第20話☆犯人1
7月6日。9時半過ぎ。
箕浦たちと別れた美智子は、新宿駅から歩いて20分くらいのところにある某出版社へ急ぎ足で向っていた。
遅刻しそうなので走らなければならないのだが、先ほど走って既に息が切れていた美智子は、息が続かなくて歩くのがやっとになっていた。
「ああ。間に合うかな」
遅刻が理由だろうとなんだろうと怒鳴られるのはよくあるので慣れているのだが、仕事を減らされるのは何回経験しても全く慣れない。
先月の小説の売り上げで得た収入は約3万。
プロの小説家とはいえ収入が少ない美智子に両親は「会社員になって真面目に働け。でなければ早く嫁に行け」と説教をする毎日だ。
作家業は自分で選んだ道ではあるが、美智子は遅刻しそうな今の現状から逃げ出したい気分でいっぱいだった。
「待ち合わせの時間まであと3分」
急ぐ美智子の目には、通りを3本越えた先にある出版社のビルが見えている。
「あともう少し。頑張れ、私! 頑張れ、小説家、沼川海湖!」
美智子は自分自身を応援し、呼吸を整えてから残りの距離をダッシュで走ろうとした時に、目の前に立っている彼女の姿に気づき、美智子は足を止めた。
「うそぉー。なんでここにいるの?」
まだ距離がある彼女に美智子の言葉は届かない。
彼女は歩いて美智子に近づいて来る。夏用に仕立てられたミント色の婦人ビジネススーツ姿で。帽子も被らず、サングラスで顔も隠さず、ごく普通に歩いて、美智子の前で立ち止まった。
「初めまして。で、いいのかしら?」
そう言った彼女は近藤房江だった。
美智子は、稼ぎが少なくてもプロの小説家。専門ジャンルはファンタジーだが、一応推理小説を書くノウハウも身につけている。だからこそ、無意識のうちに目の前にいる近藤房江の心理状態を予想してしまう。だが、美智子はそれを認めたくなくて、頭の中にある予想を打ち消した。
「初めまして。私に何か御用ですか?」
美智子の動揺の無い言葉を聞いて、房江は赤く塗られた唇を動かした。
「初対面で声を掛けられたのに、驚きもしないなんて、不自然だわ」
「プロの小説家なので、初対面の人に声を掛けられるのはよくあるんですよ」
身構える美智子の姿を見て、房江の瞳は冷たい光を帯びていく。
「本当に初対面だったのね」
「でも書籍に私の顔写真がついているので、読者にとっては初対面じゃないかもしれませんけど」
美智子と房江との距離は約2メートル。