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夕食を終えてから家を抜け出すまでの時間、俺は気が気でなくいてもたってもいられなかった、というようなことはなく、かえって試験勉強に精を出していた。
夜中抜け出して、いつ帰ってこられるかわからなかったし、そうなると寝不足になるのは間違いなくて、それは明日のテストが壊滅的結果に終わることを意味していた。そんなことは俺も気づいていた。だから、今俺が無心で勉強しているのは、つまりそうすることで他のことを考えずに済むからだ。それは、試験前にやたら部屋の掃除がしたくなる心理と同じだった。
無心に勉強しながらも脳の3割くらいの領域でぼんやりと勉強以外のことを考える。
川島に関することを意識的に避け、俺は自分の心配をする。
今期のテストは壊滅したとして、進級が危うくなったりしたらどうしようか。いや、それはないか。テストは3日かけて行われ、明日は最終日だし、苦手でボトルネックになりそうな科目はすでに乗り越えた。もともと成績は悪い方ではないし、ちょっと調子が悪かったぐらいで済むだろう。大体、赤点で留年というのは高校では都市伝説だ。十中八九補修やらなんやらの救済措置があり、まあ、最悪夏休みの数日が犠牲になる程度で済む話だろう。実際、去年そんな感じだった奴がクラスにいた。
両親は驚くかもしれないな。というか今夜家を抜け出したのがばれたら、作画に怒るかも知れないな。まあ、そん時はそん時だ。それで川島の命を救えるなら安いもんじゃないか。
ふと、ルカの言葉がよぎる。つまり、俺がカゼに騙されていたとしたら。ここまで来たらその可能性は低いだろうが、そもそも今までのことが全部俺の妄想だとしたら。
想像してなかなか悲惨だと思った。テストは最悪で、その言い訳も妄想でした、とは笑えないが笑える。それはそれで充分『まし』な結果だった。
川島が本当に死んでしまったときは……まあ、そん時はテストのことは些細な問題にしかならないだろう。
と、いつの間にか手は止まり、頭は川島のことでいっぱいになっていた。このまま現実逃避を続けるのは難しそうだ。
ふと時計を見る。時刻は10時半。病院はまあ10分も歩けば着く距離にあるから、今から出るのはさすがに早すぎる。そもそも、両親ともまだ起きている。
そういえば、カゼの言う0時に来いとは、0時ちょうどにいた方がいいのだろうか、それともちょっと早めに行く方がいいのだろうか。
ああ、駄目だ。気分転換でもしよう。そう思って俺は立ち上がり、飲み物でも飲もうかとリビングに向かう。
向かいながら、「もし今夜抜け出したのがばれたら、その時は『気分転換していた』と言い訳すればいい」と思いつく。ちょっと苦しいがまあ、筋は通るだろう。
冷たく冷えた麦茶を一気飲みしたら、少しだけぐるぐるとループを始めていた思考が落ち着いてきた。部屋に戻り、勉強を再開する。
父親よく言っているが、勉強は「答えを知っている必要は無く、答えの導き方を知っていればいい」らしい。俺はこの言葉言い聞かされて勉強してきた結果、暗記系の科目が苦手になった。ちなみに、そのことを父に相談したら、「俺も暗記は嫌いだった」と返された。
曰く、「暗記系科目だって、時間をかけて順番に学んでいけば暗記ではなくなる」らしいが、父の言う時間をかければ、というのは大人になってから、という意味だった。身も蓋もない。
と、勉強そのものについて思考を巡らせてみるが、これは俺の悪い癖だ。こんなことを考えたって、具体的に頭がよくなることはないのだから。むしろ変に頭がよくなった気がする分たちが悪い。
というような思考をぐるぐると3ループ位したところで、時計の針が11時半を回った。これ以上の現実逃避はもう無理だ。と俺は悟る。
休憩するふりをしてリビングの様子を見に行く。
両親とも、ちょうど今から寝ようか、というところのようだった。聞けばふたりとも出張開けで疲れているのだとか。
「悟はまだ起きているのか?」「勉強も程々にな」
などという声に適当に相槌を売って部屋に戻る。あと10分くらいしたら気分転換の体で外に出よう。
10分と思っていたらいつのまにか15分経っていた。
もっといろいろ考えて時間が長く感じられると想像していたが、意外と落ち着いていた。
しかし、そのおかげで時間的余裕は一切なくなった。もう、行くしかない。