研究コンサルティング
ある大学に、一人実験室にこもり、日曜日も盆も正月も関係なく、日々黙々と研究に明け暮れている教授がいた。
しかし、そんな努力にもかかわらず、教授の研究は他の教授たちや学会から評価されることはなかった。また、彼の研究を支持しようとするスポンサーも現れず、十分な研究費が得られないでいた。
その上、教授の人気は学生たちからも低く、学生たちは卒業研究の為、研究室に所属しなければならなかったが、教授の研究室へ配属を希望する者はいなかった。
誰からも相手にされない教授は、「誰も私の研究を理解してくれない。だが今に見ていろ、世間をあっと言わせるような研究成果を報告してやる」と、怒りにも似た熱い思いで、ますます研究に没頭していった。
ある年、教授の研究室への配属を希望する学生が現れた。他の教授たちは、「本当にあそこでいいのか? 他にも良い研究室はあるぞ」と何度も学生に再考を促したが、学生は意見を翻さなかった。
教授は配属を希望した学生がいると知って最初驚いたが、すぐに考えを改め、どうせ冷やかしだろう、と思うようになった。以前、教授の話を熱心に聞いたフリをして、あとから教授の研究を散々馬鹿にした輩に会ったことがあるからだ。
そしてとうとう、学生が研究室に配属される日がやってきた。目を輝かせてやってきた学生に向かって、教授は不審な表情を浮かべて訊ねた。
「どうして私の研究室なんかを希望した? どうせお前も私の研究を馬鹿にしてすぐに出ていくのだろう?」
学生は非常に悲しそうな表情で答えた。
「そんなことは決してありません。確かに、僕の同級生や、他の先生たちは、教授の研究内容はくだらないと鼻で笑っていますが、僕はそうは思いません。教授の研究は大変有意義だと思います。そしていつか、世界の様々な分野で多大な貢献を果たすに違いありません!」
学生の言葉に、教授は全身を電流が走ったような感覚を受けた。そして学生の気持ちを邪推したことに心底後悔した。
教授は涙を滂沱させながら言った。
「そう言ってくれるのは君だけだ。ついに私の研究を理解してくれる者が現れたのだ! 君はこの俺の研究を手伝ってくれるのだな?」
「はい喜んで。僕も教授の研究の一助になれば、こんな嬉しいことはありません」
ここで学生は「しかし……」と言って、表情を曇らせた。「どうして教授の研究はこれほど潜在的な有用性を持っていながら誰も気にも留めないのでしょう?」
教授は白衣の袖で目頭を押さえながら答えた。
「私の研究があまりに最先端過ぎて、他の連中に理解されないのだ。それに加えて最近は、成果がすぐに現れる応用研究にばかり注目され資金も集まっている。しかし俺のような基礎研究は成果が得られ社会に還元できるようになるまでにまだまだ時間がかかる。そんな研究は見向きがされない風潮なのだ」
学生は首をかしげた。「本当だろうか? 僕でも理解できるほど教授の研究は素晴らしい、それを他の人達が理解できないなんてことがあるだろうか?」
教授の崇高な研究をもっと世に広める為にはどうしたらよいだろう、学生がそんな思いを抱いていたある日、同じ大学の別の学科に通う友人と出会った。この友人、大学の勉強はまったくやっていなかったが、アルバイトやらインターンやらを通じて様々な経験を積んでいた。中でもインターンで体験したマーケティングやコンサルティングに深く興味を示していて、卒業後はそっちの道へ進もうと考えていた。
お互いの近況を語り合う中で、学生は友人に、自身が所属している研究室の状況、それに自分が感じていた疑問を話した。
話を聞き終わった友人は神妙な顔で言った。「それは、きっと教授は研究の説明がうまくないからだな」
「でも、僕にはその素晴らしさが手に取るように分かるんだ。そんなことは考えられない」と、学生は反論した。
「そりゃお前、お前は頭がいいから一聞いて十を知れるんだ。でも世の中はお前のように察しのいい人間ばかりじゃない。例え教授と呼ばれる人であってもだ。その教授はもっとみんなに分かってもらおうとする努力が足りない」
「確かにその辺り、教授は苦手そうなんだ。研究室に籠って、僕以外の誰かと話している姿なんてほとんど見たことがないし」
「まあ研究者にはまだまだそういうタイプが多いな」友人は思案顔で続けた。「……俺に言わせれば、応用研究が優遇され、基礎研究が冷遇されるなんて、幻想かそれとも被害妄想だ。本当に素晴らしい研究であれば、どういう立ち位置であってもスポンサーに研究の意義を理解してもらえるはずさ。問題はどうやってうまく説明をするか、だ。……よし分かった。俺がその教授の研究を周囲に理解されるよう手伝ってやろう。インターンで学んだことが活かせるかもしれない」
学生は友人の申し出に喜び、早速友人を伴って研究室へ戻った。教授に友人を紹介すると、教授は学生が研究室の為にここまで尽力してくれることに深く感動し、大粒の涙を流した。そして教授は友人のコンサル提案を快諾した。
「私も自分の説明下手を薄々感じていたとことだ。自分の研究をもっとうまく他人に説明できていたら、研究を順調に進めていけただろうに……」
頭を抱えて悔しがる教授に友人は笑顔で答えた。
「教授、そんなに落ち込むことではありません。最初から説明の上手な人なんていません。こういうのは天賦の才能や能力とは関係ないのです。適切な方法論を以てすれば誰でも可能です」
こうして、友人による研究のプロモーション計画が始まった。
目標は一ヶ月後に応募が締め切られる、さる大企業の研究助成金を獲得することだった。
友人はまず教授の研究や研究室を紹介する時にいつも使用しているスライドショーを見せてもらった。そして次々に問題点を指摘していった。
曰く、「スライドショーは何よりも見た目が肝心です。この資料を目にする人は教授の研究についてほとんど分かっていない人も多いでしょう。そんな人達に対して、研究への興味を持たせるには、人の心を引き付けるだけのビジュアル的なインパクトが大切です。いくら資料に書いてあることが素晴らしくても、それを見てくれなければ意味がありません。そう、一に見た目、二に見た目です。……ここで教授のスライドショーを見てみましょう。見事なまでに白黒です。全く色が使われてません。これじゃあ人目につかないですし、何よりこの研究の重要なポイントが分かりにくい。色彩感覚に自信がなくて色を多用することにためらいを感じる人が多いですが、それじゃあ、他のスライドショーと代わり映えしません。まずは人目につくカラフルなスライドショーが他の研究と差別化するための第一歩です」
また曰く、「こんな長ったらしい計算式や、虫眼鏡がないと読めないほど細かな文字がびっしりと書かれたスライドショーなんて誰も見たくありません。研究紹介で最も重要なことは、ほんのわずかな時間で相手に研究について理解した気にさることです。だから何よりビジュアルこそ正義……えっ? 理解した気でいいのかだって? いいんです、細かいこと知りたきゃ質問するなり後で論文読め、それ位のスタンスでちょうどいいんです。ですから、そんなことを気にする余裕があったらとにかく成果を強調してください。それから多少の厳密性など捨ててしまって問題ありません。こんな例外ばかり文字でだらだら書くから見辛くなって、理解されなくなるのです。ですから文字で書くくらいならグラフィカルに表現しましょう。……絵心がない? いやいや、そんなことは問題にもなりません。スライドショーのビジュアルを作ってくれる専門のデザイナーさんがいます。その方たちに外注して作らせればいいのです」
次々とスライドショーの不備を指摘する友人に対して、教授と学生は感嘆の声をあげた。
研究室の雰囲気を表すようなモノトーン調のスライドショーは、専門デザイナーの手も借りて、海外のデザイン力に定評があるメーカーの新商品説明会で使用されそうなほど美しくインパクトがあるものへと生まれ変わった。
友人の助言は、スライドショー以外にも及んだ。
今回の助成金応募審査には面接も含まれていた。そこでも友人の熱い指導は続いた。
「笑えとは言いません。しかし表情は常に柔らかく。面接官を決して睨みつけてはいけません。面接において最も重要なのは、何を言ったかじゃありません。やはりここでも見た目です。特に第一印象。研究にこれだけの自信があるんだ、と態度で示すのです。決しておどおどした様子や、怯えるような表情を見せてはいけません。……そうその調子です」
教授も友人の的確なアドバイスに感動し、教えを吸収しようと必死に努力した。
そして、約一ヶ月に渡る友人のコンサルティングの結果、教授のプレゼンテーション能力は驚くほどに飛躍した。とある学会で教授は研究を紹介する機会があった。今までは聴講者達は誰もが皆眠たそうに机に突っ伏していたのに、今回はスタンディングオベーションが起こったほどだった。これに自信をつけた教授は満を持して研究助成金の申請と面接に臨んだ。
結果、見事教授は助成金を得ることができた。全ては学生の友人によるコンサルティングの賜物だったと、教授は学生とその友人に対して涙を流しながらお礼を言った。友人もやり遂げた満足感で気分がとても高揚していた。そして学生は教授の素晴らしい研究を世に広める一助ができたことに嬉しく、良い友人と出会えたことが誇らしかった。
研究費が得られたお祝いにと、教授と学生とその友人の三人でささやかな宴会が催された。その宴会は三人にとって一生忘れられないほどに楽しく、素晴らしいものだった。普段は仏頂面の教授は顔を赤らめ大笑いしていた。学生と友人もそれを見て同じく大笑いした。
全員が程よく酔って来た頃、友人が軽い口調で二人に訊いた。
「俺はこれまでずっと研究室のコンサルティングをどうしていくかに苦心して、詳しく聞いている時間もなかったし、元々教授たちと違って俺は文系だからちゃんと理解できる自信もなかったんだが、……実のところ教授達の研究内容について詳しく知らなかったんだ。だからちょっと詳しく教えてくれない?」
その言葉に教授と学生は驚いた表情で顔を見合わせた。そして生ビールが入ったジョッキを持ったまま教授は言った。
「永久機関の研究だ」
そもそもこれはコンサルティングじゃない?
別に私は永久機関が好きなわけではなりません・・・