第4話☆沼川海湖1
本名、野本美智子。25歳。ペンネーム沼川海湖というプロの小説家である。
本職としている小説家業での収入が少ないため、普段アルバイトをしている彼女は、冷房の電気代を節約するために、アルバイトが終わると、近くのスターバックスコーヒー新宿新南口店でノートパソコンを開いてファンタジー小説を書くのが日課になっている。
髪型は左右に二つに結んだお下げ。理美容代を節約するために自分で切っている。
顔は近眼なのでメガネをかけている。最近流行の横細のレンズで、割引のセット価格になっていたものだ。
ジーパンに半袖のシャツを着ているが、冷房がきいた店内で小説を書いていると寒気を感じるためカバンの中には長袖の上着が入っていたりする。
スターバックスコーヒーの店内は美智子にとって心が落ち着くスペースなのだが、今の美智子はファンタジー小説の次のストーリー展開が思いつかず、一向に進まない創作作業に苛立ちを覚えてノートパソコンの液晶画面とずっと睨めっこをしていた。
結局どうする事もできず、美智子は背筋を伸ばしてため息を吐く。
気分転換をしようと思いコーヒーカップに手を伸ばしてコーヒーを啜るが、コーヒーが口に入ってこない。
美智子がカップを覗くと、コーヒーは既に飲み干されて、空でございますと乾いたコーヒー染みのついた底が見えた。
財布の中を覗くが、もうコーヒーをお代わりする小銭は入ってはいない。
「はぁー。あと一週間で締め切りなのに。原稿用紙50枚をどうやって埋めよう」
在りきたりの話ならいくらでも思いつくが、ファンタジーでありがちな地水火風の四大元素の魔法を売りにして小説を書いても、編集担当からほかとネタが被って売れないと説教交じりの言葉をぶつけられ、書き直せと言われるのがオチだ。
そして一番怖いのは、締め切りを守らずなんの理由も無く原稿を落とす作家の運命。小説家としての信用を失えば次の仕事はもらえない。美智子はそれだけは重々承知しているつもりだ。
なんとかしなければならない。その思いだけが美智子の頭の中を駆け巡り、肝心のストーリー展開が思いつかない悪循環に陥っていた。
美智子は周りを気にしつつコーヒーを飲む振りをして、カップ内のコーヒーの香りだけを吸い込む。コーヒー代が無い貧乏作家の苦肉の策である。
美智子がコーヒーカップを受け皿に戻した時、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。
美智子は、誰かが交通違反をしたんだ、と思いつつノートパソコン画面を見ていたが、パトカーのサイレンはどんどん近づいて来て、サイレンを鳴らしているパトカーは、ついにスターバックスの店の前で停車した。
美智子は、スターバックスの店内から窓ガラスを通して外を見る。
停車したパトカーの横面には四谷の文字がある。四谷警察署のパトカーのようだ。
そこから警察官が2名降りて、スターバックスコーヒー店のすぐ脇の路地へ入って行く。
「うっそぉー。すぐそこじゃない」
美智子は急いでノートパソコンをたたみ、小脇に抱えて歩き出すが、バックを忘れたのを思い出して、座っていた席に戻ってカバンを肩にかけてから歩き出した。
店内にいた客も、仕事中の店員も、立ち上がったり窓ガラスに張り付いたりしながら、何があったのか外の状態をうかがっている。