5
その男は、扉のすぐ横の壁によりかかっていた。俺が病室から出てくるのを待ち構えるように。
「誰?」
できうる限りの冷静さを装ったつもりだったが、冷静に考えれば『誰』はないだろう。
「お前。死神に会ったんだろ?」
なんというか。わけのわからないことが次々おこることに、ちょっとづつ慣れてきた自分がいた。
「死神?」
「なんだ、反応薄いな」
「……」
「まあいい。会ったはずだぜ、出会うが早いが『あいつは死ぬ』とか言い出す奴だ」
なんだこいつは。ルカとグルだったりするのだろうか。
「会ってたらどうだっていうんだ」
男は目を逸らした。いや、壁越しに川島のほうを見ているのか。
「あの女を助ける方法がある。と言ったら?」
この時の俺は平静を装えていたか自信がない。
「そんな話を信じろというのか」
「さあな。信じるかどうかはお前次第だ」
「……一応、聞いとくよ……聞いて……それから決める」
自分でもかなり苦しいと思った。
男はニヤリと笑う。
「ま、ここで話すのもあれだ。ついて来いよ」
男はそう言ってさっさと歩き始めた。
ここでついていかずに帰ることもできた。ついていくことはすなわちルカやkの男の言い分を認めるということだが、同時にもしそれが事実だとしたならここで自分のプライドを優先するのは最悪の選択になる。
「どこに行くんだ」
散々悩んだが、決めた。
「そうだな。どこでもいいが、屋上とかどうだ?」
この建物も特別高いというわけではなかったが、周りの建物が軒並み低い分、屋上からの見晴らしはよかった。まあ、背の高いフェンスに囲まれているから眺めの良さよりも閉塞感が先行するわけだが。
「さてと。まずは自己紹介でもするか。俺はカゼ、お前は?」
自己紹介というにはあまりにお粗末じゃなかろうか。
「……伊藤、悟だ」
カゼというのは本名ではないのだろうと思った。でも、自分は敢えて本名を名乗ることにした。
「では伊藤、お前はあの娘の命を救えるとしたら、そうするか?」
「する」
質問の意図はよくわからなかったが、質問自体はいたってシンプルだった。
「それが今のこの世界のすべてを否定する事だとしてもか?」
「えっ?」
カゼはゆっくりと円を描くように歩き始めた。
「川島を助ける方法はある」
「待て。その前に、川島が明日死ぬというのは本当なのか?その根拠は」
「本当だ。お前と川島は、昨日死神に会った。あいつは死期が迫った人間の前にしか現れん。そしてその死神は死ぬのは川島だと言った。そうだろう?」
「確かに会ったしそう言われたが、あのルカとかいうのが死神だというのも含めて、根拠がないじゃないか」
「……俺にはそれを証明する手段はねえよ。お前が見たものの中からお前が判断するしかない。俺が言えるのは、あいつに関して色々と不可解なことが起きていたはずだ、ということだな」
そういわれると、確かにそうだ。昨日確かに病院まで見届け、意識もなかったはずなのにその数時間後に俺の家に現れたこと。いや、それ以前に倒れたこと自体が、そもそもあの神社にいたこと自体がすでに不自然ではないのか。そういえば身元も不明だったではないか。名前もよくわからない。存在がすでに怪しい。
「わかった。あのルカってのが本当に死神で、川島が明日死ぬのも本当で、その運命から川島を助けることができるのも本当だとして……俺はどうすればいいんだ?」
「簡単だ。この世界を否定すればいい」
「否定?」
「そうだ。川島が倒れ、明日死ぬ世界など偽物だ。本当にお前が歩むべき世界はこんな世界ではない。」
思っていたのと違った。もっと、俺が何かして今の川島を回復させるみたいな話だと思っていた。
「理解できないか?要は、過去に戻ってやり直すってことだ。厳密には ”戻る” わけではないが」
「そんなことがもし可能だとして、俺に何をしろというんだ?」
「もしその気なら今夜0時に川島の病室に来い。人払いは俺がやっておく」
「そんな話を素直に信じられるわけが」
「とりあえず来てみればいいじゃないか。そんで俺の言うことが嘘ならそこまでだし、逆に本当ならその労は無駄にならず川島も助けられてラッキーってことさ」
カゼはまるで他人事のように言った。だが、その言葉は確かにそうかもしれないと思った。
「時間はまだある。タイムリミットまでよく考えてみればいいさ」
カゼはいつの間にか階段室の前にいて、それだけ言い残すと扉をくぐって行ってしまった。
今ある情報だけで考えても答えは出ないのかもしれない。行けるところまで行けばいい。これ以上は取り返しがつかないと思ったらその時にそこでやめればいい。そして今はまだ取り返しがつかない状況ではない。カゼの言うことが信用できるわけではないが、最悪の結果――回避する手段があるにも関わらず川島を死なせてしまう――にはならないように行動すべきだ。それが最善のはずだ。