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理解、到達

 ちりん、というその間抜けな音に、ボクは我にかえった。開いたエレベーターの扉から伸びる懐中電灯の光に照らされた廊下は相変わらず白いが、少しくすんでいるようにも見えた。

「……そうだ。ユリ、まこと?」

 床から懐中電灯を拾い上げ二人へと向けた。直前までのボクがそうであったように二人とも呆然としていた。だがその二人とも、少し様子がおかしかった。

「……」

 まことは目が半分だけ開いたまま、まるで寝ているようだった。まぶたの隙間から見える眼球はわずかだが細かく震えていて、生きてはいるようだったが生きているように見えなかった。慌てて肩を揺すってみたが、完全に気絶していた。

「これは……ボクたちが部屋を出るときに利用したのとは違う?」

 独り言が漏れた。独り言になったのは、それに答える者が居なかったからだ。

 ユリの方を見た。ユリは、まことと違って気絶はしていなかった。

「……ぁ、ぅう?」

 ユリは焦点の合わない目を開いたまま、何か聞き取れないことをブツブツと呟いていた。ボクがその時感じ取ったことは形容することが難しいが、一番近い感情は恐怖、続いて焦りと心配心配だった。

「おい、ユリ!」

 まことよりも強い力で揺さぶったところ妙な間を置いて、ユリから反応があった。

「あ、レン。どうしたの?」

「ユリこそどうしちゃったんだよ!?ずっと何か言っていたけれど、ボクに言っていたのかい?それともまた何か心配なことでもあったのかい?ボクはここにいるよ。どこにも行ったりなんか……」

「大丈夫だよ」

 ボクの言葉に割り込んでユリはそう言った。ユリの目はもう虚ろではなく、きちんと焦点のあった視線を持っていた。なにも心配することなど無い、不安もない、全て分かっている。ユリの目はそう物語っていた。

 だから、その目は見てきたどんなものよりも不気味だった。

「え……?ユ、ユリ」

「さ、レン。行くよ」

 ボクの右手を取り、なんの迷いもなくエレベーターから飛び出そうとするユリの左手を引き戻した。かろうじて振り払うのを堪えたが、身体中には寒気がしていた。まるで自分とは全く違う生物に捕まえられたような恐怖。ユリの心が全く読めなかった。

「ユリ、下手に動いたら危険だよ!ボクは今ここがどんなところかもわからないし、まことだって目を覚まさない。それにこの階にはまだ職員さんがいるかも知れないのに……!!」

「レン、私はレンのことが好きだよ」

「えっ……」

 エレベーターの照明に照らされたユリの表情は偽り無い笑顔だった。戸惑うボクを見ながら、その表情は真剣なものに変わった。

「まことは心配しなくても大丈夫だよ。逆に今じゃないと、まことも、私たちだって危ない。この先に進めば外に出る方法が分かるの。敵よりも早く行動しなきゃ。さ、早く!」

「ユリ?キミは一体何を言って……」

「声が聞こえるの」

「……声?」

 ユリに強く引っ張られ、体勢を崩してエレベーターから踏み出してしまった。そのまま数歩引かれるがままに歩いただけなのに、振り返ってもまことの姿は見えなかった。エレベーターの扉が閉じていた。

 ボクを導く光源はユリの持つ懐中電灯のみとなった。だがユリがその懐中電灯を使っているのは見えないものを照らすためではないようだった。何故ならユリは本当に何の迷いもなく廊下を突き進み、時には複数回連続で曲がったりした。

「なあユリ!声って?キミの身に一体何が起きているんだ!?」

「ずっとね、変な気分だったんだ」

 足元だけを照らしたままに突き進むユリはやや興奮ぎみに語り始めた。

「時々なんだかとってもイライラしたり、心配になったり、怖くなったり……ここのところずっとおかしくて、でも理由が分からなくて。レンはあの部屋を出てしばらくの時、ちょっとおかしくなった私を慰めてくれたよね?その時に不安というか、違和感は一旦収まったんだよ」

 目の前に現れた扉を、ユリは認証装置に手をかざすことによって当たり前のように開錠、開放した。誰かから細かく指示を受けているのだろうかと思った。その『声』とやらが、きっとユリに指示をしているのだろうと。ズンズン突き進むユリとボクを阻むものは不思議と何もなかった。

「でもね、全部は無くならなかった。頭の隅っこに、ずっと違和感があったの。そしたら、さっきここまで来るのに使ったあのエレベーターの扉が開く瞬間にその違和感が消えて最初の『声』が聞こえた。そのままレンについてエレベーターに乗れって」

 廊下の様子はどんどん変わっていった。懐中電灯に照らされた床はどんどん白とは違う色へと、ユリが開錠していく扉はより分厚くて大きな物へと。

「それでエレベーターが降りている間に『声』は私たちが外に出られる道を教えてくれた。今も教えてくれている。あのね、『声』が言っていることはとても分かりやすいの。こうして喋りながらでも分かっちゃう……レン、ちょっとスピードを上げるよ。『声』がそう言っている!」

 ボクの頭は完全に理解を諦めていた。ユリが言っていることは荒唐無稽、でも現実にそれで道がひらけていく。停電しているはずの施設で当然のように動く電子錠も、無人の施設も、ユリの『声』も現実離れしすぎていた。

 ぼーっとして、明確な輪郭がなく、どれ程時間がたったかも、どれ程走ったかも理解できなかった。ただ受け入れた。きっとマスクをはずされた職員さんたちはこういう気分だったのだろう。周囲の風景すら曖昧になり、頭の中の記憶で適当に置き換えられた風景を頭は理解せずに受け入れるだけ。不快感はなく、快感ですらあった。思考を放棄し、ただ成り行きに任せる。


 ボクに明確な意思があれば違ったかもしれない。

 ボクには明確な意思など持ち得なかっただろうが、それでも原因をたどればボクに行き着く。

 あの中で、三人は全員異なる状況にあった。

 ボクだけが正常だった。

 なんて言うのは傲慢だ。 【a076/2057】


 もはやユリもボクも走っているだけだった。全ての扉はボクらが通過する前に開き、通過直後に閉まる。施設自体が意思をもってボクらをどこかに導いているという感覚が生まれていた。

 そしてそのまま、気がつけば。

 ボクらはひときわ大きい扉の前にいた。

「レン。少し時間がかかっているけれどもうすぐこの扉が開くよ」

「あ、うん。そうだね。こんなに大がかりな扉があるなんてこの奥にはよっぽど大事なものがあるんだろうね」

 円形の分厚い扉には見覚えがあった。『アメイジング・フォートレス』にも出てきた大型金庫の扉だ。映画のそれほど大きくはなかったが、ボクが認識している範囲で言えばボクらの身長の四倍はあっただろう。

 真っ暗な空間で懐中電灯に照らされながらオートメーションで開放されていくその扉を見ていると、ユリが左手に力を込めたのを感じた。横に並んだユリの顔は喜びに満ちていた。まるでこの向こうにあるのが外だとでも言うかのようだった。

「レン……」

「ああ、行こうか」

 円形の扉が退き、そこにあったのはごく普通の簡素な扉。全ての理解を諦めていたボクは促されるように扉のノブへと手をかけ、押した。


 その部屋は、たったひとつのモノのために作られていたようだった。

 球形の壁面には最初に見た廊下のように照明が等間隔に設置され、あとはツルッとしていて何も見当たらない。停電しているはずの施設で動いていた電子錠やエレベーターと同様、明るく照らされたその部屋の電力供給にはなにも問題がないようだった。

 そして部屋の中心。

 ガラスのような何かに満たされた。

 青色の透き通る液体。

 その中に浮かぶモノ。

 ぎょろりと見開いた眼。

 呼吸していると思えない鼻。

 無表情に閉じられた口。

 二メートルほどの体躯に。

 踵まで届くほどに延びた頭髪。

 生物とは思えないプラスチックのような肌。

 すらりと延びた四肢に爪はなく。

 それらを目撃した瞬間。

 ボクは理解力を取り戻し、そして理解した。

 コレは、この、液体の中に浮かぶモノは。

 ボクたち発電少女の、母親だーーー

「あなたが……私に『声』をかけていたの?」

 ユリは『母』に話しかけた。安心しきった眼差しが向いた『母』は、見た目に何の反応も返さなかった。だがユリとコミュニケーションを取っていることは確かなようで、ユリはうん、うんと相づちを打っていた。

「ね、ねえ。『お母さん』……アナタは、本当にボクたちの『お母さん』なのかい?」

 試しにボクも尋ねてみるが、ボクには『声』など聞こえなかった。一瞬そこに浮いているモノは『声』の主ではなく、ましてや『母』ではないのだと疑念が浮かんだが、しかし全てをボクやユリの妄想、妄言として処理するには無理があった。ボクを感じているボクは少なからずきちんとそこにいた。

 では、この浮かんでいるモノは何なのだろう。

 一度は『母』なのだと直感的に理解したそれを疑うのは骨が折れた。それ以外の可能性なんて考えていてはキリがなかった。

「ユリ!『声』は今何て言っているの?」

 ヒントを求めてユリに声をかけるも返事はなく、真面目な顔をして、ふんふんと唸っていた。『声』に聞き入っているようだった。ボクはボクなりに検証してみることにした。

 ボクは少なからずそれは『母』だと直感した。それが事実なら、それには『母』である要素が備わっているはず。ボクはそれがボクらを産んだこと、産めることを確かめる為に、ボクらと同じ穴がそれ股にあるのかどうかを確かめようと考え、それが浮かぶケースに近づいた。

 その時だった。

 入ってきた扉の方からガコン!と大きな音がした。

「レン!『声』が隠れろって……」

「いや、ユリ。間に合わないよ」

 誰かがこの部屋に入ってこようとして、きっとこのケースの中の『母』がそれを妨害していたのだろう。それでその警告だったわけだが、警告があったということは、妨害に失敗したということを意味していた。ボクはそれを何となく察し、身構えた。

 間もなく扉が開き、半分以上は円形扉に覆われたその隙間から誰かが入ってきた。

 白衣を着ていて、明らかにお爺さんといった風体の男と、その部下らしき男が二人。

「……!」

 言葉を失うユリを無視して、白衣の男が口を開く。

「駄目だなぁ……君がこんなに好き勝手にしては」

 その視線は液体の中に浮かぶそれへと注がれていた。

「アナタたちは誰?ここの施設の職員さんかな……」

 職員さんと万が一対峙したときどう行動するかを思い出しつつ、ボクはその白衣の男を睨み付けた。ボクと目が合うとその男は少し黙って、そして静かに続けた。


「俺か……俺は君たち発電少女の父親だよ」

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