誘導
「よし、開いたぞ」
「あれ?何か思ってたのと違う」
まことが今までと全く同じ作りの廊下に並ぶ、動物を研究しているらしい部屋のうちの一つを開けると、それを横からそっと覗き込んだユリがほっとしたように呟いた。
「ユリ、違うって?」
「レンにわざわざ言うのもちょっと照れくさいけど……えっとね、私は動物の研究っていうからにはこう、瓶に入った生き物の頭とか怪しい色の薬とかがずらりと棚に並べられている感じのかなー、って思っていたからつい」
「なるほどね。でも正直ボクもすこし拍子抜けしちゃったよ。これじゃあさっきの植物を研究していたところとあまり変わらない」
簡素な部屋の中にはボタンが見当たらない機械がいくつかと、何十かのフォルダや本が立てられているだけで隙間の目立つ本棚。実験道具のようなものもいくつか置いてあるけれど、ユリが言ったように怪しげな薬品が入ったまま放置されていたりはしない。
「どうだ、何か武器になりそうなものはあるかな」
まことが問いかけたが、きっといい返事は期待していない。
「いいや、こっちにはなにも」
「ううむ、研究室というからにはせめて刃物くらいはあってもいいだろうに……」
まこともかなりがっかりしているようだ。確かにここまで何もないと不自然だ。研究というものが真にどういうことをするのかを私は知らないが、せめてそう、研究する対象であるはずの動物が必要なのではないのか。
「もしかすると近頃研究はしていなかったのかもしれないね」
「え?レン、それってどういうこと?」
思い付きの言葉が漏れたのをユリが拾った。自分でも思い付きで言ったが、そうだ。
研究室で研究が行われていない、とは、どういうことだ?
「いや、ああ。研究室というのに、ユリが言ったような研究室っぽさがないからここでは研究をしていないのかな、って思ったんだ。でもそれだと実験道具がなんで置いてあるのか分からないし、だからとりあえず最近になって研究をしなくなっただけで、以前はしていたってことなのかなぁ、と」
「レン。やはりそう思うか」
頭の中を整理しながらそういうと、今度はまことが反応した。
「やはり、って?」
「さっきの植物研究室でもそうだったが、この発電所の部屋には、私たちが確認した限りにおいて少しも研究らしいことをしている様子がみえないんだ」
「でも、大きな木がある部屋はあったよ?あれじゃだめなの?」
ユリが割って入るが、まことは首を振る。
「ああ。確かにあの部屋には大きな木があって、扉もきちんと鍵が機能していた。あの木を研究するために用意された部屋だとしたらおかしくはなさそうに見える。でもあの部屋の機械には、この部屋の機械と同じようにボタンがほとんどなかった。少なくとも、あの部屋で人が研究しているというわけじゃない。研究自体をしているとしたらそれはどこか別の場所からあの機械を動かしているんだろう。そして植物を研究しているはずのどの部屋にも職員さんはいなかった」
「じゃあ、まこと。キミが言いたいのはつまり……」
「論より証拠だ。二人とも、廊下に出てくれ」
言われるがまま廊下に出ると、後から部屋を出たまことが突然走り出した。
「ちょ、ちょっと!?」
ユリが叫び、ボクがあっけにとられている間にまことは次々と電子錠に手をかざして扉を開けていく。職員さんがいるかもしれないことなどお構いなしだ。職員さんがいればすぐに見つかってしまうだろう。
しかし、何も起こらない。
「どれでもいいから扉を開けてごらん」
戻って来たまことが少し息を切らしながら言った。ボクは正直混乱していたし、まことがおかしくなってしまったのかとも思ったけれど、まことの表情は真剣そのものだった。ユリも同じように思ったらしい。恐る恐る、ユリとボクはそれぞれから一番近い扉に手をかけて開いた。中を覗くとまことの言った通り人はおらず、代わりにここにもボタンのない機械が設置してある。
「じゃ、じゃあ……!」
「ああ。たぶん、いや、もうほとんど確信に近いけれど、どこの部屋にも職員さんなんか居ない」
ボクは絶句してしまった。まことの次の言葉が分かるようだった。
「ここには、この発電所には、私たちの面倒を見ていた職員さん、停電時に入って来た職員さん以外には誰もいない。この施設は、ほとんど無人なんだ」
二番目のエレベーターがある広場まで戻って来た。
「残るは出口だけだね」
「ああ。もうさっさと脱出してしまおう」
ボクとまことが出口に向かって歩き出すも、ユリはなかなかついてこない。
「ユリ?」
「……ねえ、やっぱり武器をもう一度探そうよ。何か変だよ、やっぱり」
ちょっと泣きそうな顔でユリが訴える。ユリの気持ちは分からなくもない。だけれど、もうここに戻ってくるまでにほとんど確認できてしまった。この施設にこれ以上とどまっているよりも、電源が復旧する前にさっさとここを出てしまう方がきっとうまくいく。まことも同意見だ。
「ユリ、心配なのはわかるけど、電源が復旧してしまったら元も子もないんだ。もうあまり時間をかけずに出られるなら出よう。すぐに出ないとしても、出口にもし不都合があればすぐに別のことを考えなくてはならない。だから、さ」
「……うん」
ユリが駆け寄り、ボクの手を強く握った。
「大丈夫か?」
「うん。ユリもボクも平気だよ」
「よし。じゃあ出口に向かうぞ。ただ、ユリが不安だというのなら、出口に向かうまでに見つけた部屋くらいは探索してみよう」
「……」
ユリからの返事はなかったが、おおむね同意してくれたみたいだ。ユリの手を引き、誠の後に続いて出口への廊下を歩く。廊下の様子は今までの廊下とあまり変わらないが、少し不気味さが消えている気がする。ところどころに掲示板のようなものがあり、細かい字でいろいろ書いてある紙が貼ってあるがもちろん読めない。
時間があればまことに読んでもらうことはできただろうけれど、今は先に進むべきだ。そうしてみんな無言のまま歩いたからか、一分もしないうちにちょっとしたスペースに着いた。
「これが出口だな」
あまりにもあっけなく、ボクらは出口にたどり着いてしまった。途中に部屋もなく、そして到着してから探索するまでもなくその問題点までも発見してしまった。
「シャッターが下りているね……」
出口の大きなガラス扉から本来見えるはずの外の代わりにボクらが見たのは鉄の蛇腹。どうやら外側から大きなシャッターが出口をふさいでいるようだ。
「どこかにシャッターを開けるスイッチがあるはずだ。停電しているからふつう動かないだろうけれど、手をかざすタイプの電子錠が開錠できる今なら私たちにも開けられるかもしれない。手分けして探すぞ。私は配電盤のようなものがないか探す」
「分かった。ユリ、ボクと一緒にあの大きな机のところを探そう。カウンターと書いてあるところだ」
「う、うん」
まことが壁を探し始めたので、ボクとユリは一緒にカウンターと書かれている一角を捜索するためにテーブルを乗り越えて内側に入った。テーブルは内側から見ると結構なものが収納されている。ほとんど紙ばかりだが、機械もいくつかある。そのうちの一つ、アルファベットが書いてあるボタンがたくさん並んでいるその機械を何に使うのかは想像もつかないが、ボタンを押しても反応しないし、この機械には電源が入らないようだ。電話に少し似ているかもしれないが、現状役に立ちそうにはない。
「ねえ、ユリ。何か使えそうなものは見つかった?……ユリ?」
ユリから返事がない。ユリの方を見ると、何かガサガサと探っているようだった。
「ユリ!」
「は、はいっ!?」
「何か見つけたの?」
「う、ううん。何も。今さがしてたところ。レンは?」
「いいや。こっちにも何もないよ」
「そうだよね……ボタン、ボタンかぁ。ねえレン、もしかしてだけどさ、アレじゃない?隠し扉!」
「隠し扉って……あの映画にも出てきたやつか」
以前ボクらはまこと、あゆむ、あさりの三人がこの計画を思いつくきっかけとなった映画『アメイジング・フォートレス』を同じく見せてもらった。その時に出てきた隠し扉は、確か壁の一部が回転して奥に進める、というものだった。
「例えばこの後ろの壁、少し怪しいと思うの」
「なるほど、試してみようか。ユリ、一緒にやろう」
こくり、と頷くユリ。ボクら二人は立ち上がって、真後ろの壁を適当に押してみた。
「やっぱりだめかな」
「ま、そうだろうね」
案の定というか、壁は回転などしなかった。そもそも、あの映画とは場所が全然違う。似たような場所だったらそうかもしれないが、この壁はなんだか全体的にのっぺりとしていて、とても仕掛けがあるようには思えなかった。なんだか少しおかしくって、ユリと顔を見合わせて思わず笑ってしまう。
「こらユリ、レン。息抜きも必要なのはわかるが今は急いでいるんだ。ほどほどにしてスイッチ探しを再開してくれ」
「あはは……怒られちゃったね」
様子を見ていたまことに注意されてはにかむユリ。その表情をはっきりと見ておきたかったが、言われた通り再びスイッチ探索に戻り机の内側を手で探りなおしているときにも不意に今までのユリの笑顔が思い浮かび、気が散ってしまっていた。そのおかげか、ボクは自分が懐中電灯を持っていることを思い出した。
「ねえ、まこと!」
すでに人がいないと分かっていたので、大声を出す。
「なんだ?」
「スイッチ探すのに懐中電灯を使ってもいいかな?ここはごちゃごちゃしているうえに暗すぎてよく見えないんだ」
「もちろん使ってくれ。すまない、私も失念していた。人がいないなら見つかる心配もない」
許可をもらったということで懐中電灯を取り出し、スイッチをオンに。
「わっ」
暗闇に慣れていた目が白い書類から照りかえる白光に焼かれる。目をぱちぱちとしていると、次第に明るさに慣れてきた。横からユリがこちらをのぞきこんでいる。流石にまだ笑っているわけはなかった。当たり前だと思いつつも、少しがっかりした。
そうだ、がっかりした。
愚かな自分に。
今でも。【a076/2057】
「レン、大丈夫?」
「うん、もう慣れたから平気。ところで照らしてほしいところはある?あればボクに遠慮なく言って」
「ううん、ないよ。それよりもそこの書類をまことに見せようよ。きっとまことなら何が書いてあるかわかるからヒントになると思う」
「呼んだか?」
話し声を聞きつけたまことがテーブルのそばまでやって来た。
「ああ、まこと。この書類に何か使えることが書いてあるかもしれないから、読める?」
「やってみる。懐中電灯は?」
懐中電灯と書類をまことに渡す。まことはそっと懐中電灯の光を書類に向けて、そこに並ぶ文字列に目を走らせ始めた。
一枚、二枚と書類の束をめくっていく。
「これはちょっとまずいぞ」
そして聞きたくないことを言った。
「えっ?どうしたの、まこと」
「この書類は緊急事態用の対策が書かれている。そこにはもちろん総停電時のことだって想定されてあるんだ。細かいことは移動しながら話すけれど、もたもたしているとここに武器を持った職員さんが少なくとも十人はやってくる!」
その言葉に総毛だった。死にかけていた緊張感が息を吹き返していく。
「それじゃあどうするの!このままじゃここから出られなくなっちゃうんじゃないの!?」
「落ち着いて、ユリ。きっと大丈夫だから。職員さんたちがやってくるのは大体停電になってからどれくらいたってからなの?」
「細かいことは分からないけど、三時間はかからないと書いてある。私たちが停電を起こしてからだいぶたっていることを考えるともう来るかもしれない。クソッ、時計くらい持ってきておくべきだったのに!」
「とりあえず早く動こうよ!今そこのシャッターを開けて職員さんたちが入ってきたら……!」
「ユリ!少し冷静になるんだ。とにかく今の道を戻る他ないだろう、何か役に立ちそうなものはなるだけ持って!そうだよね、まこと」
「ああ。幸いにもこの書類の中にはこの研究所の案内図が混ざっていたから計画は練り直せるし他の脱出路も考えられる!だからレンの言う通り今はこの正面玄関から離れよう。でもあまり慌てて怪我でもしたらそれこそおしまいだ。走らなくていいから!」
「わ、分かったわ。レン、私は大丈夫。だから心配しないで」
ユリがパニックになっていないか確認する前にユリの方からそう言われた。気丈にふるまっているだけだとしてもこの場を逃れるためにはそれで十分だろう。むしろその気丈にふるまうユリに勇気づけられた。足をすくませている暇はない!虚勢を張ってでも進まなきゃ!
「ユリ、レン!懐中電灯を持っている私が先行する、後からついてきてくれ!ちゃんと私が見えているか?」
移動する光とともにまことが叫ぶ。すぐさまついていこうとした私の後ろから手が引かれ、もう一つの光が前方にあらわれた。
「ユリ!?」
「まこと!こっちにも一本懐中電灯を見つけたよ!私たちにも明かりがあるから安心して!」
振り返ると、確かにユリはボクの左手をつかんでいる右手ではなく左手に懐中電灯を持っている。
「何か持っていけるものって急いで探したら見つけたの。取っただけで明かりがついたからラッキーだったよ!」
「ありがとうユリ!ユリはボクの足元を照らしておいてくれ」
「うん!」
「いいものを拾ったようだな。では移動する!」
早足で移動するまことの後ろを、ユリに照らしてもらいながら同じく早足でついていく。ここに到達するまではあっけなく終わった廊下が、再び暗闇を見ることができなくなったためか永遠の長さを持っているようにさえ思える。でも大丈夫だ!まことの照らしている明かりが見えるし、ユリが照らしていてくれるから耐えられる。背中に目がないからその姿は見えないけれど、つないだ手と確かな明かりはボクの心を不安からかばってくれていた。
息も止まるような緊張感の中、廊下の終わりがようやく見えて、椅子が並んだ部屋に再び戻って来たか、そんな時だった。
バンッ、バンッと何かを叩く音。何かがたわむ音。
玄関口の方からだった。
気のせいか、人の声も聞こえる!
「まこと!」
「ああ、分かっている!でもどっちに……!?」
焦りが頭の中を埋め尽くす。感覚が消えていく。寒気と心臓以外を感じることができなくなった。ユリの手を握る。ユリの手はこれまでになくボクの手を強く握っていた。ユリも同じなのだ。そしてこの状況、まことは一人で焦燥と闘っている!
「まこと!ボクたちもここにいるからっ」
狭窄した視界の中に映るまことの腕をどうにかつかむ。冷え切って、震えている。
どうすればいい。どうすれば……。
その時だった。
目の前にあった電源が落ちているはずの、絶対に動かないはずの、そうでなければならないはずのエレベーターの扉が開いた。
考える余地などなかった。
ボクは半ばまことを突き飛ばすように押し、ユリを投げるように引っ張ってエレベーターへ突進した。
人を運ぶのには大きすぎる四角い空間にボクら発電少女三人がなだれ込んだ。
ボタンを押した気はしない。
だけど気が付いた時にはエレベーターは扉をすでに閉め終わっており、ボクらを地下へと降ろしていく。
幸か不幸か、この行動は結果としてボクらを発電少女発電所から脱出させるきっかけとなった。
エレベーターの扉が開く。ちりん、という音がした。間抜けな音だ。
二本の懐中電灯が暗闇を照らした。
どこかよくわからない場所に、ボクたちは運ばれてきた。
最初からああなるように仕組まれていたと、そうとしか思えない。【a076/2057】




