタジアムの客席から黒い影が飛び出した。
地面に手をつき着地すると、純白の羽根たちが散りゆく花弁のようにふわりと舞い落ちる。
「ミカエラさん!?」
エルロットが一歩を踏み出そうとしたがジェイドのナイフがそれを止めた。
「やめろ。もう試合は終わってるんだ…」
彼女の好きにさせろと言わんばかりの眼差しだった。
他の選手も観客も黙っていた。
何故なら、もうアスタロトは死んでしまったのだ。
静かに涙を流す彼女の背中は喧嘩したときだろうと、彼のことを一生懸命に想っていたのだろうと物語る。
「アスタロト…貴方ってば、いつもそうですわ。私に何も言わないまま、何も教えてくれないまま、勝手に一人で抱え込んでどこかに行ってしまいますの…」
ミカエラの目は涙ぐんでいて、表情からはどこか怒っているようにも感じられる。
安らかに眠るアスタロトの顔に影がかかる。
顔を上げるとそこには随分惨めになった王の姿…。
「…自ら手掛けた死体を蹴るような趣味でもお持ちで?」
「ち、違う!違うんだ!コイツは私がやったんじゃない!ほんとに違うんだ!」
その焦った表情は帝王と崇められている男とは到底思えないものだった。
「この期に及んで…」とミカエラは涙交じりに睨むが男は話を聞いてくれと宥めた。
「ひ、一つだけ聞かせてくれ」
「……なんですの?」
「君は天使なんだろう?死者を今ここで蘇らせることもできるんじゃないのか?」
ミカエラは俯いたまま、吐き捨てるように口を開く。
「…呆れた。とんだ阿呆ですわ」
普段丁寧な言葉遣いの彼女の口からそんな言葉が出たのだから男は怯えていた。
「アスタロトにはもう生きる力がありません。生命エネルギーがすべて失われていますわ。天使の回復魔法はあくまで身体の機能を回復させるだけ。今のアスタロトは体という箱に機能しない内蔵や冷たい血液を無理矢理敷き詰めただけの物体に過ぎませんわ」
男は崩れ落ちた。そのまま、悔いるように地面に拳を叩きつけた。
「私は、私はただ…人間の王として…」
「カイザー」
鞘からラケットを引き抜き、男の方へと向ける。
「絶対にお前を殺す。絶対に許さない」
ミカエラは生まれて初めて殺意を実感した。




