パンドラのドア
今日は姉の結婚式だ。
「ねぇ!どう???」
満面の笑みでウェディングドレスの裾をつまんでポーズをとりながら俺に聞いてくる。
「あー、はいはい。似合ってるよ。」
スーツのポケットに突っ込んでいない左手をあしらうように降りながら答える。
「はー、ほんっとかわいくない!」
「俺にかわいさ求めんなよ…」
「見た目じゃないわよ!中身の話よ?」
「わかってるわ!」
俺とななみのテンポの良い会話に、控え室にいる人たちはクスクスと笑う。
「ほんと通也くんと仲がいいね」
笑いながら俺をみて言う新郎のタケノリさん。
「仲がいい?どこがよ!」
その横ですねている新婦のななみ。
「タケノリさんも物好きですねー、これを嫁にもらうだなんて」
「もー!今日そういうこと言わなくてもいーでしょーが!」
俺はタケノリさんと顔を見合わせて笑う。
幸せな時間、幸せな空間だ。
5ヶ月前、ななみは突然家にタケノリさんを連れてきた。
彼氏がいるなんて話は聞いたこともなくて、そのときはかなり驚いた。
二人は一年前に知り合ったという。
タケノリさんは大手の金融会社に勤務していて、ななみより年は3つ上。受付をしていたななみに声をかけたところから交友が始まったらしい。
突然のことながらも、ななみももう結婚するべき年齢だし、タケノリさんも悪い人ではない。それどころかもう二度とななみには現れないような好条件の人だ。
「通也、こちらはタケノリさん。お付き合いさせてもらってるの」
「初めまして、通也くん。」
爽やか笑顔で握手を求めてくるタケノリさん。俺とは真逆のタイプだなぁと心で思う。話をしていくうちに本当に爽やかなエリートなんだということがよくわかる。俺に対する配慮も絶妙だ。
そして、二人が結婚を前提に付き合っていることを聞いた。
「……失礼ながら、ほんとにコイツでいいんですか??」
いぶかしげに尋ねる俺にタケノリさんは笑い出す。
「ね?ほーんと失礼でしょ?コイツ。」
「話に聞いていた通りだね。面白いなぁ、通也くん。」
「え?そうですか?いや、だって本人を前に失礼ですけどタケノリさんめちゃハイスペックじゃないですか。なのにななみって…」
俺はななみをチラリとみる。
「いやいや、僕、そんなにハイスペックじゃないよ。お酒ダメだし、流行にはとても弱いし、たいした遊びも知らないからね。」
「そんなこと…だとしても、なんでななみ??」
「んー、まぁ本人の前で言うのは照れるけどね。強いて言うなら僕にないものを持っていたからかな。」
そういいながら優しいかおでななみを見るタケノリさん。
「もーっ!やめやめ!恥ずかしすぎる!タケノリさんも律儀に答えなくていいの!」
まったくもーと言いながら立ち上がり、キッチンに逃げていくななみ。
俺はタケノリさんと顔を見合わせて笑った。
そこからというもの、トントン拍子に話は進み、5ヶ月後の今日、結婚式を迎えた。籍は明日いれるそうだ。
結婚式が先なんて珍しいと思いながらも、そこはななみのこだわりだそうなのでほっておく。
「結婚式はね、きれいな青空が見えるガーデンがあるところでやりたいの。シンプルなウェディングドレス着て、自然と溶け込めるような感じ。でもお花とか草とか木がちゃんと私たちを目立たせてくれる…無駄な装飾はつけたくないな。あくまでも自然の中がコンセプト!」
いつかのななみがそう笑顔で言っていたのを思い出す。みんなが控え室で盛り上がっているのでこっそりと抜け出し、会場を見渡す。
「よかったな、ななみ。」
ななみの理想通りのウェディングガーデン。あくまでも自然がコンセプト。本当にその通りのきれいな会場だった。
この会場を見つけるために、ななみはありとあらゆるところを駆け巡ったそうだ。
最終的にはタケノリさんの知り合いがもしよければ、と別荘を貸してくれるということになり、別荘を見たななみは即決したようだ。
俺は空を見上げる。
ななみが望んだ通りの晴天がよく見えた。
「通也くん!」
後ろから、タケノリさんに呼ばれる。
「タケノリさん、…もう準備とかはいいんですか?」
「うん、もう一通り終わったよ。ななみも大丈夫みたいだし。」
そう言ってニコッと笑う。いつでもどこでもこの人は本当に爽やかだ。
「それならよかった。」
タケノリさんは俺をじっと見つめる。
「あの…?俺の顔になにかついてます??」
「あ、ごめんよ。そういうわけじゃないんだ。……僕さ、実は一度断られてるんだ。」
「断られてる?…なにをですか?」
「プロポーズ。」
「え?誰が?」
「ななみ。」
「は?え、ななみが?」
「うん。じつはね。」
「へぇ…初耳でした。」
「……なんでだと思う?」
「へ?」
こんなに唐突な話しかしないタケノリさんは珍しい。なんの脈絡もない。
「…なーんて、君に聞いてもわからないよね~」
あはっと笑うタケノリさん。
でもなぜか黒さが見える。
この人も実はなにかを抱えているのかもしれない。一番、計り知れないタイプ。
俺たちの間に沈黙が流れる。
「……あ、そういえば、俺になんか用事ですか?」
先に口を開いたのは俺だった。
「あ、そうだった。ななみが呼んでいたよ。新婦控え室にいるから。」
「あ、はい。わかりました。じゃあちょっと行ってきますね。」
俺はななみのところへ小走りで向かう。
控え室のドアを開けるとななみが全身鏡の前で自分を見ながら立っていた。
(…幸せな、ななみの姿。)
ウェディングドレスをまとった人は幸せの象徴だと、誰かがいっていた。
でも、ななみにウェディングドレスを着せたのは俺ではなくあの人だ。
そう思った瞬間、ぞわりと鳥肌がたち、急激に苛立ち始める。
なぜ、ななみが。
ほかの男と。
許せない。
壊してしまおうか。
「あ、通也。」
鏡越しに俺を見つけたななみがふわりと笑う
。
幸せの象徴を身につけた姿で。
幸せそうに笑う。
ぶちん、となにかが切れた音がした。
俺は大股でズカズカとななみに近づいていく。肩を強くつかむと、ぐるりと反転させて俺の方を向かせた。じっと俺を見ているななみ。
そう、俺だよ。
ちゃんと認識して、ななみ。
目があった瞬間、そのまま流れるように引き寄せて、唇を狙う。
壊れてしまえ、すべて。
なにもかも、すべて。
すべてが壊れれば…
壊れてしまえば…もしかしたら…
「…ねぇ、通也。」
ななみの声がして、俺はハッと我に返る。
「ねぇ、通也。」
もう一度ななみの声がした。唇が見える。僅か数センチのところで俺は止まった。
「…ねぇ、私ね、これから幸せになるんだ。」
間近にある俺の顔にも、俺の行動にも驚くことなくそういってくるななみ。
幸せになるんだ?
そんなこと、誰にでもわかっている。
お前が幸せになったら、俺の気持ちはどこに行くのかと再び怒りが沸き起こる。
そんなことお構いなしに話続けるななみ。
「これから、幸せになるの。ちゃんと。通也が言ったからよ?だから、私、結婚を決めたの。」
「…え?」
俺がいった??
「あなたがいったのよ、私に。あの日。」
「あの日?」
「そう。私が何もかもに疲れて、自暴自棄になっていた時のことよ。」
「………。」
ななみは一時期だけだが、精神不安定でうつになりかけた。
上司からセクハラだのパワハラだのを受けて仕事に行き詰まりボロボロだったところに、さらに大好きだった祖母が亡くなった。
一度に受けたダメージが大きく、ななみは塞ぎこんでしまった。
そのときに、俺が言った言葉?
「…俺の幸せはななみが幸せになること。強いて言えばななみの子どもを抱っこすること。って言ったのよ。」
それを聞いて思い出す。
ななみが高熱を出したときのことだ。
弱音しか出てこないななみを元気づけたくて、少しでも不安を取り除いてやりたくて、一日中そばにいた。
夜中、熱でうなされながらななみが聞いてきたのだ。
「ねぇ、通也の幸せはなに?」
「なんでそんなこと聞くわけ?」
「私、私の幸せが見えない。わからないの。」
熱で苦しそうに息をしながらはらはらと涙を流すななみ。
俺の幸せは…どうやっても叶えられないから。
「んー?俺の幸せは、ななみが幸せになること、まぁ…強いて言えばななみの子どもを抱っこすること。いつか、の望みだけどね。」
「そっか…私の…子どもを…」
「そ。だからまず、今は寝て?そんで、俺に子どもを抱っこさせて?ね?」
「ん…」
ななみは俺の返事を聞いたのか聞いていないのか…よくわからないまま再び眠りにつく。
次の日、ななみの高熱は下がり、それを境に弱音も少しずつ減っていったのだ。
「…あのときの…覚えてたんだ。」
「覚えてたよ?だからね、叶えてあげたかったの。子どもを抱っこするって。」
「そっか…」
俺はななみから少し離れてもう一度ウェディングドレス姿を見る。
これが、幸せの象徴…。
「……私の幸せはあなたが幸せになることよ。」
ななみの言葉にハッとする。
「…ななみ?」
「私の幸せはあなたが幸せになることなの。だから、私はこれからもずっと幸せよ。」
ななみを見ると目には涙が溜まっていた。
「あなたと私の幸せは共同体なの。これからも。……私の一番の幸せは叶わないから。だから、通也、あなたに私の二番目の幸せを叶えてほしいの。」
「……ななみ」
ななみがゆっくり近づいて俺の両頬をななみの両手が包む。
目が離せない。
目に溜まっていた涙はもう止まることを知らず、次から次へと流れている。
「お願い、通也。……幸せになって?」
なんと残酷なお願いなんだろう、と思った。
幸せにして欲しい、幸せにしてやりたい相手からの…幸せになれという願い。
痛い。
こんなに心が痛い願いがあるのか。
でもきっと…この痛みは君も同じだろうから。
「……ななみ?」
「なぁに?通也」
「ウェディングドレス、似合ってるよ」
俺の言葉に、君は幸せな笑顔で答えた。
…パタン
俺は控え室を出る。後ろでドアのしまる音がした。
俺も、ななみも。
きっとこの部屋に全てをおいてドアを閉めたままにしておくのだろう。
…開けてはならない、パンドラのドア、か。
ななみが籍をいれるのを明日にした理由も、タケノリさんのプロポーズを一度断った理由も、なんとなくわからないわけではない。
でも、それはもう、パンドラのドアの中に置いてきた。
「あら、通也くんじゃないの!」
「…ん?通也くん?」
「ほら、ななみちゃんの弟さんの!」
入り口で、おじさんとおばさんの会話が聞こえる。
おじさんと会うのは久しぶりだもんなぁ…
ピンときてなくて当然か。
おじさんの反応に俺はクスリと笑う。
うん、笑えてる。
俺、大丈夫みたい。
俺はこれから全力で幸せにならなければならない。
でも。
その前にとりあえず、今日だけ全力でななみの弟をやってやるか。
「お久しぶりです、ななみの弟の通也と申します。」
あぁ、今日は快晴だ。