第21話☆犯人2
美智子は房江の後ろにある出版社のビルを見るが、房江を通り過ぎるのは危険かもしれないと、頭の中で警鐘が鳴っている。
房江は足を動かして2メートルの距離を縮め始めた。
「ごめんなさい。小説家さん。あなたにはなんの恨みも無いの。私の早とちりだったみたい」
美智子が立っている歩道には、ほかの通行人が歩いているのだが、房江に注目している美智子には、通行人が色褪せたモノクロの虚像にしか見えない。美智子が凝視している房江だけが強調された色の濃いカラーで見えていた。
「真鍋ちゃんにも、そう言ったんですか?」
「真鍋ちゃん?」
房江は顔の半分を歪ませる。
「あなたも幸彦と関係がある人なの?」
周りには通行人がいる。だが事が起こっても通行人は誰も自分を助けてはくれないだろう。それでも美智子は賭けに出る。もし目の前の彼女が犯人なら、きっとそれなりの行動を起こすからだ。うまくいけば、犯人と格闘した自分が新聞に掲載されるかもしれない。今の美智子の頭には、死んでしまってからでは遅い、というお決まりの文句は無かった。
「もし私が、真鍋ちゃんと関係があったら、どうなるんですか?」
「どうなるですって? こうなるのよ」
房江は顎を引いた。上体を前に倒して走り出すと同時に、右手を左の袖口に入れて、そこから果物ナイフを引っ張り出した。
房江が持っているナイフを見た通行人が悲鳴をあげて逃げ出す。
美智子の考えどおり、通行人は逃げるのが精一杯で、誰も美智子を助けようとはしない。
美智子は、とっさに肩にあったショルダーバックを持つと、向って来た房江にバッグをぶつけた。
ショルダーバッグの中には、命の次に大切な沼川海湖の分身ともいえるノートパソコンが入っている。
房江は突き出した右腕にバッグの打撃を受けて、持っていた果物ナイフを落とした。
美智子は、ナイフと拾おうとした房江の左腕を掴んで引っ張る。
「これ以上、人を殺さないで!」
房江は髪を振り乱し唸りながら少しずつ足を進め、少し先に落ちている果物ナイフを拾うために、腕を掴んでいる美智子を引き摺って行く。
力勝負では、小説家の美智子より、エステティックを経営している房江のほうが上のようだ。
ついに房江は果物ナイフに手が届き、手繰り寄せてナイフの柄を掴むと、振り返って左腕を掴んでいる美智子に向って果物ナイフを振り上げた。